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便利を求めすぎると、不便になるんじゃないだろうか。

便利を追及しすぎると、その「便利」に縛られすぎて不便になるんじゃないかと考えることがある。

「スマートスピーカをくれるらしいんだけど、もらう?」

年末ぐらいの話だけれど、夫からそう聞かれた。

スマートスピーカー? あの、話しかるだけでなんやかんやしてくれて、便利そうに見える機械のことだろう。

「全然必要ないよ。むしろタダでもらえるって言っても、いらないよ」わたしはそう返事した。

夫も、まあそうだよねといった表情でわたしを見ていた。

わたしは普段あまりしゃべらない。会話がないという訳じゃないけれど、必要以上に話はしない。そのため、親戚の集まりなどがあって、いつも以上に会話しないといけないと、すぐにのどが痛くなるほどだ。(たぶん、これはダメだと思う……)

iPhoneを利用しているけれど、いままでにいちどもsiriと会話をしたこともない。設定すらしていない。siriに何か聞く必要あるだろうか? 機能を利用してもいないので、否定するのもおかしいだろうけど、あんまりsiriとは仲良くなれないなあと距離をとっている。「ヘイ! siri」と話しかけるのも恥ずかしい。

「じつは、会社の上司がスマートスピーカーを買ったんだけど、思ってたのと全然違うみたいで。持て余しているから、必要ならあげるよって言われたんだよね」と夫は言っていた。

その上司であるOさんは現在60代後半。再任用制度で、いまも勤務している。ひとり暮らしで、お子さんもいない。会社でPC類を使うのもやっとのことらしく、夫は何かとサポートしているという。携帯はつかえるけれど、PCでメールを送るやっとのことらしい。

以前、「ネットで靴を買ってほしい」と頼まれたらしく、Oさんのスニーカーを楽天で注文したこともある。ネットは便利だけれど、いまひとつわからない。習いに行くほどのことじゃないので、あんまり使い方はわからないまま。

こんなOさんが、なぜスマートスピーカーを買ったのだろう? 聞いてみると、「あのテレビCMみたいに、しゃべりかけるだけで何でもやってくれるなら、便利だなあと思った」という。すべての設定が、しゃべりかけるだけで、ぜーんぶできるんだと思ったらしい。

家電量販店で購入したらしいけれど、店員さんに相談しなかったのだろうか? と、夫も同じことを聞いたけれど「テレビCMなら子供でも使えているし、簡単にできると思って聞かなかった」と答えたそうだ。

たしかに、テレビで見かけるCMは「OK! Google」と話しかけるだけで、いろんなことをやってくれそうに見える。けれど、実際はネット環境がそれなりに整備されていないと掃除機だって動いてくれないし、少なくなったキッチンペーパーは注文されないし、部屋の電気だって暗くならない。

Oさんのおうちの場合、おそらく、部屋に備え付けられている電気のスイッチを変更しなきゃいけないし、掃除機だって買い替えなきゃいけない。コンセントをつないで使う掃除機は、ひとりでに動き回って掃除してはくれないもの。

そういったことを、夫はOさんに伝えたらしい。Oさんは、「あんなのインチキだよな」と、なかば怒りを込めて言っていたらしい。スマートスピーカーを設置したいなら、電気屋さんに頼めば、「設置サポート(有料)」でできるだろうけれど、いろんなことが魔法のように動き出すわけじゃない。

結局Oさんは、スマートスピーカーを、いまだに持て余している。

便利なように見えるけれど、自分の暮らしには当てはまらないものも多い。また、その「便利」を使うため、その便利のために自分の暮らしを変えていかなくっちゃいけないこともある。いままでは手洗いしていたけれど、洗濯機を導入するとか。食洗器を使うことにするとか。

それが、本当に自分の暮らしにとって「便利」なものならいいと思う。けれど、「便利そうだから・みんな使っているから」というだけでは、自分にとっては無用の産物になってしまいかねない。みんながこぞって便利を追及しすぎるのも、どうなのかと考えている。





 


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