5月23日 不器用なあなたへ

言葉は刃物になりえる
そして忘れてならないのは、自分だって、無意識にそれを人に向ける側になってしまう可能性があるということだと思う
自分を蚊帳の外にして、その可能性を度外視してしまっては、この世界から言葉の刃物による傷は減らない
人間は人間であるから
自分は完全なる聖人君子だといえる人がいるだろうか
生まれてこのかた人を一切傷つけたことがないと胸を張って言える人がいるだろうか
自分ではやわらかい毛布を渡したつもりでも、それが相手にとっては刃物だったということもある
だから、『いじめ、反対!』などと撲滅しようとするのではなく、なるべく人を傷つけないようにって、ひとりひとりが優しくなろうって自分の中で意識していくしかないんじゃないかと私は思う
『ゼロにしよう』なんて、人間を善と悪に分けて、自分は善の側ですと決めつけて蚊帳の外にしている感が本当に恐ろしい
人間は生きている以上、知らず知らずの内に誰かを傷つける可能性をはらんでいる生き物だ。そこに意識を向けることが大事なんじゃないかと思う

この想いは、自分がいじめられやすい幼少期を経て、より一層実感として感じられた
自分はもちろん故意には人をいじめたくはないが、人間であるから、少し気を緩めば、自分も人を傷つける可能性を秘めているんだとわかったとき、とても恐ろしかった。傷つけられる側も、傷つける側も、紙一重だと思った。自分の中にストッパーやブレーキを持っていないと、人は残酷になれる。言葉によって自分も刃物を持つ側になれると気づいたとき、本当に怖かった。本当に本当に怖かった。

だから、私は、できるだけ、心から、心から優しい人になりたい

忘れられないこどもの頃の記憶がある
中学生の時だ。確か道徳の授業だったと思う
先生が『この中で、絶対に人を殺さない自信がある人は手を挙げてください』と言った
クラスの大半の生徒が得意そうに手を挙げた
けれど、私は手を挙げることができなかった
何も人を殺したかったわけじゃない
でも、じゃあもし、大好きな人、当時の私にとっては母ということになるが、私の母に危害を加えようとしている人が目の前にいたとして、もし自分が右手に銃を持っていたとしたら、私はそのあと、警察につかまろうとなんだろうと迷わず右手に持っている銃を撃つと思う
当時の私は、母が何より大事だった。だから本気でそう思っていた
だから、どんな状況にあっても、人を殺さないなんて、私は胸張って言うことができなくて、みんなが手を挙げる教室の中、ひとり下を向いていた

先生が『今手を挙げている人のほうが、危ないです』と言った。『自分は善人に違いないと全く疑問を持たずにいるほうが、怖いんだよ』と
今思うと、少々強引なというか、ちょっと怖い教育をする先生だったなと思う。けど、その時の私が感じた衝撃は今でも忘れられない
それから私は、ことあるごとにその先生の言葉を思い出すようになった
さっきも書いたように、私はいろいろな面が強くなかったのでよくいじめられた。それはそれでつらいことだったけど、私へのいじめが収まったある時、クラスのみんながある男子生徒のことをバカにしている場面に出くわした。対象になっていた男の子が笑っていたので、私もその場をやり過ごすために、薄ら笑いを浮かべた。その瞬間、0.何秒だっかかわからない。でも私は笑った。そして笑った自分が怖くなった。自分がいじめられた時よりずっと怖かった。こうやって気を緩めると、今まで自分はいじめられている側で辛い、と思っていたのに、今度は人を傷つける側に回りうるのかもしれないと思った。あれだけ心ない非常な人間と思っていた奴らと自分が、こんなに紙一重だったなんて、思ってもみなかった。自分が怖くて怖くてしょうがなかった。その日から、私はその男の子を嘲笑する子たちに反抗するようになった。正義感もあったかもしれないけど、気を緩むと悪になれる自分が何より怖かったのだ

自分だって、刃物を秘めている。それは忘れちゃいけない

けど…程度の差はやはりあって、信じられないような言葉を故意に人に向ける人は確かに一定数いるのかもしれない

そして匿名でも匿名じゃなくても、面と向かってなくて字面だと、急に鋭くなる人もいる

そんな場面に出くわすたび、私は、自分は人には言わないようにしようって誓うしかない

今まで何度容姿や性格とか話し方(小さい頃から少しドモりがある)を悪く言われ、傷ついたか。私は執念深いほうなので、そういうことを言われると、なかなか忘れることができない。まあ、誰だって嫌なことを言われたら、なかなか忘れることができないんじゃないかな。とはいっても、それだって私もいつ人を無意識に傷つけることを言ってしまっているかしれない。褒めているつもりってこともある。でもね、ああ、もう、いいんだよ、なんて言われたって…、私はこれなんだ

