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カールと名付けた、犬の思い出。

昨夜、何の気なしにテレビをつけると、「サザエさん」が放送されていた。翌日が成人の日で仕事が休みだと、「サザエさん症候群」と呼ばれる、月曜日を思って憂鬱な気持ちにはならないんだな、などとぼんやり思いながらテレビを見ていた。

獅子舞、凧揚げ、羽根つきなどお正月特有の行事を盛り込みながらアニメは進んでいったが「戌年物語」と題された、磯野家に迷い犬が来る、というお話をみたとき、幼少期の思い出がぶわっと頭の中を駆け巡った。

私はこどもの頃、カールと名付けた犬と一緒に暮らしたことがある。

それは、たった一日だけのことだけれど。


幼稚園に行く前の、おそらく4歳とか、そのくらいのことだった。私は母と一緒にバスに乗り、近くの駅に向かっていた。ものすごく嬉しくて、そわそわしながら。

理由は簡単だ。子犬をもらいにいくからだった。

今から30年近く前の話なので、どうやって子犬をもらう、という話になったのか分からない。父の仕事先の知り合いか、広告のようなもので見つけたのか。とにかく「子犬を譲ってくれるお家があるから、一匹、うちで飼うことにしよう」という話になったらしい。

駅のロータリーで待ち合わせしていた相手は、すでに到着していた。その女の人は両手でしっかりとダンボール箱を抱えていた。大事なもので、決して落としてはいけないというように。そして、母と私に「こんにちは、はじめまして」と挨拶してくれた。

そっと、ダンボール箱を開けてみると、そこには小さな犬が丸くなっていた。「この子、すこし車に酔ってしまったみたいです。吐いて、汚くなってしまうかもしれません」と、すこし申し訳なさそうに、謝っていた。

母は「人間でも車酔いするから、仕方ないですよ。ガソリンの匂いとかも臭いやろうしねえ」と犬の頭をすこし撫でてからそう言った。相手の女性に安心させるためだけの発言ではなかった。母はあらゆる動物が好きで、その車酔いした犬を心配しているようだった。

そうして、ダンボールを大切に受け取った。「私がもちたい!」と小さな私は少し主張をしたけれど、「落としてしまったらあかん。けっこう重たいから、辞めときなさい」と母に厳しく言われ、諦めた。

そうして母と私は子犬を受け取り、帰り道はタクシーに乗って自宅へ向かった。タクシーのなかでもそっとダンボールのフタを開けてみると、犬は小刻みに震えていた。やはり車酔いしているようで、かわいそうだった。

自宅について、犬をダンボール箱から出してあげると、犬はすこし吐いていた。なんだかぐったりして元気がなくて、心配だった。死んでしまうんじゃないかと、私は急に不安になった。母に「大丈夫やろか?」と何度も訊ねては、「あんたも車酔いしたら、すぐには元気にならへんやろ? それと一緒やから、静かにしとき。落ち着いたら元気になるやろうし」と犬を優しく撫でた手で、私の頭も撫でてくれた。その日は父も仕事が休みの日で「かわいらしいなあ」と、何度も様子を見ては、ニコニコとしていた。

犬の名前は「カール」に決まっていた。

私は全く覚えていないのだけれど「刑事犬カール」という人気番組が当時放送されていたらしい。私たち家族はその番組が好きだったようで、そこから名前をもらったのだという。

玄関先の上がりがまちに置かれたダンボール箱のなかで、カールはおとなしくしていた。けれど、次第に車酔いが落ち着いてきたらしく、元気を取り戻しはじめた。

カールは、見慣れない家、見慣れない匂いに戸惑ったのだろう。元気を取り戻した瞬間、ちょっとしたパニック状態に陥ってしまった。子犬特有の、エネルギーが爆発するかのごとく駆け巡る力と、パニックが混ざりあってしまったのだろう。上がりがまちから飛び跳ねるようにして、部屋のなかへと駆け出し、せまい廊下とダイニング、和室とを猛ダッシュで走り狂ってしまった。

