無敵のおっさんのせいで借金するかそれともプロゲーマーになるかという状況に置かれた話

2022年12月25日、クリスマスの夜に私は近所の銭湯にいた。家の水道が止まったからだ。その日は日曜で問い合わせられなかったが、後から水道局に問い合わせたところ引っ越しがあった部屋と間違われて元栓を閉められていた。私に落ち度はなかったわけだが、私も私の友人も完全に私がなにかをやらかして水道を止められたと思っていた。私はそういう人間だ。

経緯はさておき、1年半ぶりに近所の銭湯の湯船に浸かっていた。銭湯は好きで旅先ではよく行くが近所で行くことはめったにない。1年半前も銭湯に行かなければならない理由があった。

去年の2021年4月に愛知から東京に大学院進学のために越してきた。入居先に選んだのは東京都文京区で家賃2万6000円という格安のアパートだった。親が生まれる前から建っている古い建物である。家賃相応にシャワーもトイレも共用である。いやそれでも安いか。

そこを選んだ理由は単純で、金がなかったからだ。学士を取った工業大学で一度大学院に進学していたが、将来地球環境のためになにかできる職につきたいという想いから農学科へ学科変更をした。大学院に入りなおす形での進学であった。私の苗字は母のものだ。ひとり親の母にわがままを言っての進路変更であり、口をすっぱくしてお金はこれ以上は出せないと言われていたので一番安いところを選んだ。

余談だが実は大学の寮に入ればもう少し安い。寮には応募しようとしていたが完全に忘れているうちに期限が過ぎていた。ゲームや一部の好きなことに本来必要な脳のリソースもつぎ込んでしまっているためか私は普通しないようなうっかりをよくする。冒頭で書いた水道が止まったのは自分のせいだと思ったのもそういう理由だ。

そんなわけで格安の古いワンルームアパートでの生活を始めた。貧乏学生が集まっているのだろう、アパートでも友達ができたらいいなと思っていたが、そんなことは全くなかった。実際住んでいたのは無敵の人と化したやばいおっさんだった。もしかしたら貧乏学生の入居者もいたかもしれないし、礼儀正しくおとなしい入居者もいたが、私は新生活で一人のやばいおっさんにより恐怖のどんぞこに突き落とされることになる。

やばいおっさんのやばさの片りんをはじめに感じたのは自転車を倒されていたときだ。格安アパートに駐輪場なんてものはなかったので、入居者はアパート前の細い路地に自転車を路駐していた。大きいスペースではないので周りの自転車を少しずつずらして駐輪したのだが、朝見ると道のど真ん中に放り投げるような形で倒されていた。おそらく私の自転車のせいで自転車を出しづらかったのが気に食わなかったのだろう。自分のものでも借りたものでもない通路での領土の主張とはふてぶてしい限りだ。その時はまだ誰の仕業かはわからなかったがすぐに確信を持つことになる。

数日後、帰って二階へ階段を上がり、ギシギシと音のする廊下を自分の部屋まで歩くとドアにA4ぐらいの紙が貼りつけられているのを見つけた。手書きの筆跡やところどころ崩壊した文法、変に回りくどい言い回しから書いた人間の異常さを感じた。内容を要約すると以下のようであった。

うるさくて仕方ないから静かにしろ。直接文句を言いたいが警察に止められていてそれはできない。だから張り紙をした。

糊付けされた張り紙をなんとかはがすと何度も張り紙を貼って剥がした跡があった。入居したときは何の跡かわからなかったが、こうして見るとそうとしか見えなかった。特別うるさくしたつもりはなかった。しかしオンボロのアパートはゆっくりと歩くだけでもギシギシと大きな音がする。つまりこういうことだろう。下の住人は私の部屋の前の住人と警察沙汰になるようなもめ事を起こしたことがある。そしてその後も何度も張り紙を糊でドアに張り付けるいやがらせをしている。

こいつはやばい。自転車を倒しているのもこいつに違いない。

後から大家から聞いて知った話だが、やはり前の住人もやばいおっさんがやばすぎて引っ越していったらしい。私が引っ越した後にやばいおっさんはアパートから追い出されたようである。いや俺が入居する前に追い出しといてくれよ。

古いアパートで生活音が出てしまうのは仕方ないことだし、それを込みで家賃相応の生活環境であると思う。だが理外の相手にそんな主張をして意味があるとは思えなかった。できる限り音がたたないようにゆっくり歩くようにはしてみたが、結果から言えば無意味であった。

自転車が倒されるのは続いた。他の住人に迷惑が少ないようなずらし方を考えて試し続けたが、無法な領土の主張は止まなかった。

そしてさらに数日後。シャワーのある一階の共用部の鍵を閉めてシャワーを使えなくされた。もう下のやばいおっさんの仕業なのは疑いの余地はなかった。シャワーとおっさんの部屋の場所は近く、シャワーの音が響くのが気に食わなかったというところだろう。

仕方なく次の日にシャワーをしにいく。午前10時、どう考えてもシャワーの音で文句を言われる筋合いのない時刻である。シャワールームのドアを閉めている途中に、やばいおっさんの部屋の戸が開く音がした。怖かったのですぐに鍵を閉めた。

