最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第7日目
前回のお話は以下URLから。
第7日目(2007年7月16日)
(秋田ー十二湖ーウェスパ椿山ー木造ー)秋田ー羽後本荘ー酒田
7.1 リゾートしらかみ号で寄り道
僕は、毎年のように五能線を旅している。それは、五能線が僕に居心地の良さを感じさせてくれるからだ。五能線に初めて乗車したのが1999年のこと。午後に東能代駅を出る深浦行きに乗り、車窓に広がる日本海の眺めに息を呑んで以来、この路線の虜になってしまった。2000年は乗る機会がなかったが、2001年以降、毎年のように乗りに来ている。それだけお気に入りの路線であった。
ところが、五能線は、以前はきちんと最長片道切符の経路に含まれていた。しかし、2002年12月の東北新幹線八戸延伸開業以降は経路が変わってしまい、五能線は花輪線と共に経路から外れることになった。僕としては何とも口惜しい話で、経路の設定の楽しみを最長片道切符によって奪われただけでなく、いの一番に乗りたい路線にすら乗れないのである。しかし、経路に含まれないというだけであって、乗ってはいけないということではないから、僕は敢えて別途運賃を支払って乗車することにしたのである。五能線を回るなら、以前から利用を考えていた五能線パスを使おうと、購入したのは昨夜の通りである。
五能線パスは、秋田から五能線を中心にした格安のチケットで、エリア別に3種類用意されている。リゾートしらかみ号の指定は取り放題なので、リゾートしらかみ号を利用する上でも有用なきっぷといえよう。
さて、僕は、秋田駅の待合室の中にあるコインロッカーへ荷物を預けた。先日の釧路駅の場合と同様に、結果機動力が向上する。まさに肩の荷が下りた感じで、身体が軽い。以前に知人に勧められていた秋田駅の駅弁、ハタハタすめしを買いに、中央改札口を抜けたところにある駅弁屋を訪ねた。
「うちは、ハタハタすめしはやってないんよ」
店のお嬢さんは、そう言って申し訳なさそうにしている。こちらも、せっかく訪ねておいて何も買わずに立ち去るので申し訳ない思いで挨拶をして離れた。ハタハタすめしは、トピコ口と呼ばれる西口改札を出たところにあった。そこで早速、ハタハタすめしを購入する。そして、早足で先ほどの駅弁屋まで戻った。
「あった?」というお嬢さんの問いかけに、私は「ありました」と応える。そして「お茶をください。お茶くらいこっちで買わないと申し訳が立たないから」と言うと、お嬢さんは「すいませんね」と笑顔で応えた。
8時26分、リゾートしらかみ1号は秋田駅を出発した。進行方向右側が僕の席で、大きな車窓には澄み切った青空が広がる。昨日までの荒天が嘘のようである。土崎の工場を見ると、国鉄急行色のキハ58などが留置されている。
きょうのリゾートしらかみ1号の乗車率は意外に良くないようだ。僕の座る1号車は乗車率は20%程度であった。その上、僕の周りには誰もいない。おそらくは途中駅から乗車してくるのだろう。僕は、後部にある展望席へと移った。
誰もいない展望席からは、青々とした水田の広がるのが見えた。青い空に色鮮やかな水田の緑、こういう景色を僕は見たくて旅をしていると言っても過言ではない。雨の降るのもそれなりに情景というものを感じるが、得も言われぬ気分にさせてくれるのはやはり蒼天であった。
リゾートしらかみ号は、秋田から奥羽本線を北上した後、東能代駅に到着する直前で東へ急カーブをして駅に入る。そして、東能代駅から五能線に入るが、五能線は東能代駅の西側から分岐する。したがって、リゾートしらかみ号は、上りも下りも東能代駅で進行方向を変える。そのために、僅かながら停車時間が長い。それを利用して、ホームではお茶がサービスとして振る舞われる。暑いので、冷たいお茶が美味い。
東能代で座席の向きを変える。ホームに出ている間に乗客の数が増えている。東能代から乗車があったようである。
