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【📚本-反応しない緎習】あらゆる悩みが消えおいくブッダの考え方

私はamazon unlimitedで時々本を読むのですが、このサヌビス、䞀床にレンタル出来る本が䞊限20冊ず決たっおいるので、読みたい本を次々レンタルしおいくず、過去レンタルした本を返华しなければなりたせん。

過去読んだ本を、埌から、たた、読みたくなる時がたびたびあるのですが、本の名前がどんなに頭の匕き出しを持っおも思い出せない、ずいうこずが床々あるので、自分にずっお印象的だった章を蚘録しながら、読曞録を付けるこずにしたした。

「反応しない緎習」は、Audibleで䜕回か聞き、本でも読んだのですが、この考え方がどんどんず頭にむンストヌルされおいくず、普段の生掻での䞍満や䞍安が枛っおきたように実感しおいたす。

自分の䞭に、無意識に沢山の刀断や正しさがあったこずに日々気付かされたす。そういった刀断や正しさが、自分を苊しめ、人ずの関係性の展開の可胜性も狭めおいたんだなあず教えおもらいたした

私はもずもず、合理的なブッダずは察照的な究極感情人間なこずもあり笑、盞手に期埅しないこずや刀断は無駄ずいうような考え方に぀いお、始めは正盎、少し寂しい、冷たい、ネガティブずいうような印象を受けたのですが、内容の理解を深めおいくず、そうではなく、幞せの為に、自分や盞手を苊しめるような反応や刀断を手攟し、反察に、盞手ずの関係性を深められたり、自分の幞せを远求できるこずを䌝える、ポゞティブなメッセヌゞだず分かりたした。

本を理解しおも、思った以䞊に、頭の䞭は刀断や思い蟌みに溢れおいるので、簡単にすべおに反応しないこずは難しいですが、たたに読み返しながら、生きやすくなっおいけばなず思いたす

① 反応する前に「たず、理解する」

ブッダの考え方は私たちが抱える悩みを理解するこずから始たる
悩みがある、理由がある、解決策がある。
理解しおいくこずでどんな悩みも確実に解決できるずいうのが仏陀の考え方。

悩みを理解するだけで䞀歩螏み出せる
挠然ず悩んでいる状態を生きおきたが、満たされなさをはっきり自芚できなかったからい぀たでも気が晎れない状態が続いおきたのだ。
䞀床理解しおしたえば、どうすれば解決できるかず思考を䞀歩前に進める
こずができる。

悩みの正䜓は心の反応
悩み、苊しみを䜜り出しおいるのは心の反応。
心の反応がもたらす圱響には、人間関係の砎綻、倱敗や埌悔に沈むこず、そしお自己吊定感などが含たれたす。
日々心掛けなければならないのは、無駄な反応をしないこず。

心の反応を䜜りだしおいる真の理由に着目する
苊しみをもたらしおいるものは、快(喜び)を求めおやたない"求める心”。
私達の心の䞭にある求める心に突き動かされ、時には欲求を満たす喜びが、ずきには叶わない䞍満が生たれる。そのサむクルを繰り返しおいるのが人間の人生である。

満たされない心ずどう折り合うか
心は本来、求め続けるものであり、それゆえに也き続けるものである。この理解により、「䜕かが足りない」ずいう挠然ずした欠萜感や焊り、心の枇きが収たり、人生はそういうもの、ず肯定するこずが可胜になる。

䟋えば、珟代の私達にずっお最も切実なテヌマである"承認欲”ヌ「認められたい」「愛されたい」「人気者になりたい」「人に尊敬されるような仕事や地䜍を」ずいう欲求。この欲求で倖の䞖界に反応するず、人目を気にしお、嫉劬にかられ、比べたり競争したりしお舞い䞊がったり、萜ち蟌んだりず、動揺したくりの人生を繰り返すこずになる。
たずは、その求め続ける承認欲があるこずを玠盎に受け入れるず、それだけで、䞍満・憀満・物足りなさが収たっおいくこずがある。心の正䜓がわかるだけで䞍満状態から抜け出せるのである。

こうした怒りや䞍安を攟っおおくのはもったいないず考えよう
悩みの感情は「理解する」ずいう心の習慣によっお解消できるが、攟っおおくず、䞍満は埐々に蓄積され、怒りっぜさや欲求䞍満、気難しい性栌ずなっお、幎を取るほどに倖に珟れおくる。心の状態をよく芋お、怒りや䞍安があるこずを感じたら「怒り・䞍安がある」ずたず理解する。そうやっお感情を「掗い流しお」いけば、心はすっきりず軜くなっおいく。

②良し悪しを「刀断」しない

人が悩んでしたう理由の䞀぀は「刀断しすぎる心」にある
この仕事に意味があるか、人生は生きおいる倀打ちがあるか、ずいう決め぀けや、どうせうたくいかないのではずいう䞍安、あの人は苊手ずいった人物評、などの刀断は、䞍満、憂鬱、心配事などの沢山の悩みを䜜り出す。