シャワーを終えて、外でやばいおっさんに待ち伏せられて襲撃されないかと身構えながら恐る恐る戸を開ける。誰もいなくてほっとしたのもつかの間。私の部屋のある二階に行くには一度外に出る必要がある。外に出たとき異変に気付く。自転車がない。

状況証拠からしてやばいおっさんに盗まれたのは明らかだ。シャワーに行ってから終わる前に鍵のついた自転車を隠すことが誰にできようか。私がシャワーに数分使うことを知っていてかつすぐ近くに自分の部屋があるやばいおっさん以外の可能性はあまりにも小さい。すぐに警察を呼んだ。人生初の110番がこんな形になるとは。まあ予想できる事態で110番をするわけはないのだが。

10分ほどで来てくれた警察官に全てを話した。張り紙をされたことから自転車がなくなった状況まで。状況証拠としては明らかに黒だったがしかし直接的な証拠はない。別の課に相談してパトロールをしてもらうことなんかはできるが、その場で警察にできることはないと言われた。

盗難届を出しはしたが犯人はわかりきっている。窓を割ってやばいおっさんの部屋の中に私の自転車があるのを指し、ほらこいつじゃないかと言いたかった。しかし、幸か不幸か窓を割る犯罪を犯すほど私はやばいおっさん側にはいない。

苦汁を飲まざるを得なかった。それと、このままだと刺される。

やばいおっさんの常軌を逸した行動は社会的信頼を失うことを恐れない「無敵の人」のそれでしかない。大家に相談する、警察に相談するなどの対応もできた。しかし、話合いや法律での解決を試みたとして、恨みを買って捨て身で刺しに来られたらひとたまりもない。金はないが命が惜しいので引っ越すしかない。オンボロアパートの自室の蹴ったら簡単に壊れるであろうドアがこの上なく頼りなかった。

やばいおっさんの部屋の前を通って共用シャワーを使い続けるのはあまりにも怖い。私がシャワーを使っていることを、私が部屋を出る音とシャワーの音でやばいおっさんは完全に把握することができる。シャワーを終えた無防備な瞬間を襲撃することはやばいおっさんにとって容易だ。引っ越しまでの間の風呂は銭湯に行った。不幸中の幸いか、危害を加えられることなく引っ越し先が決まり引っ越すことができた。

そのような経緯で4月に東京に引っ越してきたが6月に都内で6万5千のワンルームマンションに引っ越した。文京区では十分安いが私にはとても高かった。何か収入を得るか、そうでなければ次の学期の学費を払うために奨学金を借りる他ないだろう。

その時私がやばいおっさんに怯えていた以外になにをやっていたかというと、オンラインでMTGというカードゲームをやっていた。自分で言うのもなんだが、今プロゲーマーをやっていることからわかるように私はゲームがすごく強い。十万円以上の賞金を何度も獲ったこともあり、その金は裕福ではない家で学科転向して上京というわがままが許された理由の一つである。

そんな私はあるイベントのために練習をしていた。チャレンジャーズガントレットというそのイベントは過去1年で最も勝った24人のみが出ることのできるプロプレイヤーの座を賭けたイベントであった。勝てば賞金やプロプレイヤーの契約金諸々で1000万円程度の収入ができる。

チャレンジャーズガントレットの参加者の一部。上の段の左から二番目が私。https://magic.gg/events/challenger-gauntletから引用

勝ってプロゲーマーになって金をもらうしかない。それができなければ借金をしないと学費を払えない。

24人のうち上位4人は上位リーグである世界で24人のMagic Pro League(MPL)、5~12人はもう48人いる下位リーグのRivals League(MRL)に招待される。そして下位12人はなにもなし。

絶対に負け越せないイベントへの挑戦が始まった。

私は好きなことにはとことん熱中するので、気づいたらゲームを20時間以上連続でやっているようなことは何度もあった。

しかし夢中でゲームをしていたことは数えきれないほどあれど、ここまで必死でゲームの練習をしたのははじめてだった。

勝つ。

勝たねばならない。

金のために!

人生のために!!

奨学金の返済に追われるのは嫌だ!

プロゲーマーになって自由に生きたい!!

そして迎えた当日。参加者のデッキが公開される。デッキを作るのが得意なのが私の強みだ。ここを外すわけにはいかない。公開された他のプレイヤーのデッキを見ると私の読みは大当たりであった。私の作ったデッキはほぼすべての相手に相性が有利であった。

イベントは3日間に渡って行われる。

一日目。

途中成績一位で通過。

二日目。

二位の途中成績で決勝ラウンドに進出する。

最終日。

元プロであり現制度での再度プロ入りを目指す強豪Matti Kuisumaに勝ち上位リーグのMPL入りが決定する。


こうして私は世界で24人のMPLの一人になった。寄しくもその日でオンライントーナメントに初めて出てから丁度1年であった。

プロゲーマーになりたかったら無敵のやばいおっさんに追い詰められてみるといいのかもしれない。



普段はカードゲームの考え方に様々な分野の科学を持ち込んで考察する記事なんかを書いています。MTGプレイヤーにはもちろん、カードゲーマーには面白いと思うのでよかったらそちらもご覧ください。フォローもお願いします。

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やばいおっさんがやばすぎるせいでかすんでしまっていますが、僕も友達に水道代を払うのを忘れて止められてそうと思われている結構やばいやつです。僕に興味を持ってくれた方はこちら↓

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