東能代から五能線に入り、五能線最初の停車駅能代駅に立ち寄る。ここでは、リゾートしらかみ1号限定のイベントがあって、やはり5分停車する。そのイベントとはバスケットボールのゴールシュート大会で、見事ゴールを決めることができれば景品がもらえるというものだ。僕は、何度となくこのイベントに参加をしているが、まだゴールを決めることができないでいた。三度目の正直もどこへやらで、今回も景品をもらうことはできなかった。
車内に戻って、秋田駅で買ったハタハタすめしを食べる。ハタハタは開いたものを焼いてあり、美味い。しばらくすると、左手の車窓に海が見えだした。やや薄曇りながらも、雨も降らず、昨日のような台風の影響は見られない。
五能線の南側のハイライト、岩館-大間越間の風光明媚な海岸美を窓外に見ながら行く。車内の乗客らはそれを食い入るように覗き込んでいる。都会では見ることのできない自然の造形美だ。
列車は、その愛称にもなった青池の最寄り駅たる十二湖駅に到着した。私はそこで下車した。
7.2 青池へ
十二湖駅に降り立った。実は、昨夏も同じようにリゾートしらかみ1号から十二湖駅に降り立った。そして、今年もまた昨年の行程を舐めるかのように同じコースを辿る。
列車をホームで見送った後、携帯電話に着信履歴が残っているのに気づいた。祖母からである。丁度、列車から降りたこともあってすぐに折り返して電話をすると、祖母は心配そうに「大丈夫?」と聞く。何事かと思って話を聞くと、ついさっきに新潟県で地震があったそうである。次第に祖母も興奮をし始めて、「震度6」としきりに電話口で口にする。こちらは、その時間、列車に乗っており、揺れは感じられなかった。
電話を終えると、今度はメールが届いていた。この旅に出て貴重な情報をサポートしてくれている友人からで、読めば祖母と同様、新潟県で発生した地震速報であった。「10時15分頃地震発生。震度6強 新潟県中越 長野県北部・・・」とあった。
僕が平成7年の阪神・淡路大震災に被災して以降、幾度となく発生した各地における震災の報道を耳にする度に、得も言われぬ不安にかられる。こういう状態をPTSDというのかどうかは知らないが、その不安を沈めるために情報を収集して現状認識を高めようとする。被災直後の情報不足で不安にかられた故の反動なのかもしれないが、僕にはそういう面がある。
十二湖駅前から出ている奥十二湖行きのバスで青池へ向かう。線路沿いの国道を左折して山への登り道を行く。情報収集していた携帯電話の電波が届かなくなり、不安は増す。諦めて車窓を楽しむが、あまり乗り気になれない。
バスの運転手は白髪の高齢の男性であった。僕の他に数人の乗客がいたが、運転手はマイクを通して、沿線案内を始める。随分と慣れた様子で、日本キャニオンや十二湖の観光案内を実に軽妙にしてくれる。普通の路線バスだが、観光バスのようだ。
バスの終点で降りる。挑戦館という案内所から林道を5分ほど行けば、青池の入り口に出る。ハイキングコースのような階段を登っていくと、左手にウッドデッキがあって、そこから青池を俯瞰して見ることができる。何と青いのだろうか。
下から続く階段を上まで登り切ると、開けた場所に出る。ここからがブナの原生林の中を行く遊歩道となっていて、僕はその中へと入っていく。直立不動の木々が立ちこめる風景は、自然が作り出した美というべきものであろうが、そのようなものが、遊歩道が砂利道として整備されている部分には人の手は加わっているとはいえ、21世紀に至る現在まで残されていたということに驚きを禁じ得ない。
かつては、白神山地も道路整備により開発の手が伸びようとしたことがあったそうである。ブナの原生林を守らんとする人の運動によって、その開発は止められ、白神山地の自然は守られたのであった。そして、今は世界自然遺産に登録されるまでになっている。それだけの価値を我々が認識できる場所ということになる。
得も言われぬような雰囲気の中をただゆっくりと歩く。森林浴など、自宅近辺では中々できなくなって、こういう雰囲気を味わうのも難しくなってきたように思う。
