鯨と一緒に「おくられる」記憶たち。
ずっと拝見したかった、是恒さくら さんという方のインスタレーション(空間造形)を、美術博物館で拝見することができた。
今回拝見したのは、
苫小牧市美術博物館で開催されている「NITTAN ART FILE4:土地の記憶~結晶化する表象」という企画展の作品の一部だが、フライヤーのコンセプトからも、是恒さんの作品がメインなのだろうと感じた。
以前拝見したのは、樽前arty+という芸術家集団と地域の方が開催する芸術祭で、各地にすむ人と鯨の繋がりと聞き取りの記録をパッチワークと文、空間造形に昇華させた作品だった。
今回拝見したインスタレーションは、この館のある苫小牧(と、その周辺地域)、という北海道中央部の南太平洋側にの記録にもとづいて展開されていた。
かつて漁業を営んでいた人々の生業と、海近くの勇武津恵比寿神社に祀られていた鯨の骨、昔は一面に広がっていた海岸の植物たち、そして漂着した鯨類たち。
天井から吊り下げられるカーテンのようなレリーフには、鯨の椎骨を模したやわらかなスケッチが描かれ、ハマボウフウやハマナスの姿も浮かび上がる。
足元には、縄文時代に泳いでいた鯨骨の化石が。
戸惑う私の頭上で、レリーフがふわり、と揺れた。
ああ、送られたんだ。
その時、気づいた。
アイヌの伝承の世界には「送り」という概念がある。
亡くなった方を死者の国に送る儀式、動物や植物の姿をしてアイヌの国にやってきたカムイが肉や材を授けてくださったあと、カムイの国に彼らを送る儀式。
あちら と こちら があって、その循環の中で人は生きている、という。
立ち止まったその空間は、まさに「送り」の世界だった。
鯨と一緒に、かつて生きていた(そして、忘れられようとしていた)ものたちは記憶と名前を思い出し、失った形を与えられ、送られていく。
レリーフの中で鯨の椎骨に抱き締められたハマナスたちのように、この空間に鯨たちと一緒に包まれて。
化石になった肋骨の横に、白い装束をまとい横たわる人の姿が見えたような気がした。
母でも、娘でも、男でも女でもない、無いことにされて忘れられた魂が、安らかな表情で送られていく。
それは、かつての私自身でもあった。
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