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ハタラクッテナニ


簡単にプロフィールを。
新卒で大手町所在の一部上場企業に入社。
2年目に事業会社に出向/4年目に本社へ戻り
転職活動をスタート、希望の会社から内定を頂くが、
現実的な問題もあり辞退。社内公募制で一旦希望の部署へ身を置くことに。

新卒就職活動

新卒切符を使うのであれば、転職で入りやすいスタートアップ等ではなく、大企業に入りたいと考えた。中でも高給且つ名誉がそこそこ得られる所に入りキャリアに箔をつけたいとも考えた。ではどの業界がであるが、特にやりたい事はなかったので入ってから色々できそうということでそう言う業界・会社を選んだ。そして、無事希望の会社に入れた。今思えば、着く箔は大したことないし、いかに若い時から頭と心を使ってアウトプットしたかが成長には大事で、そういう意味ではスタートアップの方がそういう機会には恵まれてたなと思います。

足ぶるぶる生まれたて子鹿時代

初期配属はこれまで無縁であったファイナンスの部署。
毎日「ドル円は70-71〜」「FRBが利上げ予想を〜」「仲値は108.50ベースは〜」「swapは右寄りで〜」と訳わからない言葉が飛び交い、取り敢えず言われるがままに手足を動かす日々。知らない単語や知識をとりあえずインプットし、数少ないアウトプットも特に頭も心も使わずとりあえず真似するだけ。
自分の一声で数億円の取引をしていることに気づいたのは2ヶ月目。毎日お節介な銀行のトレーダーに2時間ぐらい「そんなんじゃ〇〇のトレーダーとして失格だよー」とか叱咤激励を頂き、ひたすら勉強の日々。そんなこんなで年末を過ぎると、飛び交う言葉やくるメールの内容がほぼ分かってきた。そうすると楽しくて、自分の頭と心で考えたり感じたことを自分の言葉でアウトプットするようになる。子鹿は産まれたその日に自分の脚で歩くが、自分は半年以上も要した。人間なんてそんなものだ。必死に過ごしていた中、同期がちらほら異動し始め、とうとう僕もかなと思っていたら課長からお声がかかる。「事業会社への出向を命ずる!」なんていうドラマみたいな辞令を期待してたが、実際は「来月から○○部は異動になるから宜しくね」とあっさりしたもので、どうやら育成ローテーションの一環で事業会社へ出向するというものだった。半沢直樹で想像されるような島流し的出向ではなく、育成的ローテーションの一環で須らく同期が経験しているものだ。同期数人が同じタイミングで異動となる。大企業の良いところは会社ではあるものの、同期とある程度異動等境遇が被るため色々和気藹々と話が出来て、いい意味で学校みたいな雰囲気があることかなと思う。

両腕ぶん回しドンキーコング時代

出向先ではタイトルがつき、課長と生え抜きのプロパーのあいだに入ると言う形。やっと歩ける様になった子鹿が、急に群れを率いる側に立つ。着任早々プロパーからは「こいつは仕事ができるのか?」「私たちのために働いてくれるのか?」という品定めの熱視線を浴びる。それもそうである、出向先で現場を回すプロフェッショナルのプロパー達よりも2年目のぺーぺーの方が給与が高いのである。そんな奴がのこのこと来て何も仕事せず落胆させるか・たしかにそれだけ貰ってもいいよねと納得させられるか彼女らは見ているのである。異動前からそういう雰囲気であることは聞いてたので初日からフルスロットルで動いた。挨拶回りもそうだが、与えられたアサイメントの業務説明だけでなく、自分から周りの人がどういう仕事しているか聞き回り、「僕は皆さんの戦力になりにきたんです、早く戦力になりたいんです」という気持ちを全面に出して動き回った。そうした真面目な姿勢だけでなく、自己開示も積極的にし、周りの人に自分のキャラを知ってもらい、可愛がってもらいつつ、相手のことも知り、意識的に懐に入るよう心がけた。どんな地味な仕事もこっちから仕事を奪いにいき、着実に成果を出していると、どんどん周りから信頼を勝ち取り、ペーパーの僕に周りから仕事のホウレンソウをしてくれるようになる。この時適当に対応してはダメで、一言一句、一挙手一投足気を抜かず本気で対応することを心がけた。私たちが困っている時この人は同じ立場で考えてくれるのか・力になってくれるのか試されている。自然と周りから仕事を頂き、真剣に対処する。それをこなしていると好循環で、信頼獲得→仕事が舞い込む→いいアウトプット→信頼獲得と、どんどん成果を出し、モチベーションもあがり、会社に入って最も充実した時間を過ごせた。ドンキーコングばりに毎日気合を入れて両腕ぶん回していた。自分がその部署を去る時にも多くのメンバーから「あなたがいたから楽しく仕事ができた」「あの困難を乗り越えられたのはあなたがいたから」「あなたと仕事ができてよかった」などかなりポジティブな言葉を頂いた。多少強引なところもあったと思うが、自分なりに頭と心をフル回転させ、「この会社のため・この組織のため・目の前のこの人達のため」にどうすればいいかを真剣に考え、アウトプットしてきた日々は大きくは間違っていなかったし、どちらかというと正しかったと感じた。時には本来のアサイメントを越えて、課長や部長に進言し、組織の方向性を変えたりもした。上を見て仕事なんてせず目の前の現場にいる人たちの目線で徹底的に仕事をした。正直上長としては、使いづらい部下でストレスも溜まっただろうし、嫌われたかなと思う。ただ後日談としては、嫌われたと思った上司は、そうした現場のために本気で闘う自分の姿勢は評価してくれてて次の部署でもそうした評価を繋いでいたみたいだった。

