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結婚生活はコントだと思えば、たいていのことは笑っていられる。

「ちょっと何言ってるかわからない」
普段の会話の中で言われると、かなりの確率でムッとする言葉だ。だけど、これがサンドウィッチマンのコントならば、笑いがおきるタイミングでもある。

先日、結婚記念日をむかえた。夫とは早いものでもう九年も一緒に暮らしている。大学生の頃から知っているので、知り合い歴は二十年を迎える。そう考えると付き合いは長い。ただ付き合いが長くても、夫の考えていることはいつになってもよく分からない。

理解しようと努力していないんじゃないか? と言われたら、もしかしたらそうかも知れない。けれども、一番付き合いの長い自分自身のことすら何を考えているか良く分かっていないのだ。

今日の夕飯、何を食べたい? と聞かれても「これ」といったメニューは思いつかない。いやそもそもお腹すいてないから、食べなくてもいいかも? などと考えれば考えるほど、自分自身が分からない。そんな状態で「今日、夫が食べたいものはこれだ!」と、超能力みたいなことはできそうもない。

私はこうして文章を読んだり書いたりすることが好きだ。けれども夫は本を読むことはない。かろうじて漫画は読むけれど、「最近のワンピースは文字が多くてなかなか読み進められない」といって、最新巻を買って帰るたびに嘆いている。どちらかといえば日曜日の朝、アニメで見たほうがよく分かるという。

ざっくりわけると夫は体育会系で、私は文化系(いや、帰宅部?)。日曜日の朝はゆっくりとコーヒーでも飲んで本を読み耽って過ごしたいのに、夫は朝五時から起きて朝市に行かないか? と誘ってくる。休みの日に早起きしたくなる気持ちはわかる。でも、朝の五時から食べ物を買いに行くなんて、私にはちょっと理解できない。美味しい、新鮮なものが売っているのはわかる。けれど、ぬくぬくと布団の中で過ごす時間以上の素晴らしさを手放したいとは思えない。

いろいろなことで考え方は違っているし、行動力も違っている。お互い、「ちょっと何言ってるかわかんない」と首を傾げることが多い。ただ、それでもこの九年のあいだにあまりケンカはしなかった。ふたりとも「ケンカをしている時間がムダ」だと思っているからだ。私が一方的に不機嫌になっていることが多いのだけれど、そんな時でも夫はマイペースだ。私は眠ってしまえば大体の不機嫌はなおるし、放っておくのがいちばんだと心得ているらしい。夫の不機嫌は、だいたいグチをウワーッといってしまえばすっきりするようなので、私が話を聞けばいい。

ポテトを買ってきて、と頼んでホタテを買ってくるような間違いだってあるし、ポテト単品は高かったから買わなかった、と言われることもある。

ちょっと何言ってるかわかんない、頼んだものをその通りに買ってきてくれたらいいだけなのに。

こんなこと、日常茶飯事だ。結婚生活はわりと、こんなことの繰り返しだろう。けれども、これでいちいちケンカをしているのも馬鹿馬鹿しい。あからさまな嫌がらせであれば、さっさと見切りをつけて別れてしまったほうがいいかも知れない。けれども、嫌がらせでもなんでもなくて、ただ少しの意識のズレだけならば「サンドウィッチマンのコントだな、こりゃ」と笑いに変えてしまったほうが楽だろう。サンドウィッチマンにしろ、アンジャッシュにしろコントの面白みは意識がずれていることでうまれる会話の食い違いだ。

結婚生活も、だいたいにおいてコントみたいなものだ。コントに対して本気で突っかかったところで、それこそ「ちょっと何言ってるかわかんない」と首を傾げられるだけに違いない。

ただ、コントだと思えなくなったり、無理やり「コントだと思わなくっちゃ」と自分の心を押し込めてしまうことになってはいけない。コントだと思う、という本心は「だいたいのことは笑って済ませられるし、大したことじゃない」と思う、ということだ。コントだ、と流せないような問題ばかり起きているなら、やはり流している場合ではないのだろう。幸い、我が家ではたいていのことは笑って済ましていられる問題ばかり。ありがたいことだと思いながら、また今日も「ちょっと何言ってるか分かんない」と夫へ返事するに違いない。


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