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幼いころ、どうしようもなく怖くなった夜のこと。

少しまえに書かれた、仲高宏さんのnoteを読んで「わたしにも思い当たる節があるな」と感じたことがあった。

子どものころ、夜になって、もう眠いから布団に入ったのに。どうしても眠れなくなってしまうことがあった。

はっきりとした年齢は覚えていないのだけれど。幼稚園くらいから、たぶん小学校を卒業するくらいまでは続いたとおもう。仲さんの息子さんは3歳ということなので、すこし年上だし、感覚的にはちがっているかもしれないけれど。

なぜかわからないけれど、妙に怖い気持ちになったのだ。

目をつぶると目の前が真っ暗になって怖い、と感じることも、ほんの一時期あった。けれども、そうではなくて、ある映像が目をつぶると浮かび上がってくる。いつも、いつも、同じ映像。

その映像は、おそらくわたしの頭の中で再生されて、繰り返し流れているのだろう。けれど、目を閉じると映像がぶわーっと映し出されて、怖い。眠りたいのに、目をつぶると怖い。

断片的に覚えているその映像も、文章にしてしまえばたいしたことない。

わたしは船の上に、ひとりで立っている。船は大きくて、海の上、というよりは空の上を飛んでいるようだった。船の周りには雲があった。がらんとして、人の気配はなにもない。わたしひとりだけが、その船の上に立っている。

わたしが乗っている船のそばには、もう一隻の船があった。そばといっても、飛び移れるほどの距離ではなさそうだった。もう一隻の船の場面は、場面転換というか、シーンが一瞬で切り替わってしまうため、正確な距離感はつかめなかった。

そちらの船には、たくさんの人がいるようだった。わたしよりも大人のひとたちがたくさんいて、戦っているのような素振りもあった。はっきりとは覚えていないけれど、にぎやかで楽しそうというよりは混乱とか動乱という雰囲気だった。海賊とか合戦、ということばも当てはまりそうだった。

わたしがひとりでいる船の場面と、大勢の大人が騒がしくしている船の場面が目をつぶるたびに、交互に目の前にせまってくる。

違うことを考えようと頭を振り払っても、全然だめだった。目を閉じるたびに、その映像がはっきりと、カラーで浮かび上がってきた。なんなら音まで聞こえていたかもしれない。

眠いと思って布団に入ったのに、その映像が浮かび上がってくる日は、どうしても眠れなくって、怖くなって泣いていた。

「こわくて、眠れない」と、まだ起きていてテレビを見ながら話をしていた父と母のもとに泣きながら訴えたことも何度かあった。昼間はほとんど泣かないわたしが、泣きながら訴えてくるため、両親は毎回ぎょっとしていた。理由を聞いても「船の場面が怖い」としか、わたしも言えなかった。怖い理由が、自分でもよくわからなかったからだ。

父と母は、わたしが眠りたいのに眠れないんだろう、それで焦っているのだろうとおもったらしく「寝よう寝ようと思えば思うほど、寝られへんようになるから、あんまり考えたらあかん」と、諭されるばかりだった。

イレギュラーなパターンとして夜中に目が覚めたあと、この映像が浮かんできて眠れなくて泣くこともあった。その時は、同じ部屋で眠っている姉と母を起こしてはいけないと、ふかく布団に潜り込んでさめざめと泣いた。怖くて本当は母にしがみつきたかったけれど、もうそんな年でもないし、母を起こすと怒られるかもしれないと思い、がまんしていた。

正直なところ、自分でも浮かび上がるその映像のなにが怖いのか、まったく分からなかった。ひとりぼっちでいることがこわいくて不安だ、というのはなんとなくわかる。けれど、そのあとに大人たちの騒がしい場面が来る意味はわからない。

大人になったからなのか、もっとほかに怖いことがあると知ったからなのかはわからないけれど、いまではもうこの映像が勝手に浮かび上がることはない。ふとした拍子に思い出すことはあるけれど、すくむような怖さを感じることはない。ただ、幼いころ特有の恐怖心、とも少し違うように感じている。

怖い理由がわからなくって、たださめざめと泣いていたとき、わたしは単純に、ぎゅっと抱きしめてほしかったのかもしれない。




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