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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第8日目

前回のお話は以下URLから。


第8日目(2007年7月17日)

酒田ー坂町ー米沢ー赤湯ー山形ー新庄ー鳴子温泉ー小牛田ー一ノ関ー気仙沼

▲ 7月17日の行程

8.1 特急いなほ2号

▲ 鳥海山

 ホテルの一室から外を眺めると、酒田駅の操車場が見え、その向こうには東半分を朝陽に照らされて眩しい鳥海山が見えた。今朝は、晴れているようである。準備をして、ホテルから出ると、朝陽がさらに高くなって、光線の強さが増していた。昨夜見られなかった酒田駅の姿が逆光の中に浮かび上がっていた。

 5時20分頃に酒田駅に着いたが、既にビジネスマンを中心に10人以上の客が集まっていた。そのいずれもが、僕と同じく特急いなほ2号を利用するようであるが、窓口での様子を伺っていると、僕は坂町まで利用するのに対して、多くは新潟、あるいはそこから上越新幹線に乗り継いで東京へ行くようである。昨日の新潟県で発生した地震の影響はないようである。

▲ 特急いなほ2号

 特急いなほ2号は、酒田を5時42分に出発した。国鉄型485系電車のオリジナルの外観を残したまま、塗色や内装の更新などをした車両である。これとは別に3000番台という外観もリニューアルしたタイプがあるが、やはりオリジナルの方は経年による古めかしさは否めない。なお、この列車の塗色は白地に青とエメラルドグリーンの帯を纏っているが、これを新潟色などと呼び、JR東日本の新潟車両センター所属の車両であることがわかる。すなわち、東北地方にある酒田でこの車両が見られるということは、甲信越地方はもうすぐそこにあることである。

 最上川を渡る。青々とした庄内平野を突っ切っていくと、晴れていた空に雲量が増し、そして青空を隠してしまった。しばらくして、山形県第2の都市である鶴岡市の玄関口、鶴岡駅に到着する。ここから乗客が増えた。

 右側の車窓に日本海が見えだした。曇りの中、重たい感じは否めない。晴れていれば、底まで見通せるほどの水色の日本海を眺めることもできる、風光明媚な笹川流れを拝むこともできるのだが、こうも暗くては臨めそうもない。そういえば、東北はまだ梅雨だったのだと思い出した。

▲ 粟島

 鼠ヶ関を越えると、いよいよ東北地方から甲信越地方に入る。すなわち、新潟県に入った。海の向こうに、なだらかな稜線を頂にする島影が見える。粟島で、島自体が粟島浦村という自治体の領域となっている。新潟県に属し、本州とは村上市の岩船港とをフェリーや高速船で結んでいる。羽越本線とは、笹川流れを挟んで位置するので、車窓からでも眺められるのだ。

 7時10分、いなほ2号は坂町に到着した。

8.2 米坂線

▲ 米坂線普通米沢行き

 1時間半近くも列車に乗ってきたのに、まだ7時過ぎとは随分と出発が早かったことを伺わせる。薄曇りの坂町駅に降り立つと、同じホームの向かい側には、国鉄急行色のキハ58形気動車が発車を待っていた。乗り継ぎ時間は2分なので、取り急ぎ撮影だけして乗り込む。車内に乗客の姿はほとんどなかった。

▲ 荒川

 7時12分に坂町を出ると、列車は右へカーブして米坂線へと入る。左手に大きな川が流れるが、これが荒川である。

 米坂線は、新潟県の坂町駅と山形県の米沢を結ぶローカル線である。新潟県と山形県の県境付近に位置する小国駅の手前までずっと荒川と並走しながら標高を稼いでいき、そこから先は米沢盆地を目指すように、徐々に山岳区間を下っていく。

 僕はこれまで何度か米坂線には乗車しているが、ここ最近は晴れた日に恵まれない。きょうもまた、空には雲が覆い、窓外は暗く感じた。

 荒川の流れに逆らうようにして、ゆっくりとした速度で勾配を上がっていく。雨こそ降っていないが、今にも降り出しそうな雰囲気を醸し出している。窓外に荒川の水力発電所のダムを見る。水力発電所は勾配の大きな河川に造りやすいと聞く。ダムを越えるまでは、水面は線路の下方に見えていたが、そこを越えれば、水面の高さは増して、河川の幅も広くなった。列車は、米坂線の新潟県内最後の駅である越後金丸に到着した。

