死に際に、後悔しない生き方を
あなたは「死」を意識したことがあるだろうか?
私は、外国人の夫と出会い「死」というものを意識するようになった。そして今、一番近い存在である家族の「死」に向き合わなければいけない状況にある。
それは、突然の知らせだった。
父親の急変
一昨日のお昼、母から1本の電話があった。
父親が風邪をひいたと聞いていたので、父親の状態はどうかと聞いてみると「地獄だ」という。よくよく聞いてみると、父親がかなり憔悴してきていると。ごはんが食べられなくなり、一度座ると立ち上がれない状態にまできているという。
「それ大丈夫なの!?」
「コ○ナだって言われるのが嫌で、病院に行きたくないんだって。お父さん頑固だから......」
しかしこの時、そんな悠長なことを言っている状況ではなかったのだ。
翌日のお昼すぎ、姉から電話があり父親が入院したことを知らされた。母親と電話したその日の夜、急患で病院に父親を連れていったということだった。すでに立ち上がれる状態になかった父を、母と産休で実家にいた姉が抱えて車にのせた。この状況をみても、父親がかなり重篤な状態だったことが容易に想像できる。
病院に着き、コ○ナの検査でしばらく待機させられた。陰性が確認され、ようやく病院の中に運ばれた。
父親の状態はかなり悪かった。受診が遅れ、ウイルスが全身にまわり、肺のレントゲンをとると真っ白だったそうだ。通常、健康な人の酸素は90%以上だが、この時父親の酸素数値は50%、毛細血管にまで血栓ができていた。
今も油断を許さない状態で、集中治療室で人口呼吸器をつけ、点滴をしている。退院できたとしても、内臓の機能低下、血栓による脳梗塞など様々なリスクと隣合わせの生活になるだろう。72歳という年齢もあり、完全に回復するは無理かもしれない。
こんな形で日常を奪われるなんて.......
本当に突然すぎる父親の入院に、ビックリしたと同時に今のコ○ナ禍が私たちの生活にもたらしている負の連鎖に憤りを覚える。コ○ナがなかったら父親は、確実にもっと早く病院を受診していた。
父親世代の人たちは、ワ○チンに何の疑問を思っていない人が多いなか、父親は「コ○ナ騒動の裏に隠された本当の真実とは何か」を自問し、自分で調べていた人だ。「ワ○チンは打たない」と決め、周りに流されることはなかった。
コ○ナだけが命にかかわるウイルスではない
父親はコ○ナには感染していなかった。何かウイルスだったのはこれから検査をし、明らかになるだろう。一つ強く主張したいのは「コ○ナだけが命にかかわるウイルスではない」ということだ。
政府とメディアは「コ○ナ、コ○ナ」と騒ぎたてているけれど、よくよく冷静になって考えた方がいい。
身近なところでいえば、インフルエンザ。毎年、インフルエンザで亡くなる人がいて、毎年流行するインフルエンザ。コ○ナウイルスは未知のウイルスだから「怖い」と思いのは人間の心理だけど、インフルエンザをはじめ、世界には今も人の命を簡単に奪う様々なウイルスが存在する。
ワクチンについても、メディアの放送では伝えられていないことが、日本・世界のyoutubeで調べればいろいろ討論がされている。そもそも、これだけワクチンによる副作用と、接種後の死者が報告されているなかで、ワ○チン接種を子供にまで進めようとしている日本の政治には不信感しかない。
そして、コ○ナにより自粛が続けば、さらに自殺などの2次被害が増えていく。父親も間接的な2次被害者の一人だと思っている。夫の叔父も自粛前に船に乗りたいといい、お酒を飲んで船から落ち亡くなった。つい数か月前のことだ。これを「自分が悪いんでしょ?」と思う人もいるかもしれないが、そういう状況を作ったのは、まぎれもなく「コ○ナ」をまるで人類の終わりかのように伝え恐怖を煽っているメディア、日本の政府ではないか。
コ○ナ対応にはじまり、ワ○チン接種、そしてロ○ア×ウク○イナ、次々と起こる世界情勢の波に日本ものまれていることは確かで、日本を動かしている政治家が今世界で起きている現状を知らないはずがない。それを承知で、ワ○チン接種をガンガンに押し進め、真実を伝えずロシアに制裁を加えるとか言っているんだから、もう日本は魂を売ったんだなと思う。
死にかけた夫の経験
父親の突然の急変にビックリしたのは確かだ。でも、死にかけた経験をした夫の話を聞いていたので「死」は、遅かれ早かれいつかは誰にでもやってくるものだという実感はあった。
死にかけた経験をした夫の話をちょっと。
夫が入院した時、貧血を示す血液の数値が以上に低く、すぐに病院に呼ばれたそうだ。入院してすぐに両腕に点滴をされ、点滴は1ヵ月間にも及んだ。2ヵ月間の入院で、検査を繰り返しても貧血の原因がわからなかった。最後は、「fin de vie(命の終わり」という、もう治療のしようがない患者が死ぬまでの時間を過ごす病棟におくられた。(本当にこいう名前の病棟だったらしい)