碇シンジ君時代

4年目の夏になり、本社へ戻ることになった。ここからもう「何でここで働いているんだっけ?」と中高生で言えば思春期・大学生で言えば5月病になった。一種のバーンアウトだと思う。ここでいうバーンアウトとは、「こんなに自分はできるのに・こういうことしたいのにどうしてツマラナイことをしないといけないのか」という葛藤である。巷で言う燃え尽き症候群ではなく、事業会社と本社での若手の裁量権や求められる期待役割のギャップに嫌気がさし、辞めたくなったのだ。事業会社では(明確にアサイメント化されてないものの)自分の頭で考え動くことが求められ、それが良しとされた。本社では真逆だ。上位下達で、半共産主義的仕組みの中で歯車の一つとして動くことが求められる。もっといい方法があり、指示に背き対応した時に、「一言一句俺の言うことを聞け」と言われたのだ。概要としては会社として債権債務が立つものでもなく、PLも傷めず、納得のいかない上司以外誰も傷つけないものであり、言ってしまえば庶務的なものであったが、そんなことでも管理下におきたいマインドの管理職たち。明確に聞きました、「たかが○○なことでも信頼ができないのか」と。すると「この会社にいるってことは全て管理職の言うことを聞く必要がある。信頼とか云々ではなく、それでこれまでやってきたのだから君もそうしなければならない。」という典型的な大企業病に蝕まれている、思考停止族であった。「であればあなたの言うことに全て従うロボットを開発したり、人材を呼べばいい、僕がいるからには僕の頭と心でこそできることがしたい」と返してその日は終わり。この会社にいたら金太郎飴になる、この変化が激しい世の中で安穏とこの組織で過ごしてたらガラパゴスサラリーマンになってしまう、そんな激烈な危機感が迫り、この会社でなきゃと思う。何週間もその思いは拭えず転職を決意。結果として希望の会社からオファーを貰え、サラリーも水準変わらなかったがちょうど子供の誕生が近く、不確実性を嫌気する妻の不安を払拭できず、転職を断念。ひとまず管理部門から事業開発部門への異動パスをゲットして、そちらに身を置くことに。転職自体は諦めておらず、オファーをくれた先にも現況を伝え、納得してもらい、数年後にまた挑戦させて頂くことを伝えた。

就職活動をしていた自分からは想像できなかった色々なことを経験し、様々な感情を味わった。なんで働くのか、自分の頭で考えずなんとなくレールに乗っかったばかりにこうした現況になっている。ただし、碇シンジ君とは違うのは、自己批判は特にしていないところ。動いてみないと分からないことは人生多いし、何も考えず動くとこうなるという学びもあり、且つ事業会社出向先では何にも代え難い経験ができたし、全て糧になっている。自分にとって働くとは、人生を楽しむためのツールであり、自己表現・自己実現の手段であり、それを通して自分を成長させ、前の自分よりもどんどん自分のことを好きになるためのものであると気づいた。

誰かに管理されて機械の様に動くことではない。お金のためでもない。

事業開発側は会社の注力事業でありつつグリーンフィールド事業でもあることからそれなりに自分の頭で考えたこと、心で感じたことをアウトプットすることはそこそこできそうである。とは言え大きな箱は変わらず、どこ行っても悪い文化や通念は残っていて、行くところまで行っても「この会社じゃない感」は拭えないだろうなと強く感じる。

今後のキャリアについては自発的に考え行動し、ネクストステップの糧になる様日々を過ごしたいと思う。


#この仕事を選んだわけ #大企業で働く意味#金太郎飴

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