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自分が普通だと思って「みんな○○」と考える癖

年を取っただけかもしれない。言葉と言葉の間に、「認識」ということを考えてしまう。

それはレバーで強弱をつけるようなものかもしれない。
ただレバーは交換可能である。複数レバーがあっても良い。

こちらにいてよく聞く言葉の一つを例にして考える。

「中国人は春節に餃子を食べる。」

この言葉を私の大学で話しても、多くの人(およそ9割以上)が首肯するだろう。

ここに問題が潜んでいる。

以前、中国南部で日本語を教えている時に同じような問題を問いかけたところ、実に様々な反応が見られた。

例えば
肯定する「私の家でも餃子を食べます。」を皮切りに

「私の家では魚を食べます。」
「私の家では普通にご飯を食べます。」
「私の家では麺を食べます。」

などの回答があった。学生自身の「普通」を紹介すると、周りの学生から驚かれ否定される。

「いやいや、餃子だろ!」
「麺だろ!」
「魚だろ!」
「団子だ!」

これが国際コミュニケーションの第一歩なのだなと鮮明な記憶として保存している。

これを今の学生に聞いてみると、「へえ~」と言われてそこで会話は終了してしまう。それについて、意識していないとショックを受けた。

どうやら、中国ではこうした「私」=「普通」が広まっているようである。これは中国人と会話していく中で非常に大事なポイントである。それを意識して、会話するだけで意思疎通がしやすくなるだろう。

「日本人は海鮮が好きじゃないんですか?」

と聞かれた時は頭を抱えた。ざっくばらんに「日本人」を振り回す意識。大枠概念意識のまま掴もうとしている。いや、それが今の中国人若者の「意識」のスタンダードなのかもしれない。


だからこそ、その使い分けができる人(私たちの基準では捉えずに)が特別で、優秀であることが多いのは私の感覚である。


授業以外では、私自身もレバーを使って、その度合いを調整すべきであろう。何も相手だけが問題ではない、私自身の挑戦でもある。それを意識して中国語を話すべきなのだろう。

だから、まとめると

「中国人は私=普通が成り立っている」

となるだろうか。
(もちろん、この一言は嘘である)


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