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抽象思考は"自然"ではない

小学校の理科のテストで、このような問題が出たとします。

「太陽とはどのようなものでしょうか。
それを見ることのできない目の不自由な人に説明するとすればどのようにしますか?」

この問題に、あなたならどう答えますか。

アレクサンドル・ロマノヴィチ・ルリヤという人が1974年に書いた『認識の史的発達』という本では、ソ連時代のウズベキスタン人による以下のような回答が紹介されています。

イサムト、34歳(コルホーズ員、文盲撲滅講習会を修了)
「えーと、朝になると昇り夜になると沈むもので……どのようにして説明したらいいかわからないし、考えたこともないな……。次のようにだけは言えるんじゃないかな。それが昇ってくると光をもたらし植物をあたため、蒔かれた種は太陽から活力を得る。」(*1)

このイサムトという男性は、「どのようにして説明したらいいかわからない」と言いつつも、一生懸命に答えようとします。そして「それが昇ってくると光をもたらし植物をあたため…」という「説明」を導きます。


しかしルリヤは、「樹木とはどのようなものか」という似たような質問に対する以下のような別人の回答例も示しています。

イリ・ホジ、22歳(僻村の農民、文盲)
「なぜ私が説明しなくちゃいけないんだろうか。全部とは言わないまでもほとんどの人が樹木がどんなものかぐらいは知っているのに。[……]ここらじゃどこにだって木のはえている場所はあるよ。木のはえていない所なんて全然無いんだもの。それなのになぜ説明しなくちゃいけないのかね?!」(*2)

こちらのイリ・ホジは、問いの内容で悩むのではなく、そもそも「なぜ私が説明しなくちゃいけないんだろうか」と答えること自体を拒絶します。


この2人のウズベキスタン人の違いは、何でしょうか。


1人目のイサムトは「コルホーズ員」(※ソ連の農業集団化政策による集団農場の労働者)で、文盲撲滅講習会、すなわち読み書きの教育を制度的に受けています。一方2人目のイリ・ホジは「僻村の農民」で、文盲すなわち読み書きができません。

ルリヤはソ連政府による読み書き教育がウズベキスタンの文盲の農民たちに与えた認識の変化の具体例として、上記2つの事例を挙げています。
つまり、読み書き教育を通して、人々は抽象的思考ができるようになった、というわけです。

このような「発展図式」に対してしかし、ルリヤ自身多くの実例を出しながら生き生きと報告しているのは、イリ・ホジ流の答え方のほうでした。


わたしたちは普通、「太陽はどのようなものか」「樹木はどのようなものか」といった抽象的な質問を与えられると、まずその質問に答えようとします。
文盲撲滅講習会を受けたイサムトのように、「えーと…」と言いながら。

しかし、それは当たり前の反応ではないのです。
「なんでそんなことを今答えなきゃならないんだ」という反応の方が、むしろ「自然」なのかもしれません。


私にはこの感覚に覚えがあります。その一つが、算数・数学のテストの記憶です。

「秒速5cmで動く点P」って、何だったんでしょうか。
なぜ、点Pの数秒後の位置を、今この場で私が考えなくてはならないのでしょうか。
外は、存在しない点Pとは関係なしに、青空が広がり気持ちよい風が吹いているのに。

学校教育が悪い、というのではありません。
抽象思考の訓練を徹底的に受けたおかげで、私たちは一貫性をもち他者と共有可能なかたちで、「現実」の限界を超えて自由に思考することができます。
実際、点Pの存在を仮定する数学の蓄積がなければ、多くの科学が発展することはなかったでしょう。

しかし、抽象的なことを論理的に考えようとすること、抽象的な問いに答えよう/応えようとすることは、人類普遍の営みではありません。


それは、学校教育のような特殊な制度のもとにつくられた特殊な思考という側面をもつのです。

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(*1)ルリヤ , アレクサンドル・ロマノヴィチ 1976(1974)『認識の史的発達』森岡修一訳、明示図書出版、p.133
(*2)同上、p.129


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