プールとカップヌードル

あと一週間で「まんぷく」が終わってしまうのかと思うと、かなり寂しい。

しかし、ここにきてまだカップヌードルは完成してないし、福子のお母さんである鈴さん(八十歳)が倒れるという、まだまだ目が離せない展開である。画家である忠彦さんの弟子、名木くんからも、目が離せない。

謎肉や、エビのフリーズドライに悪戦苦闘しているカップヌードル。わたしは、小学生のときに初めて食べたのをはっきりと覚えている。

我が家ではあまりインスタントラーメンを食べていなかった。母が「身体に悪そうだ」といって、あまり食卓には上らなかった。ときどき父が「うまかっちゃん」というラーメンを食べていて、それを一口もらうくらいだった。

母は健康志向だけれど、いろんな調味料は使っていたし、健康オタクというわけでもなかった。けれど、インスタントラーメンは「油がまわっていて、気持ち悪くなる」としょっちゅう言っていた。(たしかに「まんぷく」をみていたら、麺を油で揚げていたので、油っぽいというのも理解できた)

初めて食べたカップヌードルは、プールの帰りだった。父の勤め先の郵便局には、保養施設があった。テニスコートや野球場などの一角に室外プールがあって、夏のあいだ解放されていた。

自宅から電車で二駅行った先に、その保養所はあった。そのため、夏休みの暇なときには、姉と父とわたし、または姉と母とわたしでしょっちゅうそのプールに通っていた。ただ、家族四人で行った記憶はほとんどない。そのプールがあったおかげで、わたしはクロールも平泳ぎも泳げるようになったといっても過言ではない。

プールに行くときはお弁当を持って行っていた。夏場なので、梅干をたっぷりつぶして、ご飯に混ぜ込んでつくったおにぎりが定番だった。おかずは移動中に傷んでしまう恐れもあるし、おにぎりだけのことが多かったように思う。

昼前くらいにプールについて、それからはずーっと泳いでいた。母はプールには入らなかったけれど、姉と父はプールに入って、それぞれ好きなように泳ぎ続けていた。

夕方四時くらいになると帰り支度を始めた。着替えて、ちょっと休憩して帰る。たっぷりと泳いでお腹がすいているので、残していたおにぎりを食べたりしていた。

あるとき、姉もわたしも猛烈にお腹がすいていた。泳ぎつかれてくたくただったし、家に帰る前に何か食べたかった。その日は父が一緒にプールについてきてくれていて、どうやら父もお腹がすいているようだった。

休憩所にはカップヌードルの自動販売機が設置されていて「よっしゃ、これをひとつ買って、三人で食べよ」と、父が提案してくれた。たしかに、わたしも姉も、その自販機にあるカップヌードルを買って食べたかった。けれど、これまで食べたこともなかったし、お母さんに怒られるかも……という気持ちもあった。父が提案してくれたことで、わたしたち姉妹は飛び上がって喜んだ。

その休憩所はヤカンが置いてあって、お湯を沸かしたりできるようになっていた(カップラーメンを食べるためだろう)ので、お湯を沸かして、三分待って食べた。プールで冷えた体に、カップヌードルはとてもあたたかくておいしかった。エビが入っているのもびっくりしたし、肉っぽいものもおいしかった。ただ、カップヌードルを三人で分けたので、あっという間になくなってしまった。

おいしくて、懐かしいカップヌードル。最近は全然食べていないけれど「まんぷく」が終わる前に、久しぶりに食べてみようかな。

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