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書評:ハドン・クリンバーグ・ジュニア『人生があなたを待っている <夜と霧を越えて>』

本書は、『夜と霧』の著者であり、精神科医、心理学者であるV.E.フランクルの人生の物語を、かつての教え子である著者が7年以上もの対話を通して紐解いたものです。

この本は著者とフランクル夫妻の個人的な信頼のもとに成り立っており、
著者がフランクル夫妻と長い時間を分かち合ったからこそ生まれた本当に素晴らしい作品になっています。

本書は2冊に分かれており、下記のような構成になっています。

1冊目:フランクルが生まれ心理学者になり、戦時に『夜と霧』で描かれた壮絶な体験をするまでの物語
2冊目:フランクルの素晴らしい妻エリーの生い立ち、そして二人の出会い、出会ってからの物語

500ページを超える本書の内容を充分に伝えることは到底できそうにありませんが、心理学の専門家ではない私が心打たれた本書の内容とその魅力について書いてみようと思います。

会話の面白さ
全編通して物語は、フランクル夫妻と著者との会話を通して語られます。
まずこの会話がウィットとユーモアに富んでいて、とても面白いのです。
ジョークと真剣な話が入り乱れ、感情と愛に溢れた会話が本書の中で再現され、生き生きしたエネルギーが読んでいるこちらまで伝わってくるような印象がありました。

『夜と霧』そしてフランクルのメッセージの普遍性
またフランクルの物語を知ることで、なぜ彼が『夜と霧』のような
素晴らしい本を書き得たのか、より深く理解することができました。
ユダヤ人として当時の妻そして最愛の母を強制収容所で亡くす、という壮絶な体験をしたにも関わらず、
生涯を通して「集団的な罪」という考えに与せず、ホロコーストを糾弾する運動に参加したり、復讐を企てたりすることを断固として拒否しました。
どんな集団にもいい人と悪い人がいる、これが彼の主張でした。

彼自身はユダヤ教の深い信仰を持ち、祈りを大切にして生きた人でした。
信仰は個人の問題であるとして多くを語らなかったそうですが、人類の和解は不可能である、ホロコースト生存者にとって唯一信じられる立場は無神論やニヒリズムだと語る人に対して、「仲間の収容者にも信仰心を失わなかった人もいる」と述べています。
またこの問題を考え続け、何十年間ずっと抱いていた復讐心を捨て去る決意をする生存者たちもいるそうです。

一方でホロコーストやその他の苦しみを体験し信仰を失ってしまった人にも、尊敬を込めてオープンに接する態度を崩しませんでした。
まったく同じ状況に陥った時に自分ならどうするか自問せずに、他者を裁けない」といういうのが彼の信念でした。
世界中で分断が広がり、簡単に人を批判し傷つけることができてしまう今、
この言葉は本当に重い言葉だと思います。

また『夜と霧』は今現在世界中の人に読まれていますが、自身も世界各国をめぐり、異なる宗派の宗教思想家や指導者たちと親交を結んだそうです。当時のローマ法王に謁見した際の様子も、本書で紹介されています。そんなオープンな態度を同じユダヤ教徒から批判されることも多かったそうですが、何百万人もの非ユダヤ教の一般信徒が、文化の違いを越えて彼の提唱する「ロゴセラピー」を理解しました。

このように強い信念・深い信仰心と、考え方・信仰の違う人へのオープンさおよび敬意が同居しているのが、フランクルの本当にすごいところだと思います。
またそのあり方を守り抜くために、たゆまぬ努力をしてきた人なのだということも本書を読んでよくわかりました。

本書の文章を少しそのまま引いてみます。

フランクルは自分の過去と経験と記憶にストイックに耐えていた。だが何かのきっかけで彼の心の奥底にある感情がしばしば目を覚まし、涙となって流れ出る ー ほとんどが私的な場面でだったが、インタビューのときもそうだった。ホロコーストから数十年、彼は堂々とー強情までのー態度で、自分に打ち克ち、自分の状況と回想からなんとか脱却し、復讐の念から自由であろうとしてきた。彼のがさつなまでの賑やかさ、ユーモア、挑戦的な態度、不遜さーーすべては彼が実践している「すべてのことにかかわらず人生にイエスと言う」という自己超越のしるしなのだ。彼は人間精神の輝かしい力を、自分自身と他の人びとのために心から信じていたのである。

フランクルはまさに人生をかけて、自分の信念を突き通し、人間精神の輝かしい力を示し続けた人なのです。
意思の強さと寛容を同時に実現し続けるフランクルのあり方は、今を生きる私たちにとってもとても学ぶものが多いと思います。

妻エリーとの共に歩んだ人生
フランクルの半生は、まさに妻エリーと共に歩んだものでした。
二人の会話を通して伝わってくる深い愛情が、本書の大きな魅力の一つです。
またフランクルが人生を通して取り組んできた仕事は、エリーと家族の存在があってこそ実現できていたものだのだということが、本書を読んでいるとよくわかります。

フランクルは自身にとってのエリーを評して、ヘルダーリンの詩をひいています。

もっとも深く考える者は、もっと生き生きとしたものを愛する
ヘルダーリン

自分の世界と自分の思考に深く没頭するフランクルの人生にとって、
茶目っ気にあふれ、地に足のついたエリーはまさに贈り物のようなかけがえのない存在でした。

亡くなる直前、フランクルはエリーに部屋に置いてある蔵書を譲りたい、と伝えます。
フランクルが亡くなって少ししてようやくエリーが見つけた本の中には、こう書かれていました

エリーへ
あなたは、苦悩する人間を愛する人間に変えてくれました。
                            ヴィクトール

『夜と霧』で描かれたホロコーストをなんとか生き抜いたものの、当時の妻と最愛の母まで亡くし、失意の中にいたフランクル。
そんなフランクルに愛する喜びを与え、生涯を通してフランクルの人生と仕事を支え、インスピレーションを与え続けたのがエリーでした。

世界中が活躍の場だった二人ですが、常に慎ましやかで家族や周りの人への愛に溢れていました。著者が本書の冒頭でこのように伸べています。

これは愛の物語である。これは、すべてを失い、もはや自分の人生に大きな愛が待っていることなどとても信じられなかったひとりの男の物語である。そして、この思いもよらぬ人物に自分の人生の愛を見いだしたことがとても信じられなかったひとりの女の物語である。しかし話はそれだけに止まらない。なぜなら彼らのあいだに育まれた愛情は、自分たちの内部に向けられたものではなかったからだ。むしろふたりの愛は世界へ、自分たちを超えたものへと向けられていた。

この言葉が示すように個人的であり、同時に普遍的な二人の愛の物語は、
違う時代に生まれた私自身を勇気づけるものでもありました。

大半が会話で構成される本書は非常に読みやすく、物語としてもとても面白いので、『夜と霧』に感動した方にはぜひおすすめしたい1冊です。



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