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なんで人は楽しい思い出だけで生きていけんのやろ

放送が始まって、もうすぐ1か月が過ぎようとしているけれど。朝の連続テレビ小説「スカーレット」がすごく面白い。

戦後まもなく、大阪から滋賀・信楽にやってきた、絵が得意な女の子。名前は川原喜美子。両親と二人の妹との暮らしは貧しく、頑張り屋の喜美子は、幼いながらも一家の働き手だった。15歳になった喜美子は、大阪の下宿屋で女中として働きはじめる。大都会での暮らしと、個性豊かな下宿の人々との出会いは、喜美子をさらに成長させる。(スカーレット公式サイトより)

あらすじは、もう少し続いていたけれど、この先の話の展開が書かれていたので省略する。

前作の「なつぞら」のときも、スピッツのオープニング曲を聴くと「ああ、あさから心が和む」と思っていた。今回のSuperflyの曲も、すごくいい。

主人公の貴美子は、現在大阪にある「荒木荘」という下宿屋の女中として働いている。この荒木荘にすんでいる人たちが、すっごくいい。べたべたとした付き合いはないけれど、お互いに尊敬しあっているというか、人として認め合っているような。それぞれの悩みを聞いたり、アドバイスしたり、ちょっと突き放すようなところもあるだろうけど、それはその人を思ってのこと。なんだかとてもバランスがいいし、優しい気持ちになる。

ただ、第二話目の喜美子のセリフが、心に引っかかっている。なぜなら、私も同じことを考えていたからだ。喜美子は小学生くらいのころに考えていたのだから、とても大人びているのだけれど。

そのセリフは「なんで人は楽しい思い出だけで生きていけんのやろ」というもの。楽しい思い出も、苦しい思い出も、同じくらいあるはずなのに。わたしが折に触れて思い返すのは、どちらかといえば苦しい思い出が多い。苦しい思い出にひっぱられてずるずると楽しい思い出が引きずり出されることもあるけれど。

喜美子の場合は、戦争のトラウマに思いをはせている。空襲から逃げるときに、妹の手を放してしまったこと。妹自身もそのことが大きな心の傷となっていて、喜美子に対してそのことを何度も持ち出して責めるように泣きわめく。喜美子も、妹も、どちらも胸に深い傷を負っている。

楽しいことばかり覚えていられないのは、なぜなのだろう。それでも毎日の暮らしの中では、できる限り楽しいことを見つけて、ご機嫌に暮らしていくしかない。大根を庭で育てたり、「拾ったからもらっとき」といわれた手袋の温かさに声をあげて笑ったり。

お話の流れとしては、喜美子はどこかでまた信楽に戻るのだろうけれど、現在の荒木荘でのやり取りを見ているのが楽しくって仕方ない。まだお話は始まったばっかりで、来年の3月まで続くのだから一筋縄ではいかないだろうけれど。

「スカーレット」は、日々をご機嫌に暮らしていく、わたしのお楽しみとして、この半年欠かせないものになるに違いない。


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