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黙食はこれまでも求めていません

黙食緩和のニュースから通知文が届いたのは数日後のことだった。

先に言っておくと今回の記事で黙食自体が適切か不適切かを論じるつもりはない。
コロナ禍以前からインフルエンザが流行したときは給食時に座席を前向きにしていたし、換気もしていた。それでも学級閉鎖は起きることもあった。小学校低学年の子にとっては食事に集中するための黙食時間は昔からあった。
食育の観点でいえば給食は楽しい時間であってほしいし、社会的にはもう黙食は過去のものだともいえる。居酒屋や飲食店の前を通ればわかる。黙食のポスターが掲示されていても積極的に注意する店員はいない。

社会は許されているのに何故学校はダメなのか。
それは学校が感染症の温床になりやすい環境であり、地域医療に影響するからだ。
今回のコロナも子どもの症状は軽症が多いと早々に分析されながらも、上記のことから臨時休校やら制限やらがなされてきた。
ただ、過去の措置についても今回論じるつもりはない。


私が言いたいのは表題の言葉。

【黙食はこれまでも求めていません】

言葉は悪いが「現場の教員によくそんなことを言えたな」と思った。
最も感染リスクの高い時間とされた給食。
配膳の仕方や給食時間の調整、座席の配慮、子どもたちへの指導、手洗いや消毒の徹底。昼の放送はクイズや最近の音楽は子どものテンションを上げてしまうのでクラシックになった。

もしかしたら対策し過ぎたかもしれない。
でも感染者やクラスターが発生したら感染経路の確認はあったし、予防策が万全であったか問われていた。そこで落ち度がないように大人も子どももやれるだけやってきたのだ。
それによって子どもの健康はもちろん、教員自身や家族、地域医療を守ることに繋がっていたと信じたい。

労いの言葉はあっても「今までも求めていない」なんて、そういった努力が無意味だといわれたようで悲しい気持ちになる。
私はまだいいが、真面目に感染症対策に取り組んできた先生方の気持ちを考えるととてもつらい。


現場はまだ家族の風邪症状で出席停止という状況。今後はインフルエンザも感染性胃腸炎も流行する時期になるし、受験シーズンにもなる。
先行きが不安だから、規制緩和にすぐシフトできない気持ちもわかる。


いろいろとガックリしたが、今後も基本的な感染症予防を啓発しながらできることをやっていこう。

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