お母さんに愛されますように。
先日久しぶりに母とおでかけしていたときのこと。
ものを捨てれない母が頑張って断捨離をしていたら、小さい時に私が書いた七夕の短冊が出てきたと。
その短冊に
と書いてあったんだそう。
それを見て本当に悪いことをしたな、子育てを間違ってしまったな、と反省したと言われました。
もちろん私も、心当たりはあるので
小さい頃にそんなこと書いてたんだー!はははー!!
とはならず、思わず涙あふれました。
(ただ、短冊に書いていた記憶は一切なかったけど。)
私はそこそこ大人になった時から何度か母に
私はあなたの子育てを間違っていた
と言われることがありました。
それは、7歳下の弟に対する両親の接し方でよーく分かりました。
「あぁ、私には厳しくしすぎたんだな」と。
小さいときの記憶は確かにほとんど怒鳴られたり怒られて叩かれたりした記憶ばかりで、
毎日お風呂でお父さんに今日自分がどんな悪いことをしたのか発表して、何回もお尻を叩かれていたこととかは未だにふと思い出すことがあります。
理不尽なことで怒られて初めて過呼吸になったときのこととか。
私を憎んでいてしていたことじゃなく、愛情ゆえのしつけだった(と思いたい)ので今となっては笑い話にはならなくとも両親との関係は良く、今は別々に住んでいますが母とは頻繁に会っています。
こんな自分の経験から分かったことを忘れないようにここに書いておこうと思います。
まず、「怖がらせてねじ伏せたら良い子になる」は絶対ない。
色んなことが明るみになっている今、この「体罰」がどれだけ意味がなく古い考えのものかというのは周知されてきたと思います。
私も全く良い子に育たなかった。
両親の前ではいい子でいようと努力はしたけど(決してそんなことなかったと母に言われたけれど)
私は本当に悪い子だった。過去形じゃないや。現在進行形です。
あと、この「体罰」の弊害は、
親子の信頼関係にヒビが入ってしまうということ。
「これお母さんに言ったら怒られるかな」
「こんなことお父さんに知られたらまた殴られる」
と思うことが多くなり、肝心なことをなにも言えなくなってしまった。
そしてお分かりの通り、知られたら殴られてしまうようなことをやってしまうんですよね。
(小さい時のことなんでそんなすごい悪いことじゃなかったはず。正直自分が何をやって殴られていたのかはほとんど覚えていないんですよねー…)
良い子にならないんですよ。怖がらせたところで。
そして
両親に限らずすべての人のご機嫌を伺いすぎてしまうようになったこと。
それが行き過ぎて、私は、
「あの人今こう思っているな」
「あの人今こう考えているな」
などが分かるようになりました。
それが今の占いにも活かされているので一概に悪いことだったとは言えないのですが、
だからこそ誰にも「自分の意見が言えない」日々が続きました。
怒られたらどうしようだけじゃなく、
バカにされたらどうしよう、笑われたらどうしよう、みんなと同じじゃなかったらどうしよう、嫌われたらどうしよう…
色んなことを思ってまったく自分の気持ちを伝えることができませんでした。
だから無理矢理誰かと合わせたり自分を押し殺して生きてきたので、人付き合いもとっても下手くそで、学生時代の友達で今も連絡を取っているのは数人です。
今も人付き合いはとても下手くそだし苦手なままです。
ここまでお話ししてきたこと、原因がすべて両親にあるだなんて思っていません。
それと、20年以上前の話なので事実とは多少異なることもあるかもしれません。
それだけ、怖くて辛い思いをした思い出だけが誇張されて記憶されているんだと理解してもらえたら幸いです。
あとひとつ思い出したことがあって、
幼稚園に行っているときに、たぶんなんか悪いことをしてしまって、物置の上の段に座らされて鍵閉められて放置されたことがありました。
たぶん1.8mぐらいのところに座らされていたので泣きわめいて暴れて落ちたらまぁまぁの怪我をしていたでしょうねー。
このことも定期的に思い出します。
むしろ幼稚園の思い出ってそれしか覚えていません。
こんなことが普通に行われていたって、今考えたら恐ろしいですね~。
世の中にはもっと辛い思いをした人も、苦しい経験をしてきた人もたっっっくさんいます。
だからこそ、ちょっと辛い思いしただけで甘ったれんなっていう考えもはびこっていて、
「こんなことで相談したらだめだ」とか
「こんなことで弱音吐くのは甘えだ」とか
思い詰めてしまう人も多いように思います。
わたしはそういう人を癒してあげたいな。
すっごい辛い思いしてる人よりも、
こんなことで甘えちゃだめだと無理している人にこそ力になりたいと思っています。
お役に立てる日が来るよう、日々勉強。
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