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伊能忠敬記念館 訪問記(地図好き)

伊能忠敬は50歳を過ぎてから、日本全国を測量した歩き、我が国最初の実測日本地図を作成した人物です。その記念館が忠敬が住んでいた千葉県の佐原市にあります。

佐原市(さわらし)は東京から車で1時間半、水郷の町として栄え、記念館がある付近は小江戸とも呼ばれる当時の町並みが残り、水郷を舟で巡ることができます。

記念館はその古い町並みの中心地にあります。

忠敬は1745年に現在の千葉県の九十九里町に生まれました。17歳の時に佐原の名主の伊能家の婿養子になり、36歳で名主を拝命、49歳で隠居します。
48歳の時に伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、天文や暦学に興味を持っていたようです。その後、江戸で、19歳年下の天文方高橋至時の弟子になり、本格的に勉強を始めます。

55歳で北海道南岸の測量を行い、以後10回に及ぶ全国の測量を71歳まで行い73歳で亡くなりました。

当時、蝦夷地では帝政ロシアの圧力が強まってきており、幕府も蝦夷地の調査を行っていました。天文方だった高橋至時は測量調査を行うことを幕府に提案し、いろいろいきさつがあったものの、蝦夷地の測量を行いました。ただ、その費用の8割近くは自己負担で賄われました。

蝦夷地測量の結果を受けて、幕府は東日本沿岸の本格的な測量・地図作成を至時を通じて忠敬に命じます。その成果は11代将軍徳川家斉の上覧を受け、忠敬は功績により幕臣に登用され、以後も西日本全域の測量を行います。

水郷を挟んで記念館の向かいには忠敬が住んでいた家が保存されています。

記念館の中は残念ですが撮影禁止となっており、忠敬が作成した地図の正確さと測量技術の高さを知ることができます。館内には地図の他に測量器具や手紙類も展示され、国宝に指定されているものもあります。

資料館では写真の本を1000円で売っていますから、地図好きにはたまらない資料です。

忠敬が作成した地図と現在の地図を比較しても、その正確さに驚きますが、さらに50歳を過ぎてから歴史に残る偉業を成し遂げたことにもっと驚きます。
財をなして隠居し、自由な身だったとはいえ、強い好奇心と探究心があればこそ19歳年下の天文方に弟子入りをして、本格的に研究をできたのでしょう。
そして、その体力。日本全国を測量して巡る体力にも驚かされました。

地図好きには必見の記念館です。

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