緑のトンネルを抜けると看板があって、右に行けば「沸壺の滝」に抜けるとある。果たしてその方向へ向かってみるが、今度は下りとなっており、一段一段を転けないようにと慎重に降りる。鬱蒼とした木々の中を行けば、そこに沸壺の池はあった。青池ほどではないが、こちらも青い。しかし、以前はもう少し池の方へ近づけたのだが、今回は遊歩道から池側へは立ち入れない。地盤が軟弱になっているのだろうか。
さらに先へ進むと、急な階段へ出る。そこを降りるとアスファルトで舗装された道路に出る。道路の向かいを見ると、こちらは緑色によどんだ池が広がる。しかも大きい。
少し歩くと、十二湖庵という茶屋がある。湧水の流れる小川の水は飲める様子で、水飲み場の水を柄杓で梳くって、喉を潤した。そして、茶屋にいる女の人に、「お茶を頂きたいのですが」と催促すると、しばらくして、たてられたお茶と、茶菓子を持ってきてくれた。実はこれは無料サービスである。
汗を拭って、一休みをしていると、奥十二湖方面からバスがやってきた。この辺りにはバス停はないが、タクシーのように手を挙げれば停車して乗せてくれる。行きの運転士さんとは別の人だったが、僕が日本キャニオンが見えるところでカメラを構えると、減速してゆっくりと走ってくれる。「ありがとうございます」とお礼を言うと、優しそうに「撮れた?」と返してくれた。バスは、九十九折りの坂道をゆっくりと下っていく。途中、木の棒を片手にリュックを背負った若者が歩いて山を下りている。一昔前ならば、僕もそのような真似事もできたろうに。
7.3 五能線の旅、その2
十二湖駅に戻ってきた。携帯の電波も戻り、地震の情報が入っていないかと、早速メールをチェックする。新しい情報は入っていないので、駅に行き情報を集めることとする。十二湖駅は物産センターを併設しているものの、きっぷの販売はなく、事実上の無人駅である。そこで駅舎内に掲げられている案内を見ると、鰺ヶ沢駅に問い合わせてもらいたい旨の表記が出ていたので、そこへ電話を掛けてみる。
「今のところ、あけぼの号の運休はないですね」
電話に出た係員はそう言って応対してくれた。
12時03分、十二湖駅から321D列車に乗り込む。キハ40形2両の深浦行き鈍行である。この列車が、本来の五能線の姿である。白神山地の西麓にある漁村を海岸に沿って走る五能線は、閑散ローカル線の代名詞的存在であった。それが、平成2年に観光列車、ノスタルジックビュートレインの運行が開始され、そして平成9年にリゾートしらかみ号が運行を開始すると、一躍観光路線として注目を浴びることとなったのである。
321Dには、リゾートしらかみ号にはないノスタルジーが感じられる。リゾートしらかみ号は観光列車だけあって、乗って楽しむための賑やかさというものが感じられるが、一方で国鉄型のこのローカルな車両に流れる雰囲気は対照的だ。レールの継ぎ目を通過する度に発するガタンゴトンという音と揺れが、人の賑やかさの感じられない静寂さをより印象づけている。
ウェスパ椿山には12時19分に到着した。
7.4 ウェスパ椿山で温泉
ウェスパ椿山は、青森県深浦町にあるリゾート施設の名称である。先日下車した流山温泉駅の性格をもつ駅で、駅を降りるなり、広大な敷地に物産館や温泉施設、レストランなどを擁する。駅は無人駅で流山温泉と変わりないが、こちらの方が整備されており、駅前に行き交う人の姿も多い。
僕は、物産館横から出ているスロープカーに乗って、展望台のある山を登り、そこから景色を眺めようかと思った。しかし、帰ってくれば、リゾートしらかみ3号の発車時刻は過ぎている。それでは具合が悪いと、展望台は諦めることにした。すると、この後時間を潰すためにはどうしたらいいかを考えると、温泉に浸かること以外に選択肢は見つからなかった。
ウェスパ椿山駅からやや下りに掛かった道を海岸の方へ歩いていくと、プラネタリウムのようなドーム形をした屋根の建物へ行き着く。これが鍋石温泉である。私は、お風呂の用意はしてこなかったが、一風呂浴びるつもりであったし、タオルは汗拭き用のものを持っていたから、それで代用することとした。
脱衣所で服を脱いで、浴室とを隔てているドアを開けると、目の前に日本海が広がるのが見えた。そう、この鍋石温泉は日本海に面する崖の上に作られた温泉なのである。石鹸で軽く身体を洗った後、浴槽に浸かる。日本海のパノラマを堪能しながら汗を流すのは気持ちが良い。