▲ 越後金丸駅にて

 越後金丸でしばらく停車する。坂町行きの普通列車と行き違いをするためである。外の空気を吸いに車外へ出てみると、まるで時間が止まったような空気が感じられる。暑くも寒くもない。僕の背後にはキハ58のディーゼルエンジンがカッカッカと音を発しているはずなのだが、雑音なども聞こえない。僕は、静寂の中にいた。しかし、その静寂がカンカンカンという小さな電子音によって僅かに傷つけられると、そこから静寂は一気に収束して僕を音のある世界へと呼び戻した。駅の向こうで遮断機が下りると電子音がやや小さくなり、そして米沢方面からキハ52形とキハ47形の2両連結の列車がやってきた。僕は、それらが進入するや否や、車内へと戻った。

▲ 峡谷のような車窓

 越後金丸を出ると、山岳地帯もクライマックスとなる。これまで並走してきた荒川は次第にその川幅を狭くして、そして米坂線も勾配を上げるから、まるで峡谷のようになって眼下にそれを見下ろす。そこを過ぎれば、水田のやや広がる場所へと出る。既に新潟県から山形県に入っており、程なくして小国駅に到着する。

 徐々に勾配を下っていくが、登ってきたほどには下りないようである。飯豊町の中心駅、羽前椿駅に停車する。ここでもしばらく停車するので、外へ出てみた。駅では、簡易委託の駅員が窓口を開けていたから、そこで入場券を記念に買っておいた。

 さらに走ると、左手前方から山形鉄道フラワー長井線の線路が延びてきて合流し、今泉駅へ到着する。

▲ 今泉駅

 今泉駅は、知る人ぞ知る駅である。というのも、最長片道切符の旅をした先人である故宮脇俊三氏が終戦の詔勅を聞いたのはここ今泉駅なのである。その辺りのことは、彼の名著、「増補版時刻表昭和史(角川出版)」の第13章米坂線109列車に詳細が綴られているので多くは語らないが、終戦時においても日本の汽車が時刻表通りに走っていたことを物語る象徴的な事象として随想されている。

 列車は、今泉駅で24分も停車するから、僕は外へ出てみることにした。宮脇氏が終戦詔勅を聞いたという面影はないだろうが、62年前のあの日、彼は確かにそこへ立っていたのである。

 赤湯方面から来る山形鉄道を待って、列車は再び米沢へ向けて出発した。

▲ 米沢盆地

 今泉を過ぎると、米沢へ向けて水田地帯を行く。羽前椿駅から北上した路線は、今泉で東を向いたかと思うと、今度は米沢へ向けて進路を南へと取る。米沢の市街地へ入ると、Uの字を描くようにまた進路を北向きへと変える。まるで三角関数のグラフを見ているかのような線形をしている。今泉から山形方面へ行くには、今泉からそのまま東進して奥羽本線へ出れば近いが、江戸の時代より城下町として栄えた米沢を無視することはできなかったのだろう。

 米沢には、10時丁度に到着した。

8.3 米沢で駅弁を買う

▲ 米沢駅

 米沢は上杉氏の城下町として栄え、現在は置賜地方の中心を担う都市圏を形成している。米沢と言えば、全国的にもそのブランド力が活きる米沢牛が有名である。

 僕はまだ朝食を取っていなかったので、ここで駅弁を買うことにした。以前に米沢では新杵屋の「元祖牛肉弁当」を買ったので、今回は松川弁当店の「米沢のうしめし」を買うことにした。

 最近は駅弁製造も厳しく、会社を整理して名物と謳われた駅弁が姿を消していく中にあって、ここ米沢は地方都市にもかかわらず、2社が競い合っているという現状を見て取ることができる。両社が競い合うことで、優れた商品が研究開発され売りに出される。それは取りも直さず、我々旅行者を始めとする客にとってありがたい話である。

▲ 普通山形行き

 米沢からは10時42分発の普通山形行きに乗車した。東北本線や奥羽本線、羽越本線で乗車した701系と同タイプだが、こちらは線路の幅が新幹線と同じ1435ミリに対応した車両となっている。したがって、このタイプの電車は在来線でありながら、線路の幅が1067ミリである一般の在来線を走ることはできない。では、どうしてそもそもこの区間の在来線は、一般の在来線とは線路幅が違うのか。それは、この区間を新幹線が走るためである。東京から東北新幹線を走ってきた新幹線が福島から奥羽本線へ直接に乗り入れるため、1067ミリから1435ミリへ変更したのである。しかし、それでは以前から運行していた在来線車両は使えないことになる。そこで新たに新しい線路幅に対応する車両を製造し、運行しているというわけである。

