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文章による自画像 「ゴヤの手紙」


ゴヤの作品を最初に知ったのは30年以上前の学生の頃にヨーロッパをバックパッカーで旅行した際にスペインのマドリッドのプラド美術館で「裸のマハ」と「着衣のマハ」を見た時です。
当時は絵画には興味がなく、同じモチーフで裸婦と着衣の作品があるという謎めいた逸話に興味を惹かれたぐらいでした。
その後、社会人になって再びスペインを旅行しプラド美術館に行きましたが、「マハ」よりも「黒い絵」とそのエピソードに興味をそそられました。
「黒い絵」はゴヤが別荘に描いた壁画で、ゴヤ亡くなってから数十年後、新しい家の所有者とプラド美術館が壁からキャンバスに移して修復し、現在ではプラド美術館で所蔵されています。「我が子を食らうサトゥルヌス」が有名です。

徳島の大塚国際美術館では発見された時と同じ配置で黒い絵が展示されていますが、この展示を観た時は衝撃を受けました。黒い絵が別荘の壁に描かれていたことは情報として知っていましたが、それを復元した部屋で見る「黒い絵」は、陶板とはいえ迫力があり恐怖心さえ抱きました。それ以来、ゴヤと黒い絵は記憶のどこかにひっかかっていました。

そのゴヤの手紙はプラド美術館他に収蔵されており、岩波文庫で発刊されています。

手紙は友人サパティールに送った書簡が多いですが、そこには絵画論・芸術論のような内容はほとんどなく、「ゴッホの手紙」のようにゴヤの作品を直接的に理解する手助けになるものではありません。私は「黒い絵」を描いた背景を知る手がかりを求めていましたが、それもありませんでした。

手紙には、日常の生活、家族の様子、子供の健康、お金の貸借、立身出世の夢、などが生々しく語られています。それは「ゴヤ自身とその時代、社会についての貴重なドキュメントであるに留まらず、文章による優れた自画像(下巻 P311)」という解説者の指摘そのものだと思います。

宮廷画家として成功を望み、家族を心配し、難聴から絵画教授の職を辞任する、そんなゴヤの心の機微を手紙から読み取ることができます。もし、この手紙がなかったとしたら、私たちは作品からしかゴヤの人間性を推察するしかありませんでしたが、おそらく今日語られているゴヤとは異なるゴヤ像が出来上がっていたかもしれません。

「ゴヤの手紙」からはゴヤの作品の背景などを直接的に知ることは出来ませんが、ゴヤという人物について、天才画家・大家という近寄りがたい画家というより、普通の人間としての親しみを感じさせてくれます。


「ゴヤの手紙(上下) 大髙安二郞 松原典子 編訳 岩波文庫」


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