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2021年10月の記事一覧
運とか期待で選ぶから、人生が傾いているのかもしれない。
欲得に流され、お金で後悔を買うことになった。
本音を譲ったつもりはない。
本音を安く叶えられる可能性を選んで、賭けに負けたのだ。
可能性なのだから、失敗もありえたことなのに、やたら後悔しているのは、なんとかなると期待していたから。根拠もなく。
あるとすれば、運のよさ?
そんな思い込みでうまくいくこともあるから、こんな風に生きているわけだけれど、ふと思った。
これが不幸の原因かもしれない。
お金を払って、後悔を買う。
現実より、感情を優先しよう。
そう決めた途端に、間違えた。
行きたたいイベントがあったのだけれど、
目先のお金を惜しんで、
欲しかった感情を逃してしまった。
予約で完売ってわけでもなかったし、後からでもなんとかなると思っていた。甘く見ていた挙句に、現場に行きながら、イベントに参加できないというなんとも残念な結果となった。
イベントがなくても、ずっと行きたかった念願の地だ。参加できなくても、楽
自己実現なんかしなくていいと思ったら、救われた。
妙に潔癖なところはあるにせよ、根はグータラで、責任感が薄く、なにかとすぐに諦める。
「ねばならない」完璧主義には程遠い。
そう思っていたけれど、自覚しているより、その気質は濃いかもしれない。
完璧でいたいのは、自分に対する引け目。
グータラな自分は好ましくない。そんな決めつけから、ちゃんとやろうと努力するのだけれど、その目標が高すぎて途中で諦ることになり、責任感のなさに罪悪感を抱き、自己肯
選べる限り、未来の感情を優先してみる。
人生の目的は、それぞれだ。
ないからといって困るようなものでもないし、下手に掲げてしまうと、不自由な人生になってしまう。理想も同じ。共に自由を縛る。
よりよい自分でいたいと願えば、現実は生きにくくなる。願望は、現実の自分に対する不満。不足を補えば成長するけれど、自分に満足することはない。感情的には、永遠なる苦行モード。それが、自己否定の生きる道。
感情を犠牲にしても、理想の自分でいたい。誰か
価値観って大切にしなければならないものなのだろうか。
価値観を変えれば生きやすくなるんじゃないか
と思っていた。
思い込みや、自分以外の刷り込まれた思想を捨てて、現実に即した価値観を採用する。
捨てられるだけ捨て去って、楽になったことは事実だから、間違いではないと思う。
ただ、生きやすいと感じられる価値観を築くことができたとしても、時代は変わってしまう。
ゆっくりと、悟られることなく緩やかに、そして、静かに。
通用しない価値観を振りかざして、
感情をコントロールしようとする無意識について。
好ましい感情を作り出そうとする意識というか、そんなものが私の中にはあるっぽい。
こういう時は、こういう感情になる。そのパターンを応用して、好ましくない感情が沸き上がってきたら、好ましい感情にすり替えるために、そうなった理由を考える。認識を変えてみたり、時には価値観を捨ててみたり。
どうしても望む感情に置き換えられないときは、納得できそうな、よくないけれど悪くもない感情に落ち着かせようとしてみた
好ましい価値観に沿えない自分をどうしたらよいものか?
命は美しいけれど、
生きることは、たぶん醜い。
命は、清濁。
現実は否応なしにやってくる。
望まない選択を迫られることもある。
心は汚れる一方だ。
なので、心の弱さや醜さを許容する。
自分を赦して、晴れやかに生きてゆく。
それが、心地よい生き方なのだろう。
そう思っていた。
けれど、赦すなんてものじゃない。
生きることそのものが、醜悪なのかもしれない。
人は変化するものだし、成長を望むも