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生きるという行為

角幡唯介さんの「極夜行」を読了した。

ここ最近、読む本がどれもおもしろくて幸せだなあと思っている毎日なのだが、そのなかでも感想を述べよ、といわれたとしたらダントツで「極夜行」だなあと思った。

「極夜行」はその名のとおり、太陽が昇らない極夜の北極を、1匹の犬とともに単独で数十日間も旅をするというとんでもない冒険譚である。言うまでもないが、完全なる実話だ。読む前からこれはすごそうだ、と思っていたが、読んでみたら予想をはるかに上回る壮絶さだった。

私は昔からルポルタージュが好きなのだけれど、その醍醐味は自分の知らない世界を知ることができる、筆者の体験を疑似体験できる、というところにあると思っている。

なので、どんなジャンルのルポでもある程度は筆者の世界を追体験しているような、共感するような気持ちで読んでいる。

だが「極夜行」にいたっては、もはやそれすら難しかった。

極夜、という状況はかろうじて想像できるとして、自分の汗さえ瞬時に凍ってしまうような氷点下三十度、四十度の世界なんてまったく理解が及ばない。

いや、百歩譲ってそういう自然環境的な条件はまだいい。

その世界で自分と一匹の犬だけで旅をする、という行為によってかかる心身のストレスときたら、完全に想像の範疇外である。筆者の語彙力や表現力は素晴らしく、一生懸命伝えようとしてくれているのはわかるのだが、それでも肌感覚として自分のなかに落ちてこないのだ。

なのに、読んでいると震えがくるほどの説得力とリアリティがある。旅の内容そのものに加えて、それをここまで表現できることがとてつもない偉業だと思う。最後のほうはもはや畏怖の念を感じるほどだった。

旅、というと聞こえがいいが、この場合の旅の最優先事項は命をつなぐことであり、究極のサバイバルである。

筆者の角幡さんはかの有名な早稲田大学探検部の出身で、20年以上にわたり世界を冒険してきたエキスパートである。同探検部出身の高野秀行さんのルポも読んだことがあるが、すごい、としか言いようがない。自分の身ひとつで世界の未知を切り拓く、というその熱意はいったいどこから生まれるのだろうか、とつくづく不思議に思う。

角幡さんは、GPSを使わない。

この時代、地球上であればボタンひとつで正確な座標が得られるのというのに、天測をしながらコンパスと紙の地図を使って進む。当然、迷う。というか読んでるほうとしてはそれは完全に遭難だろう、と思う場面が少なからずある。

今回の極夜行は北極からカナダ側に渡って北極海に抜ける、というのがもともと筆者のゴールであったが、そもそもは極夜という現象に向き合いたい、極夜とは、極夜の果てに昇る太陽とは自分にとってどんな存在なのか、という思いに相対するための旅である。

もう本当に筆舌に尽くしがたい思いをしながら筆者はその答えにたどり着くのだが、未知への探求とはすなわち自分という人間への探求なのかもしれない、とそのプロセスを眺めながら思っていた。

というのも、本来なら未知とはとても怖いものだと思うのだ。知らない世界に飛び込んでいくのは誰でもすこしは怖いと思う。私も怖い。

世界の未知を解明する、というところに冒険心をくすぐるものがあったとしても、それだけではもはや説明がつかない。一瞬の判断で命が簡単に失われるような環境に何年もかけて準備をして飛び込んでいくのだ。なんでまたそんなことを、と首を傾げてしまう。

そもそも筆者も作中で言っていたが、この地球上に未知と言える場所はどんどんすくなくなっているのだと思う。未踏峰だの未踏ルートだのをつぶさに見ていけば隙間を縫うことはできるかもしれない。が、前人未到レベルのものはもう、本当に数少ない気がする。

だから、きっと彼らにとって旅とはツールであって、その旅を通して自分という人間を奥深く探りたい、知りたいと思っているのではないか、と思うのだ。それなら凡人そのものの私にもすこしは理解できそうである。

未知とは、自分のなかにある。

彼らの探求方法が旅であるとすれば、私がこうして文章を書いたり読んだりすることや、なにかを食べたり飲んだりすること、極端な話そのへんをほっつき歩いているだけでも、本質的にいえば探検なのだと思う。未知の解明とは、自分を解明することなのだ。

しかし、角幡さんの書く文章はめちゃくちゃおもしろかった。詳細な記録をもとにした、多彩な表現力。ユーモアに溢れた力強い文章は、ルポでありながら一編の冒険小説を読んでいるような気持ちになった。

あはは、と声を出して笑ったり、震えたり、無意識に止めていた息をはーっと吐き出したり、その一瞬あとにこれが実話であることを思い出してまた違う意味でため息をつく、その繰り返しだった。

間違いなく、後世に残る一冊だと思う。

おすすめです。

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