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連載02「次は囲炉裏だ」

2016年1月。西荻の自然食レストランバルタザール。
今から5年前のことだ。

松永さんは「次は囲炉裏だ」と言った。

泡盛のソーダ割りを3杯くらい飲んだと思う。酔いが回ってくると松永さんは予言めいたことを言う。今回もそんな感じのテンションだった。

「焚き火の次はな、囲炉裏だよ。家の中で火をやる。」

「家のなかでですか?」

「そうだよ。あの山梨んとこみたいに。あぁいうのを東京でもやる」

「山梨んとこ」というのは、その前の年に夏合宿で借りた古民家だ。甲州のぶとうと桃畑に囲まれた山間で10日間の合宿を僕はおこなった。

「前田さんはすごいなあ、よく山梨みたいなところ見つけたよ。なあ、山梨んとこみたいなところ、東京にないのか?」

その古民家を見つけたのはそんな難しいことではない。とある旅番組で紹介されていたその場所が気に入って、無理言って管理人に貸してもらった。だから僕が一から見つけたわけではなく、ミーハーな僕は、最初は好きな芸能人が訪れた古民家を使ってみたいくらいの気持ちでしかなかった。
だから、東京に古民家ないのか?と言われても、ピンとこなかった。むしろ東京出身の松永さんこそ当てはないのか?そんなものがあるのか?無茶振りでないか?


松永さんは会話の主導権を握るのがうまい。
さりげない褒め方がうまいのだ。
褒めておいて、相手が気を許してから本当に自分の話したいことを言う。
本人がどう思っているかは別として、僕からすると、褒めるのは「フリ」でしかない。
褒めておいて、他に何か意図があるように思えてならない。しかし、それが分かっていても、どうしても松永さんの思う通りになる。

松永さんのことを簡単に説明しておこう。松永さんは大学生のころにたまたまはじめたアルバイトである家庭教師をほとんど口コミだけで食えるようになったプロ中のプロの家庭教師である。家庭教師も何十年も続けていると、イチローのようにもはや野球を超えた哲学なるものがあるもので、松永さんは家庭教師として食っていくというだけでなく、さらにその先、つまり子供を育てるということ、教育するとはどういうことかということまで深く突き詰めている。

彼が哲学部出身であることとも無関係ではない。松永さんは40年以上教育の第一線で働きながら教育を哲学し続けている。そんな百戦錬磨の教育哲学者のもとで、自然環境、特に火による教育を実践してきた。学習意欲のない子供を自然環境へ連れ出し活性化させる。そのエネルギーを利用して、勉強しやすいように仕向ける。そういう活動に共感し、僕も同じように10年以上実践してきた。

これは単に自然体験を与えるというのが目的なのではない。あくまで手前目下の勉強ができるような「状態」になるために自然体験を積むことが最優先されるべきということ。いやさらにいえば勉強できることよりもっと頭を良くするために、自然体験が欠かせない。だから自然のなかへ子供を連れて行く。

この「理念」がわからなければ、ただ自然体験大切にしてるおっちゃんたちなんだぁと思われるかもしれない。まぁそれでもいいのだけど、一応その先まで考えて活動している。

あぁ、褒められてまた気を良くしてしまったから、探す気分にさせられてしまった。
松永さんと話していると、いつの間にか自分も教育させられているのだ。

とはいえ、僕も古民家の良さに気づいていた。
古民家の何がいいか?言葉にするのは難しい。古いからなのか?たしかに、僕は骨董屋で働こうと思ったくらい陶磁器や家具が好きだし、東京が好きなのも神保町があるからだった。

ただ、古いものが好きというよりも、古くなって価値が下がるどころか、さらに価値が上がっているように感じられるところが好きだった。
日本の商品のほとんどは新品を評価するようにできている。家も一度契約してしまえば、価値は下がる一方だ。
古民家なんて、建物価格で言うなら、価値がないものに過ぎない。

だけど、古民家には何かがある。骨董のような魅力が。それは高く売れるからとかそういうことではなくて、カビや埃にまみれても、今の僕たちの生活にはないけれど、それでも今の僕たちの生活にも必要だと気づかせてくれるような何かが、古民家にはある気がしていた。

でも、どうして囲炉裏なのか。
その時ぼくには理由がよくわからなかった。
だが、「ボス」が言うのだから何かあるのかもしれない。正直はじめはそんな感じでしかなく、何か確信があったわけではなかった。

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