 置賜地方は、左右の山脈の間に広がる盆地が南北に伸びる地形なので、比較的平地な部分に水田が広がる。青々とした緑のカーペットが自然豊かであることと同時に、農業の盛んな地域だということを伺わせる。

 程なくして、赤湯駅に到着した。

8.4 赤湯駅にて

▲ 赤湯駅

 赤湯駅で下車したのは、山形鉄道で切符などを記念に購入するためであった。しかし、その前に赤湯から利用する山形新幹線つばさ号の特急券を購入しにみどりの窓口へ向かった。

 特急券と山形新幹線開業15周年記念入場券セットなるものを購入して、みどりの窓口を後にすると、赤湯駅の構内では特産品などの販売がされていた。その中で、カツサンドを売っている出店があり、徐に覗いてみると、愛想の良いおじさんがとても柔らかい物腰で「見てってください」と言う。その優しそうなおじさんが並べる商品を見ていると、これが本当に美味そうで、朝から何も食べていない僕は、それを買う。ホームに出て、跨線橋を渡って山形鉄道の駅舎へと向かうとき、米沢で駅弁を買っていたのを思い出した。

 山形鉄道は旧国鉄長井線を第3セクターとして引き継いだもので、奥羽本線・赤湯から米坂線・今泉を経由し荒砥までを結ぶローカル線である。以前に一度乗車したことはあったが、今回はそのときにできなかった、記念に切符を購入するということを済ませておくこととする。

 窓口で駅員に事情を話すと、快く引き受けてくれた。基本的には、きっぷを趣味蒐集することは、その使用に関しての本来目的を逸脱していると思う。すなわち、切符とは事業者と顧客の間で結ばれた運送契約に基づく権利を行使するための証票であり、コレクションのために発売する商品ではないからだ。とすれば、僕のやっていることは本来目的に反して切符を発券させているわけで、明らかに自己の持つ主張に矛盾する。

 しかし、これは極めて恣意的な解釈だが、権利というのは放棄することもまたできるわけである。蒐集という目的が前提になっている以上、相手方(この場合は鉄道事業者)を錯誤ならしめる契約を結んでいるから、そもそもその運送契約自体は無効のようにも思う。したがって、果たして権利を放棄するなどと偉そうなことが言えるのかまでは不明だが、いずれにせよ、僕はその切符で運送契約の履行を請求するわけでもないから僕に起因する直接の実害は発生しない。使いもしない切符の発券作業自体が威力業務妨害にあたるかについては、相手方の了承を得てのことだから、これも問題はないだろう。

 その駅員に色々と第3セクター鉄道、とりわけ山形鉄道の現状を聞いた。どうにも厳しいとのことであった。現状において、モータリゼーションの強い地域故、利用者はお年寄りか学生という、いわゆる交通弱者が中心であり、その利用数も年々減少しているから、運賃収入がままならないという点が圧倒的に経営を悪化させているという。県のお偉方は下から上がってくる数字を見て、白黒を判然とさせる。換言すれば、数字だけで判断をするということだ。しかし、経営の観点から言えば、数字を適正に読み解いて適切な判断をすることは何ら不思議ではないことである。ところが、鉄道に限らず、公共交通機関というものは、それ自身が持つ公共性を担保せねばならないわけで、儲からないからといって直ちに廃止すべきものではない。

 山形鉄道に限らず、地方の公共交通機関はいずれも沿線の人口減少により経営状態が思わしくないところばかりである。JRの特急が直通するだとか特異な理由があればこそ儲かっているという線区は少数である。

 僕の持論では、地方公共交通は国家規模でのバックアップが必要だと考える。地方の公共交通はそこに住む国民の生活の一部をなすものであり、いわばその存在自体が公共の福祉の一つとして具現化されたものと言っても過言ではない。したがって、国家が何もすることなく、その結果としてそれがなくなることで国民生活に遜色を与えてしまうならば、それは取りも直さず、統治権力たる国家としての不作為だというわけである(多分に大仰だが)。我々はそのような国家に対して、国民の名による国家への命令として憲法を持ち出すこともまた権利として有している。

