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「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読んでおもったこと。

幡野さんのことを知ったのは、Twitterでリツイートされてきたひとつのブログだった。2017年の年末に公開された「ガンになって気づくこと。」というタイトル。その書かれている内容を読んで、胸が苦しくなった。

正直に告白すると、読んだとき胸が苦しくなったのは本当だ。そのときは「ご本人もまだ若くて、お子さんも小さいのに。つらいやろうな」と、ガンはどこか他人事の病気だった。

幡野さんのTwitterやブログなどを見るようになって半年も経たない、2018年の4月のこと。

「お父さん、肝臓と胃にガンが見つかりました」と実家の姉からLINEが送られてきた。お父さんがガンになった。現在の日本ではふたりにひとりがガンになると言われている。そう考えるとわたしも含めて4人家族の実家ではふたりがガンになっても数字上はおかしくない。理論上は、納得できる。それに、父はC型肝炎を患っていて、その治療はしていなかった。肝炎は程度が進行していくと肝硬変になり、肝臓ガンを発症することがある。それは家族全員がわかっていた。けれど父が「病院に行かない。治療しない」と頑なに拒否していたため、殴って気絶させて病院にでも連れていかない限り、肝臓がどんな状態になっていたかは、誰もわからなかった。

父自身は体がだるいとか、そういった症状はあっただろうけれど「いつもこんなもんや」とだましだまし、やってきたのだろう。

父がガンだと知らされたとき、わたしが持っているガンに対する知識はほとんどなかった。ただ、いろんな種類のガンがあり、ガンと一括りするのは難しい病気だという認識はあった。それは、幡野さんのブログを読んで、感じていることでもあった。

ガンが見つかってすぐに、父は手術をおこなった。ほぼ一日中、病院で過ごした1日のことは、忘れられない。(といっても、まだ1年くらい前のはなしだ)

手術は成功したし、まあまあ経過も順調なのかなと思っていた。わたしは離れて暮らしているので、時々しか実家に帰れなかったけれど、帰るたびに父は阪神タイガースを応援していたし、数字パズルに夢中だった。食後にたっぷりお薬を飲まなくっちゃいけない以外は、あんまり変わっていないように見えた。病院に付き添ってくれている姉の話を聞いても「今のところは様子を見ましょうって感じみたい」とのことだった。

ただ、父に会うたびに「急に年寄りになったな」と思うようになった。74歳だったし、そもそも高齢者と言える年齢だったのだけれど、立ち上がるのにも一苦労。靴下もうまくはけない。お薬の袋も開けられない。手が震えて物を取り落とす。前回帰ってきたときは、できてたことが一人でできなくなってきていた。2ヶ月顔を合わせないと、10歳くらい老けたような感覚があった。

2019年のはじめに、父は救急車で運ばれた。お風呂で意識を失っていて、半分溺れかかっていたという。ただ、そのときは病院の処置のおかげもあって意識を取り戻した。お見舞いに行くと、お正月に会った数日前よりもかなりげっそりとして顔つきが変わった父がいた。

その数週間後に「緩和ケアのある病院に転院しましょう」という打診が病院側からあり、父自身もそれを受け入れていた。「緩和ケア」という言葉も、わたしはそれまであまり知らなかった。幡野さんのTwitterをとおして知ったことでもあった。Eテレで放送されたハートネットTV「がんになって分かったこと〜写真家 幡野広志35歳〜」をみて「緩和ケア」や「安楽死」について少し考える程度だった。

自分の父親がガンになっているのに、ガンに対して勉強してみようとか、現在の日本の医療はどうなっているんだろうとか、全然真剣には考えていなかった。やっぱりどこか、他人事だった。

もっとも、家族があれこれ言っても、父自身はいうことを聞かないし、「お父さんがやりたいようにやったらいいねん」という諦めに似た感情が母にも姉にも、わたしにもあった。肝臓の病気が進行してるであろう兆候は、もう10年くらい前からあったし、何度言っても父は頑なに病院に行かなかったのだから。

ガンが見つかったときもひとりで病院に行って告知を受けたとき「治療に関しては、お父さんの好きにしたらっていわれるだろうから、家族に何も相談することありませんと」言ったらしく、主治医から「あなたはワンマンな人なんですね」と言われたと怒って帰ってきたという。

父自身が「自分のことは自分で決めた」と言えるならいいのだけれど、そう言い切れない気もしていた。幡野さんのガンは、わたしの父のガンとは違う。けれども、幡野さんが発信されていることで、わたしも「ああ、今のガンの治療体制はこうなっているのか」と知らされるところもあった。

父は緩和ケアのある病院へ転院する前に亡くなった。緩和ケア病棟は、もう治療の施しようがない人が行く場所だと、本人も気づいていたのかもしれない。緩和ケアの話のあと、一週間も経たなかった。父は本当に眠るように意識を失って、あっという間に死んでしまった。

父の病気に関して、わたしはどこか部外者のような気持ちになっていた。ガンが再発して、抗がん剤の治療のために入院するという話が出た。そのときにお見舞いに行こうとしたら「しんどいときに人に会いたくないから、来ないでほしい」と言われた。離れて暮らしていて、時折しか帰らないわたしに頼ることはないし、姿も見られたくないんだと、拒否されたような気になった。けれど、父がそうしたい、というのなら、それは受け入れようとも思えた。

幡野さんが「患者の気持ちがおろそかにされていないだろうか」と疑問を訴えていたことも、受け入れようと思えた要因でもある。もっとも、肝臓に負担がかかりすぎるという判断から、結局は抗がん剤治療は行えなかったのだけれど。

「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読むのが怖かった。幡野さんの文章を読むと、勇気付けられたり、考えさせられる所も多い。けれど、それ以上に自分の考えの甘さや、覚悟のなさ、無自覚さを思い知らされるからだ。

発売後にすぐ購入し、手元には置いていたけれど、すぐに読むことはできなかった。

けれど、Twitterで流れてくるいろんな人の感想を読んで、やっぱり読もうと思えた。本屋さんでカバーをしてもらったため、目にしていなかった帯の「自分の人生を生きろ」というコピーにも、勇気付けられた。

一人暮らしを始めるとき、何気なく父に「老後の面倒は見るからね」と気軽に言ってしまったことをずっと後悔していた。父の老後は、もう終わってしまった。面倒を見るなんて、覚悟もなく口にしたことをずっと悔やんでいたし、今でもまだ悔やんでいる。

それでも、後悔を抱えながらでも、自分の人生を選んで、生きていくしかないのだ。選べなかったことを、選びなおすというのは、生き方を選ぶこと。そして死に方も選ぶ、ということだろう。

答えはすぐには見つからないものの方が多い。正解だと思い込んでしまいたい、ということもある。流されたほうが楽だということも。

それでも、ひとつずつ、選んでいくしかないのだろう。この本を読めて、よかった。



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