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書評:帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』

小説家であり、臨床40年の精神科医が、若かりし頃思いがけず出会ったのが、
本書のタイトルでもある「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)」という言葉です。

本書は、この言葉の産みの親である詩人キーツの人生を紐解くところから始まり、筆者の臨床経験、学術的な研究内容、シェイクスピアと紫式部と、多種多様な観点から「ネガティブ・ケイパビリティ」の深みに誘います。

本書の冒頭を引用すると、この言葉は、
どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力
または
性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力
をさすそうです。

この言葉を再発見したビオンによると、この状態は「記憶も欲望も理解も捨てて初めて行き着ける」のだそうです。
私たちは知識を持てば持つほど、新たに出会った物事に対しても、自分が知った型に当てはめて満足してしまいます。そうではなく、宙ぶらりんの状態に耐え、一つ一つ手探りで発見していく、そんな態度のことということも出来るでしょうか。

私たちは、忙しい社会の中で「問題を解決し、答えを求める」ことを日々求められています。またその答えをだす能力(ポジティブ・ケイパビリティ)が高い人が、評価される傾向にあります。
しかしながら、もちろんすぐに解決できることばかりではありません。
著者はそんな時に最も必要なのが「共感する」ことで、そのベースとなるのが「ネガティブ・ケイパビリティ」だと述べています。

共感は英語で Empathyですが、ケンブリッジ英英辞典のサイト(https://dictionary.cambridge.org)によると、下記のように定義されています。

■Empathy
自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力

the ability to share someone else’s feelings or experiences by imagining what it would be like to be in that person’s situation

つまり「相手の立場に立つ」ということですが、これを本当に実践するのは簡単なことではありません。実際に世界中で分断が広がっていることからも、いかにこれが難しいことかわかります。

本書によると、人間の脳は生来「分かりたがる」傾向にあり、分からないことに対して不安を覚えるそうです。なので私たちは大量の物事を分類し、法則を見出し、それに当てはめて理解しようとします。
しかし気をつけないと、拙速に物事を決めつけ、非常に浅い理解でわかった気になってしまう、
または、理解できないものに対してはなから扉を閉じてしまう、そんな事態にごく簡単に陥ってしまいます。

そこで私たちに今必要とされているのが、ネガティブ・ケイパビリティ
性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力
なのです。

私はモダンアートが好きで、よくギャラリーや美術館に一人で行きます。
どのように感じるかに正解はなく、「感じることの自由が許されている」と感じます。
その作品でしかなし得ない形で表現された生の喜び、悲しみ、怒り。
そんな作品に出会った時、作品に出会えたことを感謝し、畏敬の念を抱きます。

芸術は、創造するもの、観るものの双方にネガティブ・ケイパビリティが必要とされる、と著者は述べています。性急に結論や意味を求めず、不可思議さを保ち続ける、そんな過程で作品は生まれ、観るものに真の驚きや喜びを与えるのです。

本書は、共感とネガティブ・ケイパビリティについて述べて締めくくられます。著者の友人で精神科教授の李先生は、
人間の最高の財産は、Empathyです。これは動物でも備わっています
とおっしゃったそうです。

もう少し本書から、引用してみたいと思います。

ヒトは生物として共感の土台には恵まれているものの、それを深く強いものにするためには、
不断の教育と努力が必要になるのです。
この共感が成熟していく過程に、常に寄り添っている伴走者こそが、ネガティブ・ケイパビリティなのです。ネガティブ・ケイパビリティがないところに、共感は育たないと言い換えてもいいでしょう。

共感を、深く強いものにするために、不断の教育と努力が必要という指摘は、今の私たちにとって本当に大切なものだと思います。
それを実現するために、宙吊り状態に耐えるネガティブ・ケイパビリティを身につける必要があるのだと思います。

私は今、著者が「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に出会ったのと、おそらく近い年齢です。
詩人キーツが生み、精神科医ビアンが再発見し、それについて述べられた論文をたまたま手に取った著者が感銘を受け、30-40年経ってから記した本を、たまたま母に借りて私が読んでいる。
その事実そのものが、著者の言うようになんだか奇跡のように思えます。

自分自身で感じ、苦しむこと、その過程でほんの少しずつ何かを掴み取っていくこと、そんな一つ一つの手触りを大切に生きていきたい。
同時に深い Empathyを持てるように、相手の立場に立って想像する努力を怠らないようにしたい。
本書を読んで、そんなことを思いました。

これを書いている2020年4月、新型コロナ感染症が全世界で広がり、多くの人がそれぞれの痛みを感じて生きています。
自分の心に蓋をして無理やり前に向いたりせず、きちんと心を痛め、悲しみ、不安の中にいることを自分に許していいんだよ
そんな風に言ってもらったように感じました。その先にあるのが、他者への深い共感であり、思いやりなのかもしれません。



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