 地方における公共交通機関を支えていくのは、何も国家任せ、自治体任せ、地元任せにしなくとも、僕にだってできることはある。目的は単なる趣味蒐集に過ぎないが、それでも結果として運賃収入に繋がるのだから。

8.5 つばさ号の賓客

▲ つばさ107号

 さて、赤湯発11時23分のつばさ107号に乗車する。秋田新幹線と同タイプのE3系である。最後尾のグリーン車に入り、自分の席を探すと、そこには既に男性がパソコンを開いて座っている。男性が僕に気づいて、席を替わろうとしたが、パソコンも開いていてそのような状況で替わるのも気が引けたので、本来はその男性が座るはずの席と替わることにした。グリーン車という性格からか、どうにも重たい雰囲気がする。

▲ とんかつ竹亭 オリジナル特製かつサンド

 赤湯駅で買ったカツサンドを頬張っていると、車掌さんが慌てて僕の席へと飛んでくる。その様子に怪訝さを感じたが、事情を話して切符を見せると深々と頭を下げて客室から出て行った。

 山形駅に到着した。つばさ107号は山形駅が終着なので、ここで全員が下りる。僕はあれやこれやと散らかしていたからそれを直すためにモタモタとしていた。すると、そんな僕の横を一人の老齢な男性がゆっくりとした足取りで進んでいくのが見えた。俳優小林桂樹の趣があったが、よく見てみると、総理経験もある超がつくほどの大物代議士であった。参議院議員選挙の遊説に来たのだろう。グリーン客室の重々しさ、僕の座席に座っていた男性、血相を変えて飛んできた車掌さん、すべてに納得がいった。僕の席に座っていた男性はおそらくは秘書か警視庁警備部の人間で入り口で不審な人間をチェックしていたのだろうし、車掌さんも当該列車のコンダクターとして要人に何かあってはJR東日本としての責任問題にも繋がるから神経を尖らせていたのだろう。そんなこととは露ほども知らないから、何食わぬ顔をしてカツサンドを頬張っていたのだが、入室したときに気づいていたらそれどころではなかった。

8.6 つばさ109号

▲ つばさ109号

 ここ数年、僕が山形駅に来る度に楽しみにしているのが、新幹線ホームにある売店で売られている玉こんにゃくである。醤油で煮込んだ玉こんにゃくをカップに入れてくれる。ここに来れば、いつもコレというくらいにはまっている。それを持って、山形から11時56分に出発するつばさ109号に乗って、新庄を目指す。

▲ 玉こんにゃく

 僕は山形新幹線で新庄まで行くために赤湯からつばさ107号に乗車したが、これは山形止まりであって、新庄までは行かない。後続のつばさ109号は赤湯駅には停まらないから、一旦山形までつばさ107号で行って、新庄行きのつばさ109号に乗り継ぐ。そんなとき、特急料金・グリーン料金は赤湯から新庄までの通しの料金で利用することができる。きっぷは、席番の指定されていない特急券・グリーン券の他、乗車する各列車の区間ごとに発券された指定席券が添付され、都合3枚で構成されている。

▲ 400系グリーン車車内

 山形から乗車したつばさ109号は、400系という先ほどとは異なるタイプの車両であった。山形新幹線が開業したときから使用されている車両で、山形新幹線の顔ともなっている。グリーン車内はE3系とは異なって、1列席と2列席の計3列の座席が並ぶ形態となっている。この車両も間もなく引退となって、新タイプのE3系に置き換えられると、JR東日本から報道発表があったばかりである。

 玉こんにゃくを頬張る。中までしっかりと味の染みたこんにゃくは、熱くて美味い。ささやかな至福のときを噛みしめながら、40分あまりを過ごす。新庄へ近づくにつれて、天候は悪くなって、ついには雨が落ちてきた。

 新庄には、12時39分に到着した。雨の降りはその強さを増して、ホームから見える新庄駅の車庫はうっすらと煙が掛かっているようだった。

8.7 陸羽東線

 新庄駅は南北に奥羽本線が走る一方で、東西へはそれぞれ陸羽東線、陸羽西線が分岐する一大ターミナルとなっている。郡山も、南北に東北本線が走り、東西へは磐越東線、磐越西線が分岐するので路線網だけを見れば似ているが、ここに降り立ったとき、新庄は郡山にはない雰囲気を醸し出すのに気づく。

