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意識して、「その時間」をつくること。

最近めっきり本が読めずにいる。その理由は簡単だ。これまで本を読むのに充てていた時間を、小説を書くことに費やしているからだ。

ただ、ここまで本が読めずにいるとは、自分でもびっくりしている。

普段わたしが本を読むのは、土曜日・日曜日または祝日といった会社が休みの日。何にも予定がなくって、時間が許すときは、本当に一日中本を読んでいることもある。

この休日の時間を、わたしは今小説を書くのに充てているのでまとまった時間で本を読み進められない。

次に、平日の夜、眠る前に読んでいる。ただ、これには大きな問題があ流。「眠る前」に読む、と決めているので、すぐに眠くなってしまう場合、ほとんど本を読み進められない。今は、まさにこの状態。

最近どうにも疲れてしまって、本を手に取るのはいいけれど、すぐに眠ってしまう。本を読みたい! けれど眠い! そうなったときは睡眠欲が勝ってしまうのは致し方ない。

今読んでいるのは話題になっている「三体」。

すごく面白くて、ずうっと読み続けたいのだけれど、わたしにとってはスラスラ読める内容ではない。読みながら考えさせられると言うか「これは、どういう現象?」など、読む前に話の展開を少し考えてしまうので、同じページを何度も読み返してしまうことすらある。面白いけど、物理学的なベースは難しくもある。

また、「三体」を読んでいると、あ、ここまで荒唐無稽にしてしまってもいいのかと、気付かされる。今書いている小説は枠にはまっていると言うか、理解を超えたストーリー展開にしたいなら、もっと振り切ってもいいんだと思い知らされる。

そのため、「三体」を読んでいると「あ、そうか、もっと飛躍してもいいんだな」と思いつき、本を閉じて考えることもある。「三体」は割と説明的なところもあるし(説明しないといけない設定が多い)、説明したところで、その世界観全部を読者に伝えられているのかわからない箇所もあると思う。ただ、それすらも撥ね退けた世界観というか、圧倒的なスケール感がやっぱり気になって読んでしまう。いや、単純に面白い。

「三体」を読んで気付くところもあれば、ぐうっとくじけて「わたしが書いている小説は、なんともくだらない」と落ち込むこともある。どちらかといえば後者が多いだろうか。落ち込んでしまって、読み進められない。なんとも悪循環な気もする。

だけど、「本を読む時間」を意識してつくることが、自分の創作活動にとって大きな意味があるとも感じている。

「三体」と並行して読み進めていた、ほぼ日から発売された「岩田さん」。

この本を読み終えたのだけれど、なんというか「そうだ、わたしは諦めちゃいけないんだ」という気持ちが湧いてきた。いい加減に「もう、この辺でいいや」と投げ出しちゃいけない。小説を書くことが、自分にとって意味があるかどうかは分からない。けれど、作品として仕上げるつもりがあるなら、最後まで粘って、考えて、出来るところまではやらなくっちゃという気持ちが沸き起こってきた。かなりくじけていたけれど、今の段階で「岩田さん」を読めたことは、わたしにとって大きな意味がある。

わたしにとっては「本を読む時間」が大切なのだ。けれど、人によって「その時間」は色んなものがあるだろう。裁縫をする時間とか、ガーデニングをする時間とか、大好きなドラマを見る時間だっていいだろう。

自分にとって大切だと思える時間があるのなら、意識してその時間を作らないと、精神的にも肉体的にも参ってしまうのではないだろうか。

仕事の忙しさにかまけて、趣味の時間が取れない、というのはよく起きることだと思う。けれど、その趣味こそが自分にとって呼吸をするほどに大切な時間だとしたら、呼吸がしっかりできていないということになる。そうなるとやっぱりどこかでバランスが崩れてしまう。

意識して、その時間をつくる、その時間を持つことが、楽しく暮らしていくためには欠かせないものだろう。

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