風呂から上がって、アイスクリームを買った。それを休憩所に持っていって食べようとすると、テレビが点いており、例の地震のニュースが報道されていた。見ると、柏崎刈羽原子力発電所が映し出されて、黒煙が上がっているのが見える。また映像が移り変わり、柏崎市の旧家屋が倒壊している様子や、柏崎駅で越後線の普通列車が脱線して横転している様子などが映し出された。
僕は、また不安にかられた。震災後の生活はどれだけ苦労するかということが、僕にはある程度理解できる故に、被災された方を思うと気の毒でならない。僕は自宅に戻ってから、できうる限りのことをしようと決めた。
7.5 五能線の旅 その3 リゾートしらかみ3号
さて、13時21分、リゾートしらかみ3号はウェスパ椿山駅を出発した。やはりさっきの321Dとは雰囲気がまるで違う。こちらの方が賑やかだ。すると、まもなく友人からメールが届けられた。「あけぼの、ウヤ決定です」と。
20分ばかり走って深浦を出ると、左手車窓に赤茶けた色の奇岩が見えだした。行合崎海岸、五能線の第2の見所であり、僕の最も大好きな車窓である。日本海の荒波と、吹き荒ぶ季節風に揉まれて、いつしか風化した結果、このような表現しがたい形となって、青い海に映えてその存在を主張する。
列車は千畳敷駅に到着した。千畳敷とは、地震により隆起した海底が海面上に現れた岩盤で、江戸時代の殿様が千畳もの畳を敷いて、そこで宴を催したことに由来するのだそうだ。確かに比較的凹凸の少ない岩盤は畳も敷きやすかろう。なお、リゾートしらかみ3号は、ここでは10分ほど停車するので、千畳敷海岸へのミニ散策も可能である。
さて、僕は千畳敷の散策も程々にして、この後の行程を再考した。予定では、このまま弘前まで行き、折り返しのリゾートしらかみ6号にて秋田へ戻る。秋田からは、寝台特急あけぼの号に乗り継ぐというものだ。しかし、あけぼの号は既に運休が決定している。信越本線の青海川駅付近で土砂崩れもあったというから、大阪行きの寝台特急も運休だろう。そうすれば、酒田までは普通列車で行かねばなるまい。そう考えて時刻表を捲ると、このまま弘前へ行くなら、奥羽本線をそのまま南下するより他はないことがわかった。
しかし、私は五能線の夕日を見てみたいので、6号に乗るつもりでいたのである。とすれば、何とか五能線から、日本海に沈む夕日(おそらくは時間的にもまだまだ早いので「夕日」とは言えないだろうが)を見られやしないものだろうか。さらに時刻表を見ると、上りにリゾートしらかみ4号というのがある。これに乗れば、秋田着は18時59分であり、そこから羽越本線の普通列車にも乗り継げる。夕日にはまだ早いが、西に傾いた夕日の卵は見られるだろう。今乗車しているリゾートしらかみ3号の次の停車駅は鰺ヶ沢駅である。14時34分に到着する。一方、秋田行きのリゾートしらかみ4号は鰺ヶ沢を15時40分に出る。その間、およそ1時間である。とすれば、もう少し先までこの3号を乗れないか。検討した結果、私は木造駅まで行くこととし、そこから折り返すことにした。問題は、4号の指定券が残っているかどうかであった。
鰺ヶ沢駅から津軽三味線の演奏家が乗ってきた。彼女らは、このリゾートしらかみ号のイベントで乗車したのである。リゾートしらかみ号は一部列車において、津軽三味線の生演奏まで聴けるのである。これは先頭車両の展望デッキにおいて演奏されるが、2号車や3号車でもスピーカーを通して聞くことが可能だ。演奏は、五所川原まで続けられるが、私は件の理由により、惜しみつつ木造にてその演奏を中座した。
7.6 木造駅にて
木造駅のホームに降り立つ。整備されてしっかりとしたホームであった。名前は木造でも、駅舎はコンクリート製の鉄筋ビルであった。
木造駅の窓口へと向かう。駅の窓口などのいわゆる駅待合部分は意外に狭小であった。木造駅は簡易委託駅らしく、僕よりも若いお姉さんが窓口の向こうで鎮座していた。
