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猪木のちから

僕は、小学生の頃からプロレスが大好きで休み時間はいつも友達と技のかけ合いをして遊んでいた。それはもちろん、誰しもが知っている世界最強レスラーアントニオ猪木にどっぷりハマったからだ。
「さぁ、猪木がロープに振ったー」と言ったら友達はロープがあるイメージで行って戻ってきて、僕にコブラツイストをかけられるのである。プロレスファンが多かった昭和の時代の実に楽しい遊びであった(笑)

数多の名勝負を繰り広げてきたアントニオ猪木だが、異種格闘技の始まりと言えるモハメド・アリ戦は、小学2年生ながら友達の家でブラウン管に飛び込む勢いで見たのを鮮明に覚えている。試合内容は賛否あったものの、猪木のローキックを浴び続けたアリの左足はひどく腫れ上がり入院を余儀なくされた。

アントニオ猪木対モハメド・アリ

実は、この試合を通してアリと猪木との友情が芽生え、アリが猪木に送ったものが、誰もが知っている「イノキボンバイエ、イノキボンバイエ、イノキボンバイエ」で始まるアントニオ猪木の入場テーマ曲なのである。原曲は「アリボンバイエ」なのだ。実に感動する。僕がアントニオ猪木にハマり、プロレスにハマったきっかけの試合だ。

アントニオ猪木は、闘いはもちろん、発する言葉を通しても我々に生き様を見せ続けてくれた。みんな猪木イズムに酔いしれ、世界最強レスラーとして絶対に負けるわけが無いと信じて、猪木のプロレスに興奮し、声が枯れるまで猪木コールを送ったものである。
こんなにも人を虜にし魅了して止まない人物が他にいるだろうか。こんなにも、日本国民に愛され、元気を与えてくれた人物がいただろうか。

アントニオ猪木は、レスラーを引退したあとも変わらずアントニオ猪木だった。1998年4月4日の引退試合のときのメッセージは、猪木ファンならずとも聞いたことがあるはずだ。

人は歩みを止めたときに、そして挑戦を諦めたときに年老いてゆくのだと思います
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ、行けばわかるさ
ありがとー!

アントニオ猪木引退試合メッセージ

僕はこの言葉にどれだけ勇気づけられ、元気づけられたことか。
アントニオ猪木のことばの力は、卍固めより効くかもしれない(笑)

元気ですかー!元気があればなんでもできる。
いくぞー!1.2.3ダー!

誰もが知り、そして一度は叫んだことがある猪木の代名詞的メッセージだ。
同じ空間に居ても居なくても老若男女全員がアドレナリンを出しまくって、右手を挙げ「1.2.3ダー!」と叫んだものである。こんなにも一体感が生まれ体中がエキサイトすることばはない。
僕はもちろん今でも叫んでいる(笑)
飲み会の締めの挨拶、自分に気合をいれたいとき、声に出せないときは心の中で叫ぶのだ!

2022年10月1日に燃える闘魂が永眠されました。本当にショックだった。泣いた、とことん泣いた。アントニオ猪木は死なないと思っていたから。だから泣いた。投稿を書いている今も涙が出てくる。

アントニオ猪木がいた時代は、日本も元気だった。間違いなく元気だった。
しかし今の日本はどうだろう。なんか元気がない。閉塞感ばかりが漂い、どんどん弱ってる。
闘魂亡き今、弱ってばかりじゃダメだ。全員で元気になろう!

みなさん、大きな声でご唱和願います。
元気ですかー!元気があればなんでもできる。
いくぞー!1.2.3ダー!
ありがとー!

自分に言い聞かせるための独り言的メッセージにお付き合いいただきありがとうございました。

読んでいただいたお一人お一人の方々が、少しでも元気になって、その元気の輪が広がって日本の元気に繋がれば嬉しいです。

燃える闘魂アントニオ猪木









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