見出し画像

伝奇小説にはげまされる

最近読み終えた二冊の本に、とても励まされた。

一冊は「三浦老人物語」著者は岡本綺堂さん。

岡本綺堂さんのことは、少し前までお名前も存じ上げなかった。ただ、ほぼ日でほぼ日の学校・学校長の河野通和さんが怖いと思う本を紹介するという企画があり、そこで岡本綺堂さんの本が紹介されていた。

このとき紹介されていたのは「青蛙堂鬼談」。

このとき初めて岡本綺堂さんの本を手に取って見たのだ。岡本綺堂さんは「半七捕物帳」を書かれた方だという。どちらかといえばその時代小説がメジャーだろうけれど、わたしは全然知らなかった。

機会があれば、こちらの時代小説も読んでみたい。けれど、岡本綺堂さんの伝奇小説を手に取って見て、他にはどんな種類の伝奇小説があるのかなと興味があった。そうして、青蛙堂鬼談のほかにも、三、四冊の小説をまとめてネットで購入していた。そうして、そのなかの一冊が「三浦老人昔話」だった。

三浦老人は半七親分の友人、という設定なのも面白い。そのためか、半七捕物帳を読んでいる人にも手に取られているという。(半七親分はちょろっと名前が出てくるだけで、最初に登場するだけなのだけれど)

「そういえばこんな話がありました……」というような具合に、三浦老人がさまざまな伝奇を語り、それが一冊にまとまっているものだ。

6月から、また通勤が始まったので、そのお供にと読み始めた。短い話がいくつも連なっているので、通勤時でも途中でひと段落できる。

同じような時期にもう一冊、まったく別の著者の、同じような形態の本を読んでいた。

それが「奇談クラブ」著者は野村胡堂さん。

こちらは、昨年のいつ頃だったか覚えていないけれど書店をふら~っと見て回っていたとき、偶然手に取った。野村胡堂さんのお名前は知らなかったけれど、タイトルに惹かれて。なんだか奇妙な話が、どうやら私は好きなのだ。

こちらは、ちょっと余裕のある人たちが面白い話をしましょうと、定期的に集まるクラブ(サロン?)の設定。一番初めの話は、少し成り立ちが違っているものの、サロンに属しているメンバーが順番に少し奇妙な話をしていくというもの。

怪談縛りのない、百物語を話していく感じだろうか。この設定は、岡本綺堂さんの「青蛙堂鬼談」がかなり近しい。

野村胡堂さんは「銭形平次」の作者でもあり、このあたりも岡本綺堂さんと共通点がある。もっとも時代小説を手掛けている方々に、「ほかのテイストの物語も書いてくださいよ」とお願いしているのかもしれない。

岡本綺堂さんは1872(明治5年)~1939(昭和14年)まで、

野村胡堂さんは1882(明治15年)~1963(昭和38年)まで活躍されていた。

同じような時代背景のもとに書かれた小説は、江戸時代の武士の切り捨て御免文化が描かれていたり、職業によっては刺青をいれていて一人前、刺青がないとお客にナメられる、といった現代ではちょっと考えつかないような話もある。

ただ、明治から昭和にかけては戦争も起こり、関東大震災もおこり、スペイン風邪も流行した。幕末に武士が没落していった様や遊郭に身売りする女性の話を描いているものはある。けれど、きな臭い事情や、社会に蔓延する不安な感染症には特に触れていない。

なんだか、とてもほっとしたのだ。

わたしは、怪談じみた話や、ちょっと不思議なシーンを描いた小説を書くことが多い。けれど、その小説を書き続けていいものか悩んでもいた。

怪談話を楽しめる雰囲気ではない。目に見えないものに恐れる世界を描いたときに、人間の怨念よりも、今はウイルスに対する恐怖心が世界を覆っている。そう考えれば考えるほど悩んでしまって、書けなくなってしまっていた。

何気なく同時期に読み始めた本に、わたしはわたしが考える世界を書けばいいんだと、背中を押してもらえた気がした。

以前書いた「狐ノ倉町奇譚 その1 彼岸の残香」を評価してもらえたことも純粋にうれしい。(うれしさもあり、ほんの少し悔しさもあるのが本音ではある)

いろいろ悩んで書けなくなっていたけれど、狐ノ倉町にまつわる不思議な話を、また少しづつ書いていこう。





この記事が参加している募集

#読書感想文

189,568件

最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。