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「やさしさ」を育てるには?



以前、こんなツイートを見た。

"中学生時代、ちょっと荒れてたクラスで社会科の先生が半泣きで言った「みんなのお父さんお母さんは『勉強できなくても優しければいい』っていうかもだけど馬鹿は優しくなれないの!優しくなるために人は勉強するんだ…"(@coda1125)


きっとこの先生は、それまでの経験で勉強することによって人に優しくすることを覚えたのだろう。だから、勉強という過程を通して、知識だけでなく優しさを育むことができるよ。だから、「馬鹿は優しくなれない」んだよ。そういう意味でこんなことを言ったんだろうな。と思った。


でも、私は学生時代勉強というものをガッツリやっていない。現代文と古文と英語は得意で好きだったし、板書も、化学のおじいちゃん先生のことも大好きだったけど、最後まで化学でいい点数はとれなかった。


上のツイートになぞらえて考えると、勉強をちゃんとしてこなかった私は優しくないということになる。

じゃあ、私は優しくないの?

優しさってどうやって育んでいけばいいの?



この記事は、私の年の離れた妹、現在小学校2年生のかわいい妹へ送るnoteだ。半分しか血が繋がっていないけど、おませで大人びたかわいい妹には、「やさしい大人」になって欲しいと思う。欲を言えば「思いやり」のある大人に、「聡明な」大人に、「感性が豊かな」大人に、なって欲しいと願う。


結論から私の意見を言うと、人はその相手のバックグラウンドを想像することで優しくなれるんだと思う。色んな人の、色んな考え方、捉え方の方向、なぜそのような考えに至ったのか…。そういうものが沢山あるんだということを「知っている」と、自然と優しくなれると思う。(ただ、それが勝手な想像だったり思い上がった同情だと意味がないのだが)


先日、仕事終わりに専門時代の先生・紫牟田伸子先生のトークイベントに伺った。そこでお話ししていたのは、長野県・塩尻市の野菜を使ったスープの開発裏話や、地域創生・ブランディングに関してだったのだが、そこで紫牟田先生は私がずっとぼんやり感じていたことをズバリとお話ししてくださった。

(ちなみにこの野菜スープ「シェフが恋した塩尻野菜のスープ」もめちゃくちゃ美味しいのでぜひ!)


お話では、主に「編集」とは何か?をお話ししてくださった。とても短い時間だったけど、その中でお話いただいたことをまとめると、「編集」とは、「多方面から物事を見ること」。この人はどんな人生を歩んできて、だからこんな発言をしていて、こんな思想を持っている。それを理解して咀嚼してまとめたり、自分の意見を反映したりするのが「編集」なのだと思う。


冒頭のツイートに話を戻して言うと、その『想像』の部分を学ぶ1つのツールとして、「勉強」があるのだと私は思っている。たとえば歴史。今私たちが過ごしている日常に至るまでどんな出来事があって事件があって、それが誰によってどんな風に変成しそれが語り継がれているのか。想像する。興味をもつ。知っていくと、ひとつの事柄にもいろんな背景があって面があって、一方的な見方だけだと偏っていることに気がつく。


よく、日本の教科書ではこう書かれているけど、海外の教科書ではこう書かれている。みたいなことがあると思うけど、そういうのも同じことだと思う。授業中迷惑ばかりかけているヤンキーが雨の中捨て犬を拾ってぎゅっと抱きしめているのを見て印象がガラリと変わるのとか、ね。


妹よ、どうか少ない情報でひとつのことを判断せず、その事象の、その人のいろんな面を見つけてあげてほしい。バックグラウンドを想像することで優しくなれると思うから。色んな人の、色んな考え方、捉え方の方向、なぜそのような考えに至ったのか…。そういうものが沢山あるんだということを「知って」、興味を持って、もっとそのこと・人について知っていくことを進んでやってほしい。


私よりもずっと器用で頭の回転が早い彼女が、これからどんな価値観を育てて、どんな人になるのか。ここに書いたのは私が「こうなりたかった」人間像で、これを押し付けるつもりはないのだけど(だからnoteに書いた)その成長をそっと見守っていけたらいいな。私は彼女のバックグラウンドをこれから見ていくことができるんだから、よき相談者になれたらいいな。と新年号最初の夏の夜に思う。






(最終編集 8/21 11:47)

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