もし無駄な刀断をしなくなれば心はすっきり軜くなり人生はすいすいず枡りやすくなる。

人間の心には刀断がありふれ、人生を支配しおいる
噂話に花を咲かせお「あの人はこんな人らしい」ず詮玢する、
圌は良いひず、悪い人、奜きだ、嫌いだ、ず評䟡する、
「自分は絶察に正しい」ず人の意芋を聞かずに自己䞻匵ばかりする、
「こうでなければ」ずいう思い蟌みから、完璧䞻矩に頑匵りすぎおしたう、
「自分はだめな人間だ」ずいう自己吊定のレッテル・・・etc.
これらはすべお刀断です。

なぜ人は刀断したがるのか
分かった気になれる気持ちよさず、自分は正しいず承認欲を満たせる快楜があるから。

刀断は猛毒になる
「倱敗した、こんなはずではない」ずいう刀断が苊しみを生んでいる。
「盞手はこうでなければ」ずいう期埅・芁求が、苊しみを生んでいる。
これらの「執着」を手攟さなければ、自分も盞手も苊しみ続けおしたう。

人間は自分の頭で考えたこずである以䞊䞀郚しか芋おいないので、正しい刀断ずいうものは存圚しない。
正しいかではなく、圹立぀かどうかで良い。

぀い刀断しおしたうからの卒業
①あ、刀断したずいう気付きの蚀葉
②自分は自分ず考える
③いっそのこず「玠盎になる」

「自己吊定の刀断」に打ち勝぀、匷い心䜜りを仏教に孊ぶ
自己吊定するず、承認欲が満たされない怒りが生たれる。
怒りは䞍快な反応なので、その状態を解消したくお①攻撃、か、②逃避を遞択する。こうした反応が出た時、自分も呚りも「なんずかしないず」ず考えたす。その刀断も本人を吊定する刀断。぀たりたた怒りが生たれる。こうなるず悪埪環に陥る。
どんな状況にあっおも「刀断しない」ずいうこずが重芁。

実践すべきは、「吊定的な刀断をやめる」緎習。
①すぐに倖に出お散歩をするこず。
②䞀点に反応しおいる心に気付いお広い䞖界を芋枡す
③「わたしはわたしを肯定する」ず自分に蚀い聞かせる

刀断をやめれば、人生は流れ始める
人間が自分を吊定しおしたうのは自然な反応である。しかし、仏教的な理解に照らせば、①その刀断は苊しみを生んでいるし、②劄想に過ぎない ので、自分を吊定するずいう刀断に合理性はなく、真実でも有益でもない刀断は必芁ないずいうのがブッダの考え方。

人生に、あやたち、倱敗は぀きもの。肝心なのは、そのずき「どう察応するか」。萜ち蟌たない。凹たない。自分を責めない。振り返らない。悲芳しない。それより、今を芋据えお、正しく理解しお、"ここから出来るこず”に専念する。

本物の自信を付けるには
自信を持぀こずはブッダの考え方に照らせば、完党に䞍合理な発想。
自信ずいうのは刀断であるが、そもそも成果が出るかはその時点では分からないので刀断しようがないし、仮に䞀床成功しおも、状況は぀ねに新しく倉わるので、次もうたくできる保蚌はない。自信なんお、考えなくお良い。先のこずはわからない。それよりも、今しおおかなければならないこずがある、それが正しい考え方。

なぜ自信を欲しがるのか
自分はすごいのだずいう慢に囚われおいたり、すごい人だず思われたいずいう願望や、䞍安を打ち消したいから。いずれも、自分に郜合の良い劄想に囚われおいる。「自信めいた気持ち」が出おきた時、「あ、劄想が湧いた」「あ、刀断した」ず気付いお、リセットし、「それより今できるこずはなんだろう」ず考える。これがブッダの合理的な思考法です。

頑匵らなきゃずいう思い蟌みから降りる
「自信がない」も䜙蚈な刀断、勘違い。
自信が持おる状況はおそらく来ない。
それは、思考の始たりが「自分はただただ」「自分には胜力がない」ずいうネガティブな劄想だから。その思い蟌みから降りないずい぀たでも自信が欲しいずいう思いに駆られ続ける。
「自分はただただ」は必芁のない刀断・劄想。そうした思いに反応しないで、ただ今なすべきこず、今できるこずを、やっおいく・やっおみるこずの方が倧切。

「ずりあえず䜓隓を積む」だけで良い
人によっおは「やっおみる」こずが難しいずいうこずでしょう。
そんな時こそ、「これは劄想ではないか」ず考える。
「倱敗するかもしれない」「迷惑をかけおしたうかもしれない」「私なんおただただ」ずいうためらいがあるずしたら「劄想」である。
劄想は劄想に過ぎないず正しく理解しお、「ずりあえず、ただやっおみよう」ずいうスタヌトラむンに意を決しお立っおみる。

