見出し画像

帰りたいと思えるだろうか?

お盆なのでお盆っぽい(?)話をひとつ。

人によっては「こわい」と思うかもしれないので、「こわい話」がきらいな方は、読まない方がいいかもしれない。

もっとも、わたしとしてはこれは全然こわい話でもなんでもなくって、「そういうものだろうか?」と、考える要因のひとつというか。その立場にいたらどう振る舞うだろうか、という内容。(理屈っぽい)

わたしの母から聞いた話。

わたしの母の母、わたしにとってはおばあちゃんは、霊感が強いひとだったらしい。らしいというのは、わたしが知っているおばあちゃんは霊感なんてなさそうなひとだし、そういったそぶりも全然見たことがなかったから。

ただ、母が子供のころの体験だから、おばあちゃんの若いころの話。

母が住んでいたのは、大阪のわりと下町で、当時は結構治安も悪くガラも悪かったのだけれど、まあ近所づきあいが密な地域だった。

母の実家は、青果問屋の仲買人をしていて、祖父は毎朝早くに、中央卸売市場に出かけて野菜やくだものを仕入れてきて、あちこちに売りさばく、という仕事をしていた。

毎朝4時くらいには仕事が始まるから、おばあちゃんはその前の2時とか3時には起きだして、準備とか仕事に出かける支度をするのが日課だった。

母の住まいの周辺では、お向かいの家では和菓子屋さん、お隣はパーマ屋さんなど商店街とまでは言わないけれど、いろんなお店が並んでいた。

お隣のパーマ屋さんは、ほとんど家族に近いくらいの存在で、店番を任せられたりしていたし、母宛にきていたお見合い写真の相手を選別するという、どういう立場の人なのか、もはやわからないくらいだった。(わたしが幼いころもパーマ屋さんはいらっしゃって、大きな声で玄関の扉を開けて家に入ってくるたびにびっくりした)

そのパーマ屋さんには息子さんがいた。

その息子さんの趣味は登山だった。ハイキングとかではなく、本格的な装備で、大きめのリュックを背負って、休みのたびに出かけていたらしい。

ある日のこと。

おばあちゃんは、深夜だけれどおばあちゃんにとっては起きる時間に、隣の家の前で、ドサッと音がしたという。

「なんやろな」と、おばあちゃんは気になったらしい。けれど、すぐに「ああ、隣の息子さんが、山から帰ってきはったんやな」とピンときたらしい。大きなリュックをおろすドサっという音は特徴があって、何度も聞いた音だったし、数日前に「行ってきます」という息子さんを見送っていた。

こんな夜中に帰ってくるなんて、めずらしいなあと不思議だったという。みんな寝てるのを起こしたらあかんし、というような気を遣うタイプの青年だったという。

ただ、翌朝になって。

「息子さん、えらい遅い時間に帰ってきはったなあ」とおばあちゃんがパーマ屋さんに声をかけたところ、

「息子は山で事故にあって亡くなったと、さっき連絡があった」とパーマ屋さんに言われたそうだ。

ただ、おばあちゃんは「だからあんな時間に帰ってきはったんやね。家に帰りたかったんやろうね」と、後で母に言ったらしい。

母はその話を聞いて、こわい気もしたけれど、「そういうもんなんやな」と思ったそうだ。


この話を聞いたのは、父の相続の関連で実家に帰っていた時だった。

「パーマ屋さんの息子さんみたいに、お父さんも病院で亡くなったし、家に帰ってきたいとか、あるんかなあ?」と、母が話してくれたのだった。

おばあちゃんの話を聞いて、すんなりと「そういうものなんやな」と受け入れた母も、不思議といえば不思議だ。

ただ、わたしの実家が信仰している、浄土真宗大谷派では「ご先祖様はお盆だろうがなんだろうが帰ってこない。指定席に座っている」らしいのだけれど。そこに座る前に、帰ってきたことあるんかなあ? などと家族で話した。帰ってきてても、うちは だーれも気がつかへんから、寂しくないんかな? とも。

ただ、どこか知らない場所で命を落としてしまった場合、「帰りたい」と思える家かどうかは、生きていく上で結構大事なことかもしれない。



最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。