身長188cm、体重53kg、というあまりに痩せこけた姿に友人は「痩せた姿を見たくない」という理由で一度しか見舞いにこなかった。そして、刺激を与えると発作が起きるから、という理由でついに面会謝絶になった。
そして、最後は心臓が止まり死にかけた。
ナースコールを呼び、人口蘇生器を持ってきた看護師は取り扱いがわからず、医師は20分後に病室にやってくるという日本ではありえないようなことが起きた。
その様子を見ていた死にかけていた夫の対応が運命をわけた。
止まった心臓と麻痺しかけていた自分の体の最後の力をふり絞って、友人から教えてもらった呼吸法を思い出し、自分で呼吸を整えたのだ。そして、自分で息を吹きかえした。
こんな嘘のような本当の話を、今では笑い話にしている。だけど、入院していた当時の話を聞くと、医者もお手上げの状況でよくここまで回復したなと思う。血液の数値が低く、普通なら死んでいるくらいなのにまだ生きていることが相当稀有だったらしく、全く関係のない病棟の医師が夫をもの珍しさで見にやってきたそうだ。
2ヵ月間の入院、7カ月間の通院の末わかったのは内臓からの出血。血管に穴があきそこから出血していたことが原因で貧血になっていたのだ。通常なら自然に塞ぐことのない血管が自然治癒していた。
死にかけた夫は今、日本人の私と結婚し、2人の子供にも恵まれた。死にかけた人間が、また新たに命を与える側になったのだ。
それでも、生きる希望は失わない
半分あの世に足を入れていた夫は、そんな状況でも常にポジティブだった。入院前の検査で「喘息」という診断が出ていたけれど、夫は絶対に違うという確信があった。輸血をすすめられたけど、それも断固拒否した。
普通なら「もう無理」という状況の中で、何が夫を救ったのか?
夫曰く、それは「la joie」(喜び)だという。どんな状況でも「その瞬間を楽しむ」こと。そして、頭を指さして「すべてはここ」だと。
夫は「死」に対しての恐怖は全くなかったという。当時失うものはなく「もしその時、命が尽きていたとしてもそれが自分の運命だった」と言った。子供がいる今でも、いつも子供たちに「パパとママは永遠にいるわけじゃない。だから自分のことは自分でできるようにならないといけない」と伝えている。
「fin de vie(命の終わり)」という病棟までいき、医者ももう手をつくし「これ以上治療の余地なし」という誰もが「もう無理」という状況だった。最後は心臓も止まり、本当にあの世にいこうとしていた。そんななか、最後まで諦めず自分のできることをした。パニックなるのが普通だけど、夫に「死」の恐怖なく、死に際まで冷静だった。
夫のように、ポジティブな感情、どんな時でも冷静な状態を保つことが時に命を救うことがある。逆に、自分の脳が作り出す「恐怖」「ネガティブな感情」「ストレス」が病を引き起こす原因になることもある。
今、世界が包まれているネガティブな空気は、その中にいるだけで負のエネルギーを感じやすく精神のバランスを崩しやすくなる。こんな時だからこそ夫のように笑っていなければ、どんどん負のエネルギーに巻き込まれていってしまう。
今、私達は人と会うことを制限され、人生の楽しみを奪われ、まるで生き地獄だ。それよりも、ポジティブな気持ちで免疫力を上げていくことの方がワ○チンを打つより何倍も体にはよさそうだ。
死に際に、後悔しない生き方を
入院する一週間前に、父親に会ったばかりで普段と変わらない様子だった。
それが今、病院のベットで生死をさまよっている。
今回の父の入院で、学んだことがある。それは、
「人生は案外短くて、人生の終わりは突然やってくる」
あと30年後、私は父親と同じ年齢になる。そう考えるとあっという間に時間は過ぎてゆく。死に際に、「あぁすればよかった、もっとこうしたかった」という後悔はしたくない。
いつも「死」について考える必要はない。ただ、意識すると「今何をすべきか?」が明確に見えてくるような気がする。いつか終わりがくる命だから、その時まで精一杯人生を楽しんだ方がいい。やりたいことがあるなら「どうやったら実現できるか?」を考えた方がいい。迷っている間にどんどん時間は過ぎてゆく。
何が正解かわからない混沌とした世の中だからこそ、自分の軸をしっかりもって、死に際に後悔しない人生の選択をしていきたい。
死の淵から這い上がった夫はいつもこう言っている。
「Tant qu'il y a des vie il y a des espoir」(命ある限り、希望はある)
そして最後に、最近読んだ本の中で一番心に響いた、とても力強いこの言葉を胸に。
生きたいように生きなさい。そしてこの世界に何かを置いていきなさい。「この世界からいってしまう時に、 何かを持っていくことができますか?財産とかを貯めたって何の意味があるの?でも満足は持っていけるでしょう。世界の誰かのために何かをやったということを置いていけるじゃない。他の人が次に生きるためにね。」
引用:「質素であることは自由であること」 著:有川真由美
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