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父の日の広告をみると、ちょっとさびしい。

「6月16日は、父の日です」「父の日のプレゼント特集」

こういったweb広告を見かける時期になった。6月の第三日曜日は父の日だ。

どちらかというと忘れられがちなイベントというか、母の日よりもあんまり大事にされていないような気もする。けれども、贈り物をするチャンスがある日だとして、あちこちで「こんな贈り物をしてはどうですか?」という広告を見かける。

わたしの父は2月に亡くなってしまったので、もう父の日に何かプレゼントしなくっちゃと悩むこともない。父を偲んで父が好きだった花を飾ってもいいけれど、それはべつに、父の日じゃなくてもいい。

一応義理の父がいるので、その人になにかあげてもいいのかもしれない。けれど、はっきり言って彼が何を欲しているのかもよく知らないし、夫が何かすればそれでいいんじゃないかと思う。わたしのとって、父の日は、もう関係ないイベントになったんだと、広告をみるたびに思い知らされる。

わたしの実家では、母の日よりも、どちらかといえば父の日を優遇しなければいけない風潮があった。「家長を立てるのが、家族の務め」といった、今考えれば時代錯誤だけれど、男が偉いという考えの父だったので、父の日になんでもいいからプレゼントしないと機嫌を損ねる。そのため、毎年母は「お父さんに、これ渡すから」と、父の好きな花を用意したり、夏物の部屋着を用意したり、ときによってはパンツとか、その程度のものであっても、何かしら用意していた。

父の好きな花はまっしろな芍薬で、6月の三週目にはもうほとんどお花屋さんで見かけることはなかった。芍薬がお店に並ぶのは6月の上旬くらいまでで、お花屋さんを何軒も探し回ったこともあった。また、赤い芍薬や白と赤のまじった芍薬はきらいで「あー、ここちょっと赤い色入ってるんやな。お父さん、赤い色がはいってる芍薬、嫌いやねん」と、プレゼントしたにも関わらず嫌いと言われ、けっこうショックを受けたこともある。そのため、見つけても購入を見送ることもあった。

なんだかんだと気難しく、夕飯も父の好きなメニューを用意して、「父の日」は特に父を敬え、と威張り散らしていた父。めんどくさいし、酔っ払ってお酒臭いし、グチっぽいし、どちらかというと父とは分かり合えないと思って過ごしていた時期も多い。

ただ、それでも大学生になり離れて暮らすようになってから「お父さんにプレゼントしよう」とアルバイトしたお金で地ビールを送ったり(その地ビールもあんまり美味しくないといわれたけれど)、好物のメロンを送ったり(硬いし、キュウリみたいな味がしたといわれた)、お父さんが喜ぶといいなと思いながらあれこれ品定めをしていたことを思い出す。

わたしがうつ病になって実家で過ごしていたときは、父は定年退職して、お酒もほとんど飲めなくなっていた。そういったときは、特別なプレゼントじゃなくって、「お父さん、よく鼻かんでるからポケットティッシュの詰め合わせな」といって、駅前で配っていたポケットティッシュを集めておいてプレゼントしたり、「お父さん、よくお腹壊してるから、トイレットペーパー、プレゼントな」などと、そもそも家に買い置きされていたようなものすら、適当な紙袋に詰めたり、包装紙でていねいに包んだりして、プレゼントしていた。

結婚して、また離れて暮らすようになってからは、家族みんなで食べられるように果物をあげることが多かったし、電話をしたり、メールをして「父の日、おめでとう」と特におめでたいわけじゃないけれど、おめでとうと言って連絡していた。

昨年は、父は病院で過ごしていたので電話はできなかったけれど、父の日の次の週に病院にお見舞いに行った。大きな地震が起きたばかりで、父の日どころではなかったし、父自身も大きな手術を終えて、なかなか退院できなくて、もどかしそうだった。

父の日の広告を見かけて、いろんなことを思い出した。ちょっとさみしいけれど、思い出せてよかった。赤い芍薬を買って「ひろちゃん、お父さん赤い芍薬はあんまり好きちゃうねん」と言わせてやりたい。



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