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弱肉強食とは一体誰が決めるのだろう

その本を読み終えたあと、ずっしりと重い気持ちが、いつまでもいつまでも消えずに、私の心の中に渦巻いている。

食べられると思って注文したのに、思いのほかボリュームがあり、むしりして食べてみたものの、なかなか消化しきれずにいるステーキセット、といった感じだ。

「息子と狩猟に」という本を知ったのはTwitterで流れてきたタイムラインだったと思う。「サバイバル登山家が書いた小説」と、紹介されていたように記憶している。

私自身はサバイバルからは程遠く、登山にも全く無縁な生活をしている。著者の服部文祥さんという方のことも何にも知らなかった。だけど、ここ一年くらいの間に「山にクマと出会ったらどうすればいいか」という相談を度々夫から持ち掛けられてもいた。私の夫は釣りが好きで、山間部での釣りが解禁になれば、休みの度にいそいそと出かけている。しかし、その釣り場の近くでクマの目撃情報が増えているらしい。これまで釣りをしていたのに、立ち入り禁止になった場所すらあるという。

「釣りをしているときに、クマに会ったらどうしたらいいと思う?」

夫は真剣なまなざしで、私に相談してくる。けれど私は「自然の中でクマに出会う=死」としか思いつかないため、「いや、もう覚悟を決めて目をつぶるしかないんじゃない?」という答えしか出てこない。夫はめげずに「時々ニュースで見かける、空手の達人とかみたいに撃退できないものだろうか?」とはなしかけてくるけれど、そもそも空手の達人になるには相当の年月がかかるんじゃないのか、と夫の発想力に笑ってしまう。サバイバル環境を生き抜くには、よっぽどの知恵と、体力、あとは経験や運も必要になるに違いないと思っている。

サバイバル登山家が書いた小説、というのはどんなものだろう?

単純にそう思い、手に取ってみたのだった。

この本にはふたつのお話が収録されている。表題作となっている「息子と狩猟に」と「K2」という登山における極限状態を克明に描いたもの。

「息子と狩猟に」は、タイトル通り、息子とともに山に入った猟師の話だ。だけど、その鹿狩りを息子に体験させてやろうと考えていた山の中で、思いがけない人物に出会ってしまう。それは死体を抱え、山に捨てに来ていた詐欺グループのボス。

対峙する男たちの想いはぐちゃぐちゃと絡み合う。

この筋書きだけを聞いていると、なんとも突拍子もない話のようにも聞こえるかもしれない。けれど、詐欺グループの男が考えていることも、一理ある、と考えずにはいられなかった。犯罪を犯すことは、いけないことだ。それは社会のルールとして、決められている。けれど、「生存する」という意味において、「弱いものから狩りをする」という考え方にしてみれば、「おれおれ詐欺にひっかかる弱者は、ワルジエのはたらく強者の餌食になってもしかたない」という、めちゃくちゃ理不尽ではあるけれど、一見すると筋が通っている様にも思える理論を振りかざしている。

対比として書かれている猟師の男の中にも、「人間が、人間を罰すること」についての葛藤が描かれている。猟師の男が、自然に対していだく尊敬の念のようなものは文章のあちこちから浮かび上がってくる。おそらく、著者である服部氏の想いが込められているからに違いない、けれど、「人間が、人間を罰すること」については、かなりの迷いと、葛藤、逡巡があり、そして決断が下される。簡単に決められることじゃないと、分かっているからだろう。それは、人間同士は対等で、弱者も強者もない、ということなのかもしれない。自然の中にいる人間は、ただただ無力にすぎないのだから。

ストーリーだけを追っていけば、スリルに満ちた物語で、とても面白い。

けれど、一旦「人間の強さとは、なんだろう?」と考え込んでしまうと、それほど長いお話ではないのだけれど、ずっしりと、片手では持てないほどの重みを帯びた内容だった。人間と自然とのかかわり方と、人間が同じ人間に持つ感情の深さを考えずにはいられない。

未だに胃の中で消化できずにいるステーキのようではあるけれど、肉質は良くて、食べ慣れていないものを、つい食べ過ぎてしまったようだ。なかなか消化できない問題だけれど、もう少し、考えてみたいとも思っている。


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