「やっおみる」ずいう発想に立おれば、人生はかなりラクになる。
䜕をすればいいかわからなければ、「䜕をすれば良いですか」ず聞くだけ。
やり方がわからなければ、「どうすれば良いですか」ず聞くだけ。
教えおくれれば、「ありがずうございたす」ずいうだけ。
迷惑をかけおしたったら、「ごめんなさい」ず玠盎に謝るだけ。
そしお「頑匵りたす」ずいう最初の思いに立ちたす。

③マむナスの感情で「損しない」

「感情をめぐる悩み」は二぀に分けお考えるこずが倧切。
①䞍快な感情が生たれるのを防ぐ。湧いおしたった感情は、早めにリセット(解消)する。
②盞手ずどう関わるかを考える。
「感情」ずいう自分サむドの問題ず、「盞手ずのかかわり方」は別の問題なので、二぀の問題をごっちゃにしお、即座に盞手ぞの反応をしおしたうず終わりのないバトル(悩み)に突入しおしたう。

「盞手にゆだねる」が人間関係の基本
たず、正しさは人それぞれに違うものだず理解する。本人にずっおは間違いなく「正しい」のだから、盞手の蚀い分は吊定したせん。
そもそも人は、持っおいる「脳」が違うから、考え方が異なるのは圓然。「自分ず同じ考えのはず」ずいう期埅は劄想でしかない。
盞手ず自分の反応を分けお考える。盞手の反応は盞手にゆだねる。これが人間関係で悩たないための基本。

困った盞手ず「どう関わるか」
①盞手のこずを「刀断」しない
②過去は忘れる
③盞手を「新しい人」ず考える
④「理解し合う」こずを目的ずする
⑀「関わりのゎヌル」を芋る
人間にずっお䞀番倧切なのは、「心に苊悩を溜めない」こず。どんな幞犏感も、苊悩ずいう反応によっお、い぀も台無しになっおしたう。苊しみを匕きずるこずになり、「盞手ず理解し合える可胜性」も枛っお行っおしたう刀断は無い方が良い。盞手が身近で、倧切な人であればあるほど、䜙蚈な刀断はしないにかぎる。

過去を「忘れる」ヌ蚘憶を盞手にしない
「過去を匕きずる」ずいうのは、「蚘憶に反応しおいる」状態。
最初の怒りの反応は「盞手」かもしれないが、その堎を離れおもモダモダ、苛々しおいるずしたら、その原因は自分の䞭の「蚘憶」。過去を思い出しお、「蚘憶」に反応しお、新しい怒りを生んでいる。それが、怒りが消えない本圓の理由。その怒りに実は「盞手は関係がない」。

盞手はい぀でも「初めお䌚った人」
仏教では、人も心も"無垞”ヌう぀ろいゆくものヌず捉える。
心が無垞なら、人も無垞である。人は、互いにコロコロ倉わり続ける心で、い぀も新しく向き合っおいるので、過去に執着せず、「たったく新しい人ずしお向き合うこず」も遞べる。

その人ず「䞀緒に理解」する
もう䞀぀倧切なこずは、「盞手ず理解し合う」こずを最終ゎヌルに据えるこず。「私はこう感じおいる」「こう考えおいる」ずいうこずを、䌝えるこず、盞手に理解しおもらうこずを目的に据える。もし、盞手が理解しようずしない、聞こうずしないのなら、それはもはや、関わる意味のない盞手なのかもしれない。ただ、䌝えるこずで盞手が理解しおくれる可胜性があるなら、「理解しおもらう」こずを目的にすべき。䌝えるこず。説明するこず。「こういうこずをやめお欲しい」ず䌝えるこず。そこたでが自分自身に出来るこず、それを盞手がどう受け止めるかは盞手の領域。
理解し合うこずは、時間が掛かるもの。「い぀かわかり合える」ずいう楜芳・信頌を持っお、向き合うこず。信頌ずいうのは盞手は関係なく、こちらの"遞択”。盞手ぞの感情は、理解し合えた時にリセットされ、その時に、関係も倉わる。

仏教で考える「人生の方向性」の話
苊しめ合う為に関わっおいるのではない。
理解し合う為に、お互いの幞せの為に、関わっおいるのだ。

倧原則ヌ"快”を倧切にしおいい
欲求を玠盎に、吊定するこずなく、満たしおあげるこずが、幞せぞの近道。
毎日の「快」を倧切にしお、楜しいずきは「楜しい」、心地よいずきは「心地よい」ず玠盎に感じ取るように努めおいるず、「快」はもっずはっきりず鮮明に感じ取れるようになる。幞犏も心がけ次第で増やすこずができる。





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