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中国と日本の住みやすさの違い その1

中国と日本で住みやすさは異なる。

日本人でも中国がしっくりくるという人もいれば、中国から日本に移り住む中国人もいる。

体験したことがない人にとっては理解が難しいかもしれない。そこで、このシリーズでは中国と日本の違いについて、例を用いて考えてみたい。

ご意見など大募集しておりますので、いつでもコメントください。

第一弾は歩行者と車の関係である。ここに潜んでいるのは、「自分」という概念である。

中国では車はなかなか止まってくれない。たしかにここ数年、横断歩道などで一時停止しない車に対し減点(カメラ認識を含む)を行うことをしており、大通りではそうした行為は減ってきている。

またここでは「中国では」としているが、地域でその特徴が異なり、とある地域では日本と同水準、日本の一部よりも良い場所が確かに存在する。

今回は中国でよく体験するであろう車と歩行者を例に考えてみたい。

通りの横に駐車場があり、そこを私が歩いていたとする。

そこに駐車したい車が向こうから真っすぐ来たとする。

ここで日本人ならば、歩行者が真っすぐあるき、車は自分から見て空いているスペースに移動し、その「空間」を作ってくれるものだと考える。

中国では歩行者「も」、自動車「も」真っすぐである。そのため、例えば右にスペースがある状態で両方真っすぐくると、歩行者は左に止まっている車と真っすぐ来る車のせまい間を抜けるということになる。

この感覚が中国である。

ここに日本のような「歩行者は真っすぐ歩いてくるから、自分は空いている方に」という複雑回路にはならず。「駐車したいから真っすぐ」という考えが浮かびあがる(何度もいうが、地域や人によって行動は大きく変わる。ここでは例として挙げているのみである。私は中国のこうしたところが好きであることを表明する)。

そのため、歩行者が苦労する(私の場合は右側の空いているところに余計に歩くことになった)。ただし、それを注意することもないし、運転手をにらみつけたとしても、運転手はこちらを見ていない。罪悪感もない。

この「常識」の違いが大事である。どちらにも考えがあり、どちらもいわば正しい。

こうした「図太さ」が私には欠けていたので、中国に来た時は衝撃を覚えた。そして、自分も堂々と歩いていくことにしたのだった。

今日も私は道を歩く。

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