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お正月だよ、黒豆チャレンジ!

お正月を迎えるたび毎年思い出す、笑ってしまう記憶がある。

その名も「黒豆チャレンジ」。

わたしの実家では、母が毎年おせち料理を作ってくれていた。12月28日くらいから買い出しの準備をリストアップを始める。煮しめに必要なクワイや金時人参といった年末にならないと売り出されない食材や、有頭エビやブリといったちょっと豪華な(けれども冷めてしまうと人気のない)おせちに欠かせない食材を買い忘れのないように、メモに書いていった。

わたしと姉はおせち料理よりも、母が炊いてくれる黒豆が好きだった。29日と30日の二日がかりで炊き上げる黒豆は、ぷっくらとしていて、いくらでも食べられた。大晦日には炊きあがっているので、お重に入りきらなかったおせち料理のあまりと、黒豆を大晦日の夕食に食べる、というのが、幼い頃からのお決まりだった。

わたしが高校生くらいの頃だったろうか。親戚の勤め先で「おせち料理を販売するノルマがある」という話が持ち上がった。わたしのいとこにあたる人が当時ホテルで勤務していて、「ホテルの料理長が作るおせち料理」という触れ込みのお重を販売しなくちゃいけないという。わたしとしては、パンフレットを見ても大して美味しいとも思えなさそうなおせち料理を購入するのもどうかなあ? と思っていたし、実際に「えー、これ美味しくなさそうやなあ」などと文句も言ったのだけれど、親戚付き合いのため止むを得図、購入することが決まった。

ただ、毎年おせちの人気メニューである黒豆や松風焼き風(鶏ひき肉に甘ジョッパイ味つけをして焼いたもの)などは作ろうか、ということになっていた。そうして、毎年母が炊いてくれる黒豆は、みんなの楽しみとして毎年食べることができたのだった。

今から10年くらい前のこと。相変わらず「ホテルのおせち」を頼まなくっちゃいけない風習は残っていたし、母が炊いてくれる黒豆も安定の美味しさだった。

しかし、そこに「姉の炊いた黒豆」が追加されることになった。姉は何かのレシピで知った方法で黒豆を炊いてみたいと言い出した。お正月に黒豆ばっかり食べてもしょうがないような気もするから、お正月が終わってから炊いてみたら? と母は言っていたけれど、姉としては「母の黒豆と食べ比べをしたい」と言って聞かなかった。姉は言い出したら聞かない性格のために、母が折れた。おせちのお重と、母が炊いた黒豆と姉の炊いた黒豆が食卓に並ぶ。ちなみに、おせちのお重の中にも、黒豆は入っているのである。

母が炊いた黒豆は変わらずに美味しいなあ、とか姉の炊いた黒豆は、ちょっと皮が破れてしまって課題が残ったとか、おせちの黒豆は甘ったるすぎるなどと家族みんなで感想を言い合った。

そこで、姉がふと「目隠しして三種類の黒豆を食べてみよう」と言い出した。姉は悔しかったのだろう。自分の炊いた黒豆の味は、悪くないはずだ。母と比べると皮が破れてしまったり、シワが寄ったりして、ぷっくりとした黒豆ではない。見た目がすでに負けているのは認めるけれど、味は悪くない。そう思ったのだろう。

母の黒豆、姉の黒豆、おせちの黒豆。

この三種が皿に盛られる。食べる人はタオルでしっかりと目隠しをされる。「あーん」と口だけを開けて、黒豆が一粒ずつ、口の中に放り込まれるので、それを味わって吟味する。ちょうどお正月のテレビ番組で放送されていた「芸能人格付けチェック」を真似したようなものだろう。ひとくちワインを飲んで「高級」か「安い市販品」かを見分けるようなものに近い。

母と姉と、わたしは、あんまり迷うことなく「この黒豆はおねいちゃんが炊いたやつ」とか「ホテルのやな」などと当てることができた。出来上がった試食の段階から、もう何度も食べているので、味の違いは見なくてもわかる。

しかし。父は違っていた。「え? これはどっちやろか。おねいちゃんが炊いたやつか、ホテルのか……」姉の炊いた黒豆は、甘さが控えめで、ホテルの黒豆とは似ても似つかない味なのに、迷っていた。そうして、間違えていた。

父の味覚は、まったく当てにならないんだと、その時父も含めた全員が知ることになった。味覚障害、というわけではなさそうだったので「大体のものは美味しいと感じている」という結論に達した。母だけは、「今まで何食べさせてても一緒やったんか」と少しばかりショックを受けていたけれど。

この「黒豆チャレンジ」は、翌年、翌々年くらいまで続けられた。父は毎年間違い続けていたし、黒豆じゃなくて、栗きんとんを口に放り込まれたりして「なんやこれ! あ、栗か」と芸人ばりの驚いたリアクションを取ってくれたりした。

わたしが結婚して、実家を離れてしまって、元旦に実家にいないことと、姉もだいぶコツを掴んできてお正月ではない時期に黒豆を炊くようになったことが重なった。いろいろと食事の制限をしなくちゃいけないこともあって、もうこの「黒豆チャレンジ」は行われていない。

数回しか行われなかった黒豆チャレンジだけれど、お正月の記憶として、わたしの胸にしっかりと刻まれている。

#note書き初め

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