『逃げる』ということ
どうしても辛いときは、難しいかもしれない、なかなかできないことかもしれない、だけど、逃げてほしい
繊細な人は、どうしても生きづらいように社会はできていると思う。今の社会はどうしたってもう、そういう世界だと思うよ。辛いけどそうなんだ
『逃げる』ってことをすると、もしかしたら、さらに『なんて責任感のない奴だ』とか、『意気地なし』だとか『義理がない』とか、そういう言われ方を周りからされてしまうのかもしれない。だから、構造的に生きるか死ぬかになってしまうのかもしれない
私だって、今まで、耐えられなくて逃げてしまった場所、去ってしまったかもしれない場所にいた人たちひとりひとりに手当たり次第に、『ごめんなさい、ごめんなさい』と謝ってまわりたいような人間だ
けど、それでも、それでもあなたには、逃げてほしい
人間は完ぺきになんて生きれない
だからあなたには、難しいことだったり自分を責めてしまうことかもしれないけど、どうにか、逃げてほしいんだ

逃げていいんだよ。生きて、生きてさえいてくれれば…

自分は、改めて振り返ってみると、そういう、生きづらかったり、繊細過ぎて辛い人の逃げ場とか、安らぎの場所になれればいいななんて思って小説を書き出したんだった。芝居を始めた頃の自分は、『私は引きこもり時代、朝から晩まで映画を見て本を読んで、助けられた。だから私みたいに部屋の隅っこで膝抱えている人に、今度は私が勇気を与えたい』なんて平気で恥ずかしげもなく言っていた。まだ小説も売れてないし、何者にもなれていないけど
そんな偉そうなこと言ってるけど私は、他でもない、自分に書いていたんだろうな

自分は、元引きこもりである。あの頃は、窓の隙間から差し込むわずかな太陽の光が、抱えた膝に当たるのさえも、ヒリヒリして、ヒリヒリして、怖かった
けど、私がひきこもりになった理由はどちらかというと明確にある。だから根深いたいそうな、かっこいい闇ではないと思う。七年闘病した母を亡くしたのと、就職活動で挫折した時期が重なったからだ。兄二人は、優秀で、当たり前のように大企業に入り、沢山のお金を稼いでいた。私も、自分含めそうなるはずと周りが期待していたが、面接などで人に好かれるのがあんまり上手じゃない私は、うまくいかなかった。そして、私に期待をかけていた母の死が来て、自分のすべてが機能しなくなって、ああ、もう人生終わったなと思ったのだ。今思うと全然終わってない。面接が苦手なら資格取るとかどうにでもなるし、どんなルートもある。けど、その当時の自分にはそのレールに乗ることが人生の全てを意味していたから、それしか知らなかったから、列車から転がり落ちた以上、それはもう、人生の終わりを意味していた。当時の自分の狭い世界では、それが全てだった。

だから、私はこっちに来るしかなかったんだ。完ぺきなお兄ちゃんたちにはできないことを探して、探して…。私なんて、劣等感が全ての原動力になってここまできたような人間だ
今でもお金持ちの兄たちより稼げていなくて、ことあるごとに世話になっている自分は、ちょっと同じ人間として頭上げて話に加われない気になるときもあるが…

でも…今になって私は思う
私はどれだけの人に、優しい言葉をもらって、ここまで来れたんだろうって
言葉は刃物にもなるけど、あたたかい毛布にもなる
人生捨てたもんじゃないと思えるときもあるよ
詳しい経緯はここでは割愛するが、引きこもりから脱した今も(物理的には今もコロナによる影響下で自粛中なのでひきこもりではあるが)、後遺症はあるとおもう。そりゃあ一度社会から逃げ、沢山の時間を無駄にした人間だから、その代償は背負っていかなければいけなくて、華やかさや太陽やいろいろなことが怖かったり、少しこどもっぽい性格になってしまったかもしれない

でも、それでも外に出たら、嫌なことも沢山あったし怖い言葉も沢山聞いたけど、辛い辛いって言ってるだけじゃなくて、ちゃんと足元の花に目を向ければ、優しい言葉をかけてくれる人もいるし、笑顔を見せてくれるひともいるし、目を見てくれる人がいるから透明人間じゃないってわかるし、自分の作品を読んだりお芝居を見て声をかけてくれたり、応援の言葉をもらうと涙が出るほどうれしいし、家族もみんな優しくて幸せだし、友達も私以上に私を信じてくれている。そういうとき、なんでだろって思うけど、ああ、がんばんなきゃって思う
そして私も、優しくなりたいって思う

私は、まだ何者でもないんだけど、なんかしまいには感謝とかし出してて何言ってるかわかんないし、もう誰に話しかけてるかわかんないけど…
ああ、私はやっぱり、うまく生きられなかったり、人より不器用だったり、傷つきやすかったり、臆病だったり、優しすぎたり、好かれるの得意じゃなかったり、華やかなことや『普通』って響きとかいろんなことが怖かったり…そんな人のために表現したい。それは、まだ自分かもしれなくて、自分を認めてあげたいだけなのかもしれないけど…。そんな人たちを、そっと抱きしめられる人になりたい
本当にまだ何者でもなくて、何にも出来てなくて全てのことに怖がってばかりいる人間だけど…

私も、本や映画に助けられたから

今日、何もしなかったかもしれないけど、いいんだよ。私も、何も出来なかった。でも、生きてるんだから。頑張って生きたんだから

辛かったら、逃げてもいいから。もう、本当は逃げたことに何て言われたっていいんだよ
あなたには、あなたには生きていてほしい


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