僕が「すみません」と声を掛けると、愛嬌のある声で「いらっしゃいませ~」とテレビで見た女芸人のような口調で言う。リゾートしらかみ号の指定券の発券を願い出ると、「10分くらい待ってもらえますか~」と相変わらずの口調で言う。
彼女に指定を取ってもらっている間に、僕は外に出て駅舎を見学する。木造駅には地元で有名なあるものがオブジェとして駅舎に建てられている。それは土偶で、2階建ての駅舎を越える大きさだ。その大きさに圧倒される。
しばらくしてから窓口へ行くと、お姉さんは発券してくれた。「お待たせしました~、最後の一席でした~」と料金専用補充券を渡してくれた。五能線パス利用なので、料金は掛からない。売上に貢献するためにもと思って、入場券を購入しておく。
リゾートしらかみ4号の到着までまだ10分ほどあったが、することもないのでホームに出てみる。青空が広がり、気持ちが良い。向こうの方には、津軽富士こと岩木山が見えるはずなのだが、人家に阻まれて裾がチラリと見えるだけであった。
7.7 五能線の旅 その4 リゾートしらかみ4号
15時18分、快速リゾートしらかみ4号は木造駅を出発した。車両は、今朝、秋田から乗車した青池編成で、青森から折り返して来たのであった。
車内は乗車率が高かった。僕は3号車にある自分の席に荷物を置いて、展望デッキへと向かう。そこで晩酌セットの申し込み用紙を取り、それを記入して回ってきた車掌に渡す。リゾートしらかみ4号では、川部駅出発後から鰺ヶ沢駅到着までに申し込むことで、あきた白神駅発車後に席まで出来たての弁当を持ってきてくれるというサービスを実施している。夕食代わりに、珍しい弁当を食するのも良いだろうという軽い気持ちで申し込んだ。
僕の席は通路側なので、お目当ての車窓が映る区間になると、展望デッキへと移る。幸いにも展望デッキには人が少なく、撮影はしやすかった。鰺ヶ沢を過ぎると、海が見え始める。既に太陽は日本海の向こうに沈む準備を始めたかのように、西へと傾き掛けていた。それが海面のさざ波に映えてキラキラと光って見える。
北金ヶ沢駅を通過して、北金ヶ沢の集落を抜けようかというときである。展望デッキで集落を眺めていると、身体が前のめりになって衝撃を感じた。次の瞬間、展望デッキで前方を眺めていた中年男性が、「おおっ、お婆さん、危ない!」と驚いて声を発する。その声と同時に、3号車の乗客は立ち上がってデッキの方を向く。
どうやらギリギリのところでお婆さんを轢くことなく、列車は現場を通過した。展望デッキの側窓から、何食わぬ顔をして歩いていくお婆さんの姿が見えたが、田舎ではよく見かける事象である。危険なことなので是非止めていただきたいが、数時間に1本という運転間隔の線区では、わざわざ遠回りして踏切を渡るよりも線路を横断する姿を見かける。線路沿いに畑がある場合などは特にそうで、農作業のお年寄りが線路を横断して近道をするのだ。足の弱いお年寄りだからこそ近道として選ぶのだろうが、果たして危険なわけである。
千畳敷を通過し、例の赤茶けた奇岩が並ぶ行合崎海岸を通過して、列車は深浦に到着した。ここで下りのリゾートしらかみ5号と交換する。そのために、4号は深浦で6分間停車する。
僕はその時間を利用して、外へ出てみた。陽射しはあるが、空気は澄んでいて涼しい。ホーム上は私と同じように小休止するために4号から出てきた人や、これから5号に乗車する人で賑わった。5分ほどして、軒の迫るカーブの向こうからチラリとウッドペッカーの面持ちをしたしらかみ号が顔を出した。リゾートしらかみ号の第3編成である、くまげら編成である。
深浦を出て、再び海岸線を走る。大間越のハイライトを臨むと、日本海の向こうへ去りゆく太陽が益々その高度を下げて、さざ波の煌めきを縦に伸ばしていた。もうすぐ夕暮れなのだが、如何せん夕焼けに染まる日本海を見ることはできそうにもなさそうだ。そもそもそれを見るために予定では6号の乗車を選んでいたのだが、事態が事態だけにやむを得まい。
あきた白神駅を出てしばらくすると、車内販売のお姉さんがやってきて、私に例の晩酌セットを届けてくれた。早速開けても良かったが、この後東能代で進行方向を変えることは知っていたから、東能代を発車した後に頂くことにした。
