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自分はどうありたいか、ということ。


先日、僕の会社で年に一度のイベントが行われた。これまでの総括と今後の意気込みにつきマネジメント層を中心に語り合うと言うものだ。昔は役付以上しか参加できないものだったが、今ではグループ会社含め、オンライン参加できるようになった。そこで感じたことを書きたいと思います。

公開処刑

最初のコンテンツとして、大型現存案件に関する語りが行われた。当社では○○○○億を投じて○○○○億の減損を出している、つまりは社会からお金を頂いているにも関わらず、付加価値を出せず、ましてや投下資本を減じるような案件がありました。それはそれは社外からも厳しいお声を頂いておりますし、社内でも全社からネガティブな声が浴びせられる、そんな案件です。そこで、会社も一つ案件のこれまでの経緯を皆んなにシェアしようと場を設けたのですが、それがまぁいつの時代か「公開処刑」だったのです。冒頭に、やせこけた課長が立ち、「これまで多大なるご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。皆さんが稼いだキャッシュを頂いていながら、棄損し、、、、」といった趣旨だったかと思います。僕としては「これじゃない感」がすごかったです。この課長もマネジメントが持ってきた粗々な案件を何とか死に物狂いでやってきたでしょうに、、その部下の働きをサポートし、守ってやるのでもなく、その部門長は特に何も謝罪しないんですね。「あ、この会社やばいな」と久々に思いました。

反面教師として

僕は長男で、それこそ真似する相手がいなかったので自分で何事も挑戦したり、自分の嗅覚を信じて「おそらくこれが正しいだろう」というものに従って来ました。弟は逆に、そういう僕の行動を見てうまく学んで色々とショートカットできてたみたいです。今回の会社の事件でも、個人的に思うことあり、違和感がすごかったですが、上司や先輩たちは特に何にも思わなかったようです。先輩や上司はある意味皆さん会社に教育されて当社で生きる上では役に立つスキル等はお持ちです。ですが、社外の人(特に妻)に会社のこと話すと「それはうちじゃ通じない」「それは常識がない」などいい意味で批判的コメントを頂けます。自分の野生的感覚と社外の人の反応がほんと合致するですよね。だからか、社内の人には異端だとかよく言われます笑。

自分を信じて

社会年次もそこそこ上がってきてそれなりに自分で判断できることが増えてきました。しかし、裁量権、決裁権限は相変わらず変わりませんので儀礼的に上司に判断を仰ぎます。そういうこと皆さんもあるのではないかと思います。しかし、そういう時、皆さんは相手が納得できないことを言っている時どうしますか?自分はAと思うが、上司はBだったり将又Zのようなことを言ってくる。僕はそういう時絶対に譲りません。とことん自論をぶつけます。サークル活動をしているわけではなく、会社で目標がある中でそれに即したアクションすることが各社員に求められる訳で、自分が方向性が合致していると本気で思っているのであれば他の人と意見をぶつけていいのだと本気で思います。むしろ自分はどこか納得してないけど、取り敢えず言うこと聞いてやったことってその結果がいいものだったとしても全然ワクワクしないし、逆に悪い結果だったらあの人が言ったことが悪いみたいな他責思考で人として面白くないことになりませんか。学びもないですよね。だから、自分は曲げずに正しいと思ったら納得できる、少なくとも相手と議論をぶつけて昇華した結論になるまで戦います。若手エースの方が、おっしゃっていた「金太郎飴になるな」、この言葉を忘れずこれからも自分なりの正義で働いていきたい。

最後までお読みいただきありがとうございます!

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