【保育】骨折して気づいた子どもの気持ち
保育園で先生をしている。3年目の今年は3歳児の担任で、2月ともになれば殆どの子が満4歳だ。
4歳は言葉で意思疎通ができる。
困りごとがあると「先生やってー」と伝えてくれる。
でもたまに、どうしてこのタイミングで?!と思うことがある。
例えば、日頃はよく食べて、自分で食べられるということに自信を感じている子。
それなのにその日はお昼の時間が終わる直前になっても食べ終わらない。
どうしたのかな、と思っていると「せんせい、ちょっときてー」と言われる。
苦手なおかずだったのかな、残してもいい?って相談したいのかな、と予想していると「かたい」とひとこと。
たしかにその日のお肉は少し硬い。
「かたかった?」
「うん、刺せない」
……なるほど。
急いでフォークを刺してあげると食べる。
「味は好き?」
「すき」
「困ってたことに気づかなかったよ、ごめんね。いつでも呼んでいいんだよ」
そう声を掛けると、
「うん」
と、美味しそうに食べている。
――こういうことって結構ある。なんで呼んでくれなかったの? もっと早く呼んでよ、みたいなこと。
ところで私は骨折をして、現在実家で世話になっている。
利き腕が使えないのでとても無力だが、左腕もだいぶ使いこなせるようになってきた。
数日前、料理上手の父がジャガイモのグラタンを作ってくれた。
スライスしたジャガイモ、新たまねぎとハムの上にたっぷりのチーズで蓋をしたグラタン。
クリームは使っていないので、ファミレスのグラタンとは違って歯ごたえのあるタイプ。
チーズには焼き色がついて、とてもおいしそうだ。
でもなんとなく、スプーンで取り分けるのが難しそうだなと思った。でもできなくはないかな、とも思った。
だけど私はすぐには手を付けず、食べやすいものから食べた。なんとなく、なんとなーく、面倒くさいなと感じていたからだ。
しばらくすると父が「とろうか?」と提案してくれた。「大丈夫」と答える。
だってもう大人だし、一人で食べられなかったら恥ずかしいし、左手を使うのも上手になってきたし……。
それでも私は引き続き、食べやすいものを食べていた。そして、いつの間にかグラタン以外食べ終わってしまった。
いよいよ、グラタンと向き合う時が来た。満を持して取り分けようとする。
ところが、……というか案の定というか、ジャガイモのスライスをうまくスプーンに乗せられない。
なんとか持ち上げても伸びるチーズに妨げられて、不器用な左手では如何ともし難い。
そこで仕方なく助けを呼ぶ。「ごめん、取って」と。
急速に3歳児の心情を理解する。なるほど、こういうことか。
やりたい気持ちがあるし、できる気でいる。だってもう3歳だし、とか、もう4歳だもん、とかきっと思ってる。
でも難しそうという予感もあるから、なんとなく後回しにしてしまう。
それで最後の最後になってやっぱり呼ぶことにする。「せんせい、きてー」と。
だからきっと、「いつでも呼んでいいよ」とかあんまり関係ないのかも。既に呼びたいタイミングで呼んでくれてるんだと思う。
私は、それに応えればいいのかも。
以上が骨折14日目の昨夜、
ようやく思い通りに寝返りを打てた私の、骨折して気づいた話。