東能代を出て、進行方向が変わり、秋田を目指す。晩酌セットを開いてハタハタなどに舌鼓を打つ。飲めない酒を飲んだものだから、あっという間に良いようにできあがって、顔は赤く染まって熱い。
八郎潟を通る頃になって、ようやく空の色に赤みが見えだした。一日の終わりを告げるようであり、それは僕にとっては今日の寄り道が終わるのを知らせるようであった。終着の秋田へ到着する頃にはすっかり夜が始まりだしていた。
7.8 秋田駅はダイヤ乱れ中
秋田駅で預けていた荷物を引き取って、改札を抜ける。発車案内には「いなほ7号|青森」の表示があり、階段を下りて見てみると、かもしか号に使われる車両で臨時に秋田始発のいなほ7号を仕立てていた。
2番線へと向かう。羽後本荘行きの普通列車は既に2番線に停車していた。これから帰る人たちで既に車内は混雑をしていた。その中で空席を見つけて、そこへ座る。まだ酒が抜けきらないせいか、顔が熱い。
19時42分になったが、列車は一向に発車する様子を見せない。車内アナウンスがあって、東京からのこまち号が遅れていて、その接続待ちなのだという。
友人からの情報に寄れば、酒田以北の羽越線は特急列車を除いては通常通りの運行がなされているという。結局、13分遅れで秋田駅を出発した。比較的大きな窓の普通電車なので、明るい時間であれば日本海か鳥海山でも臨めるのだろうが、今はすっかり暗くなってしまって車窓には所々に見える人家の灯りがチラチラと映えて見えるだけである。客層を見れば、老若男女とも秋田から帰る人の姿が多く、こまちから乗り継いだと思われる観光帰りの客も見られた。なお、ここから最長片道切符の旅のルートへと戻る。
20時40分頃、やはり13分遅れて終点の羽後本荘に到着した。外は霧が少し出ていた。
7.9 羽後本荘
羽後本荘は秋田県南部に位置する由利本荘市の玄関口であり、そこを通るすべての特急列車が停車する主要駅の一つである。国鉄時代には、ここから矢島まで矢島線という支線が出ていたが、現在は第3セクター鉄道の由利高原鉄道として地域の脚となっている。羽後本荘駅はJR東日本の駅である一方、そこには由利高原鉄道も乗り入れており、乗車券の専用窓口も改札口横に設けられている。僕はそこで補充片道乗車券や硬券乗車券などを記念に購入した。
羽後本荘から乗車した558M列車も5分遅れていた。この列車は秋田から始発の普通列車だが、大半の客は羽後本荘で降りてしまっており、車内は空席が目立つ。
ようやく酒も抜けて、顔の火照りもなくなってきた。口元が寂しいので、何かないかと鞄を探るが出てこない。秋田駅で何かお菓子でも買っておけば良かったと思ったが、時既に遅し。仕方なくお茶を口に含む。こういうとき、本が一冊あれば没頭して読むことができるのだが、読書に夢中になるのは何も旅先でなくとも良いじゃないかと思ったので、今旅中には本は持ち合わせないことにしたのだった。
きょうは、最長片道切符の旅としては、2日目に次ぐ短さで、2日目と同様、寄り道の方が長い一日だった。一昔前ならば、僕の好きな五能線が最長片道切符のルートに組み込まれていたから寄り道などして周る必要もなかったのだろうが、今はルートから外されている。ルートを外されているからといって、すぐ目の前を通過して立ち寄らないのは、勿体なくもあったのだ。
5分遅れで終点の酒田駅に到着した。案内では鼠ヶ関行きの最終列車の発車が迫っていることを告げていた。酒田以南でも運行を再開しているようである。下車印を押してもらったときに、明日の運行状況を聞いた。駅員の言うには、今のところ羽越線は特急いなほ2号から平常通りの運転を予定しているという。また、米坂線も平常通りの運転をする予定だそうだ。
私は、酒田駅前のα-1にチェックインした。部屋に入り、シャワーを浴びて汗を流す。テレビやインターネットで震災の情報を得るが、信越本線青海川駅の土砂崩れや、柏崎市内の建物崩落の様子を見て、被害が予想していた以上に甚大だと感じると同時に、12年前のあの日のことを思い出した。
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