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これからくる終末にむけて

イラストのくまは茶色なのにニュースで見る熊は黒い、と言ったらそれはヒグマであれはツキノワグマといわれた。どっちがどっちか思い出せない。

さいきんなんだかすごく気分がいい。でもそれは悪いことらしい。自分の気分がすごく良いことが悪いことなのは哀しい。アンパンマンのくらやみマンもこんな気持ちなのかもしれない(くらやみはどこにでもある。とか言うブラックホールのキャラクタ)。詳しく言うと、すごく気分がいいときは頑張りすぎたり余計なことをしてしまったりして、しかもそのあとすごく気分が落ち込むからよくないという。わたしは10年単位の長い時間をかけてやっと毎晩薬をのんだり日記を書いたりできるようになった。

できるだけ穏やかに、安らかに日々を送りたいと願わなければいけないのがばかばかしくていやになる。生きていたら仕方ないこともあるしもう一生身長170センチにはなれないことと似たようなものか、と思うとじわじわとどうでもよくなってくる時もあるけれど、そうは言っても美しい千手観音などを見たいとか、映画で胸ぐらを掴まれるような気持ちになったりしたいと思ってしまう。安全な心の動きだけを選んで摂取している。やっぱりばかばかしいし、いやになってくる。このいやという感情も、ていねいに頓服で叩き潰していく。むなしく、意味のないこと。それとは別に、自分の存在がなくなってもこの世のだれも困らないという状況が、自分のこころをこの土地の側溝のようなところへ押しやってしまって苦しい。

それでもからだは元気で、たぶんからだとしての心が自分の苦しい心とは別にある気がするけれど、いつもカフェラトリーのキャラメルマキアートをのんだりして夜をたのしんでいる。壁に張り付いているカエルを草のところへ投げたりもする。しかも最近はサビのすごいドラム缶を見つけた。誰かのものだけどなぜか気になってしまう。ぼうっとしているとついドラム缶のことを考えてしまう。いままでドラム缶が気になったことなんてなかったからドラム缶という名前すらおもいだせず見つけたときは「缶 風呂」で検索した。誰かのドラム缶には葉っぱのついた枝がたくさん突き刺さっている。たぶんいつか捨てられるか燃やされてしまうんだと思う。まいにちドラム缶の見張りをしようとおもったけれど、今日はチャリに乗ってどこかにいったから様子を見にいくのを忘れた。

きのう、何もない道をまっすぐ1時間以上歩き続けた。とんぼが大量発生していて行く手を阻むのでわたしは蚊柱みたいに飛ぶとんぼ100匹くらいをボクサーの動きでかわしながら歩いて、それでドラム缶を見張ってから帰った。なんとなく終末にむけた支度をしなければならない気がした。



2023/10/25

✴︎ 終わりたくも始まりたくもない日




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