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せめて、スタートラインには立ちたかったのに。

2015年3月1日。

小雨がぱらつく寒い空の下。私は大根一本と参加者に配布されるTシャツを持ち、泣きそうになりながら、とぼとぼとと砂浜を見ながら歩いていた。

エントリーしていたマラソン大会。スタート時間に合わせて会場に到着していたのに。私は一秒も走ることなく、会場を後にした。

「最近運動不足だし、ちょっとランニングでも始めようかな」

軽い気持ちで夫と話していたのは2014年の秋ごろのことだった。私は、たぷたぷと揺れる腹の肉をつまんで、「運動して痩せよう。体力をつけよう」と決めたのだった。

もともと走ること自体は、嫌いじゃなかった。高校生のときに自主的に走って、校内のマラソン大会で思いのほか良い成績を挙げたこともある。学校の授業として強制的にやらされる運動からは全力で逃れたかった。仮病を使って、さぼったこともあった。運動神経は悪い方だ。逆上がりは一度もできなかったし、跳び箱も跳べやしない。けれども、「わりと好きかも?」と思えるスポーツもあった。それは「マラソン」と「水泳」このふたつ。

どちらも、自分のペースでおこなうことができるし、こつこつ続ければそれなりに満足もできる。タイムを縮められたり、距離を伸ばせたり。誰かと一緒に走ったりするのは苦手だったけれど、ひとりで黙々とこなす運動が好きだった。

自分の二本の足を交互に動かすだけで、走り出すことはできる。むずかしく考えることなく、私は休みの日には自宅の近所を走ることにした。

そのころ、マラソンはにわかにブームになっていた。女性ランナーのための可愛いウェアが発売され始めていたし、マラソン大会に出場する友人もいた。

「走るために、なにかしら目標を決めるもの良さそうだな」

走り始めてすぐの頃。まだ三キロも走れば足はがくがくになったけれど、冬に開催される「三浦国際マラソン」に申し込んでみようと思った。自分で自由に走っているだけだから、それほど追い込む必要はない。けれど、「どのくらい走れるのか」を距離と時間で、正確に知りたいとも思ったからだ。ハーフマラソンへのチャレンジはまだ無理だろうとして、10キロ走にエントリーした。

これまでの人生で、10キロも走ったことがない。高校生の時だって、8キロのマラソンコースだった。人生で初めて走る距離へのチャレンジ。頑張ろうと思い、仕事が休みの日にはこつこつと走り続けた。自宅からどんな風に走れば10キロになるかをグーグルマップで調べてみたり、専用のサイトで計測してみたりした。交通量の多い道路沿いは、あまり走りたくなかったので公園を何周すればいいだとか、裏道を走って海沿いまで行くには、など試行錯誤しながら走れる距離を伸ばしていった。そうして、本番のマラソン大会まであと一か月くらいになった時には、辛いことは辛いけれど、なんとか10キロ近くは走れるようになっていた。

マラソン大会開催の二日前。私は生理になってしまった。こんな時に限って、タイミングが悪い。けれど、走っているときに生理が始まるよりはましだ。そう思うしかない。一番出血量の多くてつらい生理二日目は、マラソン大会の前日。なんとか、乗り切れるだろう。我慢ならない生理痛を抑えるべく、鎮痛剤を飲みながらそう考えていた。食事にも気をつけて、当日お腹が痛くならないように、生野菜なども控えていた。ただ、生理二日目も生理痛はおさまらず、私は再び鎮痛剤を口にした。

マラソン大会当日の朝。

トイレに入って用を足すため、パジャマのズボンをおろしたとき。お腹にぽちりぽちりと、赤い発疹があった。あれ? 虫にでも刺されたのかな? その時はその程度にしか考えなかった。朝食を軽くとって、マラソン大会へ出かける支度をした。

その日、夫は午後から仕事だったので、会場の近くまで車で送ってくれることになった。自宅から会場まで、車で割と近くだったし、夫も会場の雰囲気を見てみたいと言っていた。

会場付近にはマラソン大会に参加する大勢の人がいた。近隣の小学校や市民センターで着替えをおこなうことができた。周りの人達もどこか気分が高揚していたし、私もこれから始まるマラソン大会にむけての緊張が少しずつ高まっていた。

