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よく見て、感じて。観察から始めよう。

一か月前に投稿されていた、ヤマシタサトシさんのこのnote。


すでに読まれた方が多いと思いますが、私はつい最近になって読みました。

続けて読んで加藤貞顕さんのこちらのnote。


両方とも「観察すること」の重要性を書いてらして、確かにその通りだなぁと強くうなずく内容でした。

観察した先に、何が見えてくるか。何が見えてこないか。気付かないことや見過ごしてしまうこともたくさんあるとは思います。だけど、まず興味を持ってみてみる、ということが大事なんですよね。

小学六年生の時に、図画工作の授業で「有名な絵を見て模写してみよう」という課題が出たことがありました。

葛飾北斎の「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」や、写楽の「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」などの浮世絵や、モディリアーニが描いた女性の肖像画など、小学生でも「あー、なんかみたことあるかも」というモチーフが五、六枚用意されていて、好きな絵をよく見て描いてみようという授業でした。

どの絵も魅力的で、私は迷いましたが、ユトリロの絵を選びました。パリの街並みを遠近法を用いて描いてある一枚でした。

有名な絵を模写してみる、というのは初めてのことで、どんな風に進めていけばいいのかよく分かりませんでした。遠くにある建物が小さく見える小径。それをただただ真似をして描けばいいのかな? と。ですが、その絵(プリントですが)をよくよく、近づいて見てみると、絵に重なりというか、盛り上がりがあるように感じたんです。ユトリロの絵は油絵の具で描かれているため、絵の具をべたっと乗せているように見えました。

小学校の授業では水彩絵の具を使っているため、同じような質感は出せない、と気がついたんです。絵の形だけを真似ることはできても、絵の持っている重苦しい雰囲気や、のっぺりとした質感は出せないんだと。

それに気づいたときに、私は水彩絵の具をほとんど水で溶かないで、チューブから出してほとんどそのままの状態で色を作ってべたべたと重ねていきました。何度も何度も、同じ場所ばっかりベタベタと。同じ絵を選んで描いていたクラスの子たちは「そんな塗り方してたら描き終わらへんやん」と、呆れていました。絵の進み具合が遅い人は放課後に残って進めていいと言われたので、何日か残って描いたことを覚えています。

そうして、出来上がった絵は、たっぷりと塗り重ねられた水彩絵の具がバリバリと乾燥して、表面に細かなひびが入っていました。乾燥して割れてしまった餅のように。

描いた絵がひび割れしてしまっていたことは、少しショックでした。ですが、ユトリロの絵から感じた、もったりと暗く重苦しい雰囲気を少しでも出せたことには満足していました。

観察して感じとることって、人によっては違うと思います。スケッチをしてみると、対象物の仕組みを考えてみるきっかけにもなります。

スケッチだけに限らず、言葉に置き換えてみる、という「観察テキスト」というのも有効じゃないかと思うんです。実際に目で見たことを言語化してみる。毎日心の動きやら、目の前で起きた物事なんかを言葉にしてみる。スケッチとは違うので、自分の知っている言葉だけを選んでしまうかもしれませんが。例えばそれは何に似ているかとか、どんな手触りだったかとか。自分自身の心はどんな風に動いたかなんかを、客観的に観察してテキスト化してみる、というのも、今まで見えてこなかったもの、今まで表現できなかったことを「言葉」として変換できるようになるんじゃないかな? と考えています。

スケッチ、テキストのどちらにしても、まずは手を動かし続けることが肝心。それが一番難しい気もしますが、いろいろと自分自身の中で取り入れていこうと思います!

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