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ソフトクリーム、クリスマスケーキ。【ある、バイト。】

高校三年生、二学期の終わりが近づいたころ。

すでに推薦入試で大学の合格通知を手にしていたわたしは、冬休みと、高校卒業までのあいだはアルバイトをしようと考えていた。

これまた近所のバス通り沿いにあった「あらゆるおやつを取り扱っているお店」で短期間学生アルバイト募集の広告がでていたので、そこに申し込んだ。

高校を卒業したら、神奈川の大学に通うことになっていて、三月には大阪から引っ越すことが決まっていた。「長期アルバイト」の長期とは、いったいどのくらいの期間をさしているのか、わたしには分からなかった。けれど、長い期間とうたって募集されているのだから、二か月くらいで辞めちゃう場合は、申し込めないと感じていた。

「あらゆるおやつを取り扱っているお店」とはいったい何? と思われるかもしれない。街道沿いに見かける「シャトレーゼ」さんがイメージとしては近い。(一応全国展開されているけれど、四国・中国地方には進出されていない模様)

ケーキやシュークリームといった生洋菓子。贈答用のカステラやゼリー。個包装されたお饅頭。パック詰めされたお団子。その場で食べられるアイスクリームにソフトクリームなどなど。身近なおやつから、贈答用に箱詰めできるおかしまで、ワンフロアで幅広く取り扱っているお菓子屋さん。

そのお菓子屋さんが、クリスマスとお正月の手土産用のお菓子が出回る繁忙期のみ短期間のアルバイトを募集していた。わたしにとっては、ちょうどタイミングが良かった。高校三年の三学期なんて、センター試験を受けないわたしにとっては、だらだら過ごしても構わないようなものだ。けれど、いちおう過去の教訓から、学校に通っている間はあまりバイトしたくなかった。冬休みのあいだだけで、本当にちょうどいい。

時給はやっぱり600円台だった。680円くらいで「お寿司屋さんとあんまり変わらないな」と思った記憶がある。1998年度(平成10年度)の大阪府の最低賃金は690円となっている。もしかしたら、違法だったかもしれないが、その辺りの記憶はあやふやだし、もう20年も前の話だからあまり掘り下げないようにする。

そのお菓子屋さんの店長は、お菓子屋さんというよりは「お坊さん」という印象だった。スラッと痩せていて、小柄で、坊主頭で良く通る声だった。店長といってもお店を任されているだけで、生洋菓子をつくるパティシエさんは、店長とは別に雇われていた。

クリスマスケーキの注文を受けたり、店舗内に置かれているお菓子の賞味期限のチェック、贈答用の箱を折って作ったりもした。レジの操作を任された記憶はあまりない。たしか、本当に雑用だけを任されていたような気がする。それでも、クリスマスを目前にして、ケーキの販売とその準備をこつこつ手伝う感じだったように思う。今思い返すと、わりとのどかだ。

すこしづつ慣れてくると「冬でも、これが意外とよくでるから」といってソフトクリームの作り方を教えてもらった。

ソフトクリームの機械を操作して、ソフトクリームをつくる。あたりまえのことだけど、これが思いのほか難しくって苦戦した。

構造はいたってかんたん。マシンのレバーを手前に引くと、ソフトクリームがにゅにゅにゅにゅっと出てくる。それを、コーンカップにくるくるくるっと三回くらい巻けばできあがり。それだけだ。

けれども、にゅにゅにゅにゅっと、くるくるくるっのバランスが思いのほか難しかった。くるくるくるっと動かす手をテンポよくしないと、きれいに巻けた形ではなく、いびつで、あまりおいしくなさそうなソフトクリームができあがってしまう。

「慣れちゃえば、うまくできるから!」と、教えてくれている社員の人がプラスチック製のバケツを持ってきてくれた。
「失敗したソフトクリームは、クリーム部分はバケツに捨てて。コーンは握りつぶすことはないと思うから、できるまで使ってな」

失敗したら、クリーム部分だけを捨てて何度も練習できるようにしてくれた。クリームをコーンカップに乗せたばかりだと、まだコーンは水分を含まなくてふにゃふにゃしていない。スプーンなどを使って、うまくクリームだけを外すことができた。

5、6回ほど、ソフトクリームのクリーム部分を捨てたものの、どうにかうまくソフトクリームを巻けるようになった。リズム感がないことで、まさかこんなところで苦戦するとは思いもよらなかった。

「成功したソフトクリームは、食べていいよ。エプロン外してベンチ座って食べ」
自分で作ったソフトクリームは、冷たくて甘くて、とてもおいしかった。

難しい作業はそれほど任されることもなく、いよいよクリスマスイブの日がやってきた。その日は終業式があって、そのあとにバイトに向かった。終業式は何時に帰れるのか分からないと事前に伝えていたけれど、終わり次第すぐにきてほしいと言われていた。

その日は、クラスでもクリスマス会みたいなことをやっていた。夜6時くらいから、おつかれ様会というか、担任の先生も交えてみんな受験にむけてがんばろう! みたいな会だった。クラスが全体的に仲良くて、わたしも気楽に過ごせていた。

わたしもその会に出る予定にしていたので、6時半くらいにはあがる予定でシフトは組まれていた。終業式はあっけなくおわり昼の12時前には、お店に着いた。

その日のバイト内容は、ほとんど覚えていない。

とにかく忙しかった。「今日は一年のうちで、一番忙しい日だから。がんばってな!」
エプロンを着けていると店長がバックヤードに資材を取りに来たついでに、わたしに声をかけてくれた。その日だけ、ややしょぼくれたサンタの帽子をかぶらなくちゃいけなくて、ちょっと恥ずかしかった。

予約されているケーキを受け取りにくるお客さまが次から次へとやってきた。また、予約していないけれどクリスマスケーキを買いにくるお客さまもたくさんいた。クリスマスケーキに合わせてシャンメリーも買ってかえる人もたくさんいた。

ショーケースにはりついて「こっちの、チョコレートのケーキがいい!」とお母さんと一緒に嬉しそうにケーキを買って帰る子どもたちがたくさんいた。

少し前までは、わたしもクリスマスケーキを楽しみに待っていたのに、こうしてケーキを売る立場にまわるんだなあと思うと、いつまで子どものままじゃいられないんだなとなんとも言えない気分になった。

こうしてアルバイトをしているのだって、四月からは一人暮らしがはじまり、そのためにできるかぎりお金を貯めておかないとという気持ちからだった。

とはいえ、その日はゆっくり考えごとをしているヒマはなかった。休憩時間をとる余裕もなく、ケーキの予約票を受け取り、ケーキの箱をいっかい開けて確認して、またフタをしめる。その繰り返しだった。

バイト終了の時間が過ぎていることも気づいていた。けれど、まだまだお客さまがくるので、1時間半くらい残って、ひたすらケーキを受け渡していた。

ほとんど忙しい時間も終わり、店長も「えっ! まだ残ってくれてたんかー。ごめんなあ」とわたしがまだ働いていることにようやく気づいてくれた。

バイト先を慌ただしく後にした。そうして、クラスのクリスマス会の場所にめちゃくちゃ自転車を漕いで向かっていった。
くたくただったけれど、働いた充実感みたいなもので身体はホカホカと温かく包まれていた。いつもなら寒くてピリピリする頬も、その日は少し心地良かった。





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