母と私は、カールが落ち着くまではどうしようもないと思い、静かに見ていたけれど、父は違った。当時の父は「犬は外で飼うもの」という意識があった。いまでこそ、犬を室内で飼うことに異論はないけれど、三十年前には「犬は外で飼うもの」という考えが強かったのだ。家のなかを縦横無尽に駆け回っているカールに対して「やめなさい!」と大きな声で叱り飛ばしていた。

カールは叱られていることすら耳に入らないようで、変わらずに走り続けた。そうして、父が観音様の小さな仏像を飾っていた、和室の床の間で糞をした。ようやくエネルギーが切れたように落ち着きを取り戻したのだった。

しかし、父は怒っていた。犬は部屋のなかで飼うつもりもない。よりによって、床の間で糞をするなんて。父はカールを厳しく怒鳴りつけ、金輪際、室内には上げないようにと母と私にまで厳しく言いつけた。


カールにしてみれば、災難以外のなにものでもない。これまで楽しく母犬や兄弟犬と暮らしていたのに。無理矢理、暗くてせまい箱の中に入れられた。そうして、車に揺られ具合が悪くなっているうちに、全く知らない場所に連れてこられている。目が覚めて驚いたので走り回って、ようやく落ち着いたら、誰だかも知らない人に大きな声でカミナリを落とされた。そもそも、カールって誰のこと? ボクの名前はカールじゃないよ……?

明らかに、しょんぼりとして悲しそうなカールを、母と私はかばってあげたかった。けれど「カールは来たばっかりで、我が家で暮らすルールが分かってへん。せやから、ちょっとずつ覚えていってもらわなあかん」と、厳しい口調で告げた父に、なにも抵抗できなかった。

カールは、庭に設置された犬小屋に入れられた。その犬小屋は鍵がかかるようになっていて、カールはそこで夜を過ごすことになった。寂しそうな瞳をしていたけれど、「カールのお部屋はここやからね」と、母と私はそっと扉をしめて鍵をかけた。鍵と言っても「掛け金錠」と呼ばれる留め金を穴にはめて、縦にひねるだけの簡単な作りのものだ。けれど、その鍵を閉めたときのカールの寂しそうな顔が忘れられなかった。


翌朝。カールはいなくなっていた。

鍵が開いた状態になり、そこから飛び出していったのだ。

母と私は、カールを探しまわった。「カーーーールーーーー!」と大声で叫んで回り、近所の人たちに「何があったんですか?」と心配されたほどだった。父も一緒に探してくれたけれど、「お父さんの姿をみたら、カールは怖がって近寄ってこーへんわ」と母に言われ、すこししょんぼりとしていた。「厳しく怒り過ぎたから、カールはうちが嫌になって、出ていってしまったんかな?」というと、父も悲しそうに「そうかも知れんね」とだけ呟いていた。

あちこち探しても、カールは見つからなかった。まだ体の小さなカールはかわいかったし、誰かに拾ってもらったのかも知れないよ、と母は私をなぐさめるように言ってくれた。でも、急に飛び出して、自動車に跳ねられてしまったかも知れないと、私は泣き続けていた。何日も何日も、「カールを探しにいきたい」といって、母と一緒に公園に行ったりもした。

カールが家出してから何日経った日か、定かではないけれど、一本の電話が鳴った。母が出て「えっ! そうですか!」とかなり驚いた様子で話していた。電話を切ったあと、「カール、前のお家に帰ったみたいやわ」と話してくれた。カールを譲ってくれたお家からの電話で「すこし弱っていたようだけれど、戻ってきました」という連絡だったようだ。

ほっとした。カールは車にはねられて、死んでしまうことはなかった。私たちの不注意で、カールを死なせてしまうことがなくて、本当に安心した。

けれど、カールはもう、二度と我が家へやってくる頃はなかった。

いまでも「カーーーールーーーー!」と、私が大声で叫び回った話は、実家での笑い話として話題に上ることがある。けれど、私にとってカールは家出したっきり、もう二度と戻ってこない存在だ。家族の笑い話につき合って、一緒に笑うこともある。けれど、扉の鍵を閉めたときのカールの瞳を思い出し、今でも時々、じゅくりと胸が痛む。





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