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対岸の島生活01

「ここはヴェネチアだね!」
彼女は路地裏の階段を見て発見した。
でも僕はヴェネチアに行ったことがない。水の都というくらいのイメージしかなかった。
「何ていうかさ、家が密集してて、丘の上に寺があるでしょ?ほら、あっちには海が見える!」
振り向けば瀬戸内海が広がっている。
彼女はぴょんぴょん跳ねながら、石階段の上の寺へ入っていった。

今から6年前、僕たちは、淡路島の玄関口岩屋に住んでいた。
雨間をねらって、家の裏にある真言宗観音寺にあいさつにきていた。
左に明石海峡大橋、対岸には神戸が見える。それは僕の故郷である。
本当は今月から数ヶ月ヨーロッパへ行くつもりだったが、縁あって対岸の淡路島に一ヶ月滞在することになった。
一週間前に突然言い出したことだったが、母の知人の持ち家がたまたま空いていたことから、トントン拍子で事は進んでいった。

二月、東京の家を引き払い、仕事関係者に軽く挨拶を済ませて帰省した。
実家には、母と妹二人、義弟、それから次女の2歳になる娘と今月生まれたばかりの息子が、小さなアパートに暮らしていた。長女は介護職の激務でほとんど家におらず、義弟は三月から京都に単身赴任が決まっていた。母と次女が育児と6人分の家事を分担していた。

だが、僕が帰省した翌日、母が道ばたでこけて顔面を強打、左腕を骨折した。全治4ヶ月だった。
帰省した日も少しおかしかった。
洗い終わったはずの皿に食べかすが残っているし、運転中何度も道を間違えた。僕だけでなく、母も年を重ねている。

だから旅行をやめるつもりだった。山の多い神戸では、海辺にある母の職場まで車を使うのが普通だが、片腕で運転するのは危険すぎる。僕だって、母の左手分くらいには家事をこなせるだろう。

だが、母はプライドが高かった。僕と彼女の長期旅行をやめさせたくないと言ってきた。彼女の母親に合わす顔がないと言う。たしかにその顔で会わせたくない。

だから僕らは淡路島に住むことにした。
何かあったら30分で家に戻ってこられる。
10年前なら30分おきに出るフェリーで明石まで行かねばならなかったが、今は10分おきに橋の上を高速バスが走っている。
島にも一度住んでみたかった。
僕は海が好きだ。特に瀬戸内の海が。太陽の光を照らしながら潮がやさしく揺れて湖のように静かな海は、おそらく水温以上にあったかい。
東京に来て一番苦しかったのは、海が近くにないことだった。僕は生まれてからずっと海が生活の中心にあった。

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