 新庄は、路線図の上では確かに南北に奥羽本線が走り、その途中駅に過ぎないが、実際は線路幅が新幹線用の1435ミリである標準軌と、一般の在来線用の1067ミリの丁度境界線にあたり、しかも、線路は繋がっていない。その分断部分は陸羽東線の発車する5番線ホームへの導線となっており、山形新幹線の発着場と奥羽本線・陸羽西線の発着場の真ん中に立つと、左右に奥羽本線を見ることができるという不思議なレイアウトとなっている。新庄より北の湯沢市民や横手市民からすれば、新庄駅の分断を解消して、一日でも早くつばさ号の延伸開業を願うのだろうが、財源の確保などが難しい中、簡単にはいかないようだ。

▲ 普通鳴子温泉行き

 12時54分、僕は陸羽東線の普通鳴子温泉行きに乗車した。先日乗車した山田線や釜石線、北上線の車両と同タイプだが、外観の塗色は陸羽東線・陸羽西線用のものである。

 2両編成で、先頭の車両の乗車率は高かったが、後部車両は乗車率が低かった。米沢駅で購入した駅弁を頬張りたかったが、カツサンドと玉こんにゃくでまだ腹は減らぬ。

 まだまだ雨の降り止まぬ陸羽東線を列車は行く。左の窓に川が見えてきた。江合川である。雨が一時でも止んでくれればと願っていたが、鳴子温泉も本降りになっていた。列車は13時58分に鳴子温泉に到着した。

 鳴子温泉で途中下車をした。温泉に入るのが目的である。駅舎内にある観光案内所にて、日帰り入浴のできる施設を紹介してもらった。早稲田桟敷湯がそれだった。

▲ 早稲田桟敷湯

 早稲田桟敷湯は、早稲田大学の学生が掘り当てた温泉ということで早稲田を冠している。駅から温泉街を登っていくと、薄黄色い建物が見えた。これが早稲田桟敷湯であった。狭い路地を進むと、下への階段があって、そこを下りると受付であった。ここでタオルや石鹸などを買って中へと入る。内風呂が2つあって、源泉掛け流しとなっている。身体を洗って、早速湯船に浸かる。最初こそ熱かったが、次第にその温度に慣れて、身体の芯から温まってくる。

 のぼせてきたので、30分弱で上がる。脱衣場で時刻表を捲ってみると、15時03分に小牛田行きがある。当初は、16時03分の小牛田行きに乗るつもりであったが、今からなら15時03分発に間に合う。僕は急いで髪を乾かして、外へ出る。さっきよりも雨脚が強まっていて、大きな荷物を抱えている僕は傘もささねばならず憂鬱だ。

▲ 鳴子温泉駅
▲ 普通小牛田行き

 雨に肩を濡らしながらも、鳴子温泉駅まで戻ってきた。15時03分発の小牛田行き普通に乗り込む。先ほどと同じタイプの車両で、この天気のこの時間のことだからか、乗客は少なかった。鞄から、米沢で購入した駅弁を取り出す。流石に温泉に入った後には空腹感を感じたからで、小牛田までの間に味わおうという魂胆である。

▲ 米沢のうしめし

 米沢のうしめしは、洋食屋の定食の趣があった。ご飯の上に牛肉の炙りチャーシュー、ごぼうと牛肉のうま煮、牛豚あいびきウィンナーが乗せられ、そこへ特製の西瓜ドレッシングをかけて食べる。このドレッシングが意外に旨く、各肉も旨味が詰まっており、美味しかった。

 強まっていた雨も、古川を過ぎる頃には小康状態となり、終点の小牛田に着く頃には小雨に変わっていた。16時03分、小牛田に到着する。

▲ 小牛田駅

 小牛田駅では47分の接続時間がある。雨は小康状態になったとはいえ、50分弱だと行けるところは高々知れてはいる。小牛田駅前に何があるかなど事前に調べておかなかったので、この土地に明るくない。闇雲に迂路迂路できるような時間もないし、そろそろ疲れてきた。ここは、思い切って何もせずに身体を休めることにしよう。

 小牛田駅は橋上駅舎化されたばかりで、改札口付近は真新しかった。しばらくベンチに腰を掛けていたが、一旦腰を掛け出すと、中々重たく上がらない。

 それでも、せっかくだからと階段を下りて、駅舎を見に行った。階段を下りると、すぐロータリーなのかと思ったが、旧駅舎がまだ残されており、その中を通って駅前に出る形となっていた。ロータリーまで出ると、旧駅舎がよく見える。それは旧国鉄時代の急行クラス停車駅によく見られたようなタイプであるが、その古めかしさは否めない。