しかし、私にはひとつ気になることがあった。それは腹に出ていた発疹だった。会場入りをして、着替えをおこなった際に発疹の数が増えていたからだった。見て見ぬふりをして、走ってしまえばいいだろうか? ただ、なんとなく気になって、心配にもなっていた。

3月になったばかりの寒空で、まだ少し時間があったので車の中で待っていれば? と夫に言われたので車のそばでウォーミングアップをしていた。無意識に腹のあたりを掻いていることが増えていた。車を止めている駐車場のそばにあるコンビニエンスストアでトイレを借りて、もうスタート地点に行っておこうと思っていた。しかし、そのトイレで、ズボンをおろしたとき、私はぎょっと青ざめた。足の付け根から太ももにかけてぼちぼちと発疹がたくさん出ていたのである。念のため上着をめくってみるとお腹あたりは一面赤く腫れていた。

……どうしよう。これは蕁麻疹に違いない。見なかったことにして走ってしまおうか? いや、でもな……。

走りたい気持ちがすごく強かった。せっかく今日のために練習してきたんだし。けれど、「ちょっとヤバいかも」という気持ちもあった。仕方なく、車に戻り夫に相談しようと思った。客観的な判断を仰ごうと。

車の中で夫に「どうやら蕁麻疹が出ている」と上着をめくって見せた。すると夫は「え? これ、結構やばそうだけど。なんでもっと早く言わないの」とちょっとあきれていた。走りたいんだけどダメかな? というと「走ったら身体中に蕁麻疹が広がるし、ダメに決まってる」と、真顔で諭された。

食べ物に気をつけていたのに、なんで蕁麻疹が出たのだろう……。悔しくなって「走りたいのに!」と車の中で泣いてしまった。夫は「また頑張ればいいよ。でも今日は走ったら喉の中にも蕁麻疹が出て、呼吸困難になるかもしれないし、絶対にダメ」と優しい口調ながらも、厳しかった。駄々をこねる子どもを諭すように。

「……じゃあ、参加賞の大根だけ、もらってくる」

そういって、とぼとぼと主催者のテントまで歩いて行った。スタッフの人に「蕁麻疹がでて棄権しなきゃいけない」と告げると、「残念ですね」と言いながら、大根を一本と参加費を支払っているからということで記念Tシャツを渡してくれた。

大根を握りしめて、とぼとぼと車へもどる。周りではもう間もなく始まるレースのためにウォーミングアップをしているランナーの人達がたくさんいる。「あれ? あの人どうしたのかな?」といった風に、大根をもってスタート地点とは逆に向かって歩いている私を見ている人もいた。

悔しくて悔しくて、車に戻ってまた泣いた。今日のために練習してきたのにとおもうと、涙が止まらなかった。夫は少しあきれていて「健康ならまた来年チャレンジすればいいじゃん」と私の背中をさすってくれた。

日曜日だったので、病院はどこも休みだった。救急病院に行くほどでもないと私は勝手に判断して、その日はもう、布団をかぶっておとなしく寝ることにした。帰宅してパジャマに着替えるとき、身体を確認してみると全身に発疹が出ていて「あー、だめだこりゃ」と力が抜けた。

月曜日の朝いちばんに病院へ行った。一番ひどく発疹が出ていた時、写真を撮っていたのでスマホを見せて医師に確認してもらったところどうやら薬の副作用ではないかとのことだった。薬の副作用で蕁麻疹が出ることがあり、かなりひどい症状を引き起こすこともあるのだという。私の場合はまだ大したことない程度でよかったですねと言われた。「マラソン大会に出場しようと思ってたんですけど」と医師に伝えると、ぎょっとした顔をされ「走ってたら救急車で運ばれてたかもねえ」と真顔で告げられた。

この一件のあと、私の「マラソン欲」はシュルシュルとしぼんでしまった。風船から空気が抜けていくかのように。目標に掲げていた大会を、本当に「目前」にして棄権してしまったことがかなりダメージになっていた。タイミングが悪かったのだし、また次にチャレンジすればいいやと思えればよかったのだけれど、どうしてもそんな風に思うことはできなかった。あの日、せめてスタートラインに立つことができていれば、また違っていたのかもしれない。けれど、それを確かめる術はもうどこにもなかった。

しかし、ここ最近になって、またたぷたぷと揺れる腹の肉をつまんではため息をついている。また、ランニングシューズを履こうと決意する日は、そう遠くないのかもしれない。







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