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高橋和巳の「非の器」 硬質な文章を読みたいという乾きを潤してくれる 

硬質な文章を無性に読みたくなり久方ぶりに高橋和巳の作品を手に取った。

高橋和巳は1931年8月31日に大阪で生まれ、1971年5月31日に39歳で没した作家であり、中国文学研究の泰斗でもある。学究の最終経歴は京都大学文学部助教授である。
1961年に本書を上梓した以後、「わが心は石にあらず」「憂鬱なる党派」「邪宗門」などの長編小説を世に出し、当時の世情を位相する社会問題を取り上げ全共闘世代に支持された。

今回読んだ「非の器」は高橋和巳の文壇デビュー作で第一回文藝賞を受賞した長編小説である。

本書は私が生まれる前に出版された作品であり、高橋和巳の時々の発信を直接的に見聞きするには私は幼すぎたが、大学生時代には高橋和巳の作品を次から次にむさぼるように読み耽った時期があった。友人達からは、初期のバブル期の熱病のような雰囲気と比し、古色蒼然とした前世代の作家に傾倒することを訝られ、時には陽気にからかわれたものだ。

何故、学生時代の私は高橋和巳の作品群を読み込んだのか。当時の私は、それは現在もだが、イデオロギー的には高橋和巳とは相克する立場をとっていたので、高橋和巳の思想に共鳴したわけではない。読後に突き動かされるような激しい感情が沸き起ったわけでもない。
最初に高橋和巳の本を読もうと思った動機は、今となってははっきり覚えていないが、高橋和巳が私の故郷の旧制松江高校を卒業していることが1つのきっかけだったことは明言できる。
それぞれの作品のあらすじの記憶も薄れてしまったが、その硬質な文体、練られたストーリー構成に、自分が及びもしない知的世界を感じ、素朴な憧れを持ったことはよく覚えている。

「非の器」の主人公は正木典善(まさきてんぜん)という刑法学の権威である。某大学法学部教授という設定であるが、どこの大学をモデルにしているかは最初の数頁を読めば想像がつく。

高橋和巳の本は学生時代にほとんど読んだのだが、実は「非の器」だけは最初の数ページを読んでは、他の作家の本に手を出してしまう、ということを繰り返してきた。理由は単純で、文庫本の活字のフォントが小さすぎて文字が文字として頭に入らなかったからだ。そんなつまらない理由で処女作を読んでいなかったのだ。

最近の私は自身が編み出す軟派な駄文に食傷気味だった。硬質で難解な文章に飢えていた。読みたい、という乾きを潤すのは、これまで何度も跳ね返されてきた高橋和巳の「非の器」であろうということは分かっていたが、左記のささいな理由から逡巡していた。
そんな時、Kindleでダウンロードできる版を見つけ、躊躇なく購入した。マーカーが出来ない仕様は残念だが、BGMを消した静かな環境で姿勢を正して正木典善に向き合った。

本書は刑法学の権威者を主人公とする長編小説であり、そこには自然と法律を扱う場面が随所に登場する。しかも紛争解決手段としての法技術的な法解釈論というより法哲学の領域の議論が展開されている。中国文学が専門の高橋和巳の刑法思想や法哲学を論じる法的知見は瞠目に値する。

正木典善の口を通して高橋和巳が時の社会的情勢について語りたかったことは随所にあるが、その集大成は大学を辞する正木典善の記念講演であろう。
まさに記念講演という体裁を用いて高橋和巳が世に訴えたいことが集約されている。圧巻の記念講演である。読者は法律の専門家であると錯覚してしまうだろう。

高橋和巳は1969年に学生闘争のさなかに京都大学文学部助教授を辞することになるが、私はその時の経緯についてよく知らない。しかし、辞職が本意だったのか、そのように追い込まれたのか、1961年の「非の器」からは、決して本意ではなかったように思える。
「私の生きがいは、いまはただ研究室の中にしかない(442頁)」と進退伺いを提出した正木典善に語らせる。これが作家であり学者でもあった高橋和巳に通底する学究への姿勢ではないだろうか。

本書によって乾いた喉は潤ったし、30年以上かけてやっと向き合うことが出来た満足感にも浸っている。おそらく齢を重ねた今だからこそ味わえるものだろう。
しかし、喉が再び乾いてきた。本書がそうさせている。次は何を読もうか。


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