▲ この列車が折り返し、普通一ノ関行きになる

 16時50分、小牛田から乗車したのは普通一ノ関行きである。相変わらずの701系だが、こちらは仙台地区を中心に運用に付く1500番台と呼ばれるタイプで、仙台地区を示すグリーン、赤と白の帯を身に纏い、そして方向幕がLEDとなっているのが特徴だ。

 この時間になると、学生の数が目立つようになった。そういえば、今日は火曜日で平日であった。

 列車は石越駅に停車した。今年の春までくりはら田園鉄道が運行していたが、今は廃止されてその姿は見られない。元々鉱山輸送のために造られた鉄道だから、鉱山輸送の需要がなくなった時点でその使命は終えていたのかも知れない。

▲ 一ノ関駅

 一ノ関には17時37分に到着した。一ノ関駅で前沢牛ハンバーグ弁当なる駅弁を買う。今夜の夕食にするつもりである。

▲ 普通盛行き

 18時29分発の大船渡線普通盛行きに乗車した。大船渡線は非電化区間なので、気動車である。こちらはキハ100形であり、先ほど陸羽東線で乗車したタイプよりやや車両の長さが短い。東北線の列車と同じく、大船渡線もまた帰宅の途につく学生の姿が多い。

 大船渡線は、東北線一ノ関駅から太平洋岸の盛までを結ぶローカル線である。途中、気仙沼や大船渡などの漁師町に立ち寄り海の側を走る路線のイメージがあるが、大船渡線といえば、その筋の者から注目される区間がある。それは、陸中門崎駅から千厩駅に至る約26キロの区間である。一ノ関から東進してきた路線は、陸中門崎を境に進路を北に取り、猊鼻渓駅の先で再び東へと進路を変える。そして、今度は摺沢駅から南へ進路を変え、千厩駅の手前でまた東へと進路を変える。あたかもシルクハットのような形をなすが、一般には「鍋弦」に例えて、「鍋弦路線」などと呼ばれている。陸中門崎駅から真っ直ぐに千厩駅へ線路を敷けば僅かに約8キロで済むのだが、どうしてこんな敷設の仕方をしたのか。

 それは今から80年も前のこと。当時、陸中門崎駅から最短ルートで千厩を結ぶ計画があったが、摺沢に政治的有力者が現れ、無理からに摺沢を経由し、そのまま大船渡へ抜けるようなルートへ計画が変更された。ところが、政治は一寸先は闇で、その有力者は政治家として失脚してしまう。そして、代わりに千厩に有力者が現れ、今度は摺沢から千厩を経由するようにして計画を再変更した。よって、このような不思議な線形となってしまったのだという。

 地図で見る限りは、わかりやすい線形をしているが、乗ってみると案外わからないものであり、西に沈みゆく太陽でも見られたら、その方向を見て鍋弦路線を実感して楽しむこともできるのだろうが、依然として空には雲が覆っていた。

▲ 気仙沼駅

 気仙沼には、19時56分に到着した。すっかり夜になって、駅前は寂しい。駅前にある灯台のモニュメントに白い灯りが点り、海の町に来たことを伺わせる。

 僕は、気仙沼駅前にあるホテルパールシティ気仙沼で一泊することにした。エレベーターで自室へ向かうときに、その壁に鰹の刺身を奨める張り紙を見た。どうにも気仙沼の鰹を食べたくなって、部屋に荷物を置くなり、2階のレストランへと向かった。

▲ お刺身で夕食

 お姉さんから注文を聞かれたとき、メニューにはない刺身の組み合わせをお願いしたら、快く引き受けてくれた。料理が出されると、鰹の身の赤さと脂の乗りが目で見てわかるほどであった。食べると口の中でとろけるような感じである。他の刺身は、イカとエビと白身の魚にしてもらったが、これらはいずれも美味しくいただけた。

▲ 前沢牛ハンバーグ弁当

 部屋に戻って、一ノ関駅で買った前沢牛ハンバーグ弁当を食べる。昼に食べた米沢のうしめしも洋食屋の定食のようだったが、こちらの方がずっとそのイメージに合っていたようだった。刺身を食べ、ハンバーグを食べる。何とも欲張りな組み合わせではないか。願わくば、食事相手が誰かいれば良かったのだが。


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