掌編 「私の呼んでほしい名前」

 ごまかし続けたら、嘘がバレるより先に我慢の限界が来た。
 陽菜ちゃんが交際していると聞いた。ぐるぐると空回りする思考を後回しにして、陽菜ちゃんと彼の関係に入り込み、その男を横取りしたけれど、彼があまりにつまらないので、この世から消し去ることにした。陽菜ちゃんはまつりの太陽で、まつりの天使だ。それにたやすく触れるなんて許さない。
 それと、どうして陽菜ちゃんが、あんな平凡な男にOKしたのか、理解できない。陽菜ちゃんにはもっと相応しい人がいるよ。例えば、まつりとか。
 なんて、冗談は置いといて、彼の粗末なものが、陽菜ちゃんの中に入ったと考えることさえ不快なので、それは切り落とした後、犬に食べさせた。適材適所、犬のエサには、犬のエサに相応しい場所がある。
 ばっちり考え抜いた計画のおかげか、まつりの愛のたまものか、事件はまだ公にならず、まつりは陽菜ちゃんと一緒に学校に通っている。
「陽菜ちゃ~ん」
 通学路、いつもの曲がり角でまつりを待ってくれていた陽菜ちゃんに抱き付いて、その匂いを堪能する。綿菓子みたいにふわふわであま~い匂いを纏って、陽菜ちゃんは今日も天使。
「陽菜ちゃんは今日もかわいいね。天使だよ~」
 そう言って、ぎゅ~っとすると陽菜ちゃんぎゅ~ってして、まつりの頭を撫でてくれた。
「天使じゃないよ~」
「嘘だよ、天使だよ!」
「もう、姫野さんは大げさだなぁ」
 ああ、こんなに仲良しなのに、どうして陽菜ちゃんはまつりの名前を呼んでくれないんだろう。陽菜ちゃんの初めてが彼だっていうから、まつりもおそろいにしたのに、どうして陽菜ちゃんは、まつりのこと下の名前で呼んでくれないの?
 まつりは今日も陽菜ちゃんのこと大好きなのに。
「陽菜ちゃんがいてくれるから、私は今日も生きていけるよ」
 えへへ~、と猫みたいに陽菜ちゃんにじゃれると、
「姫野さんは、私のこと、大好きだね」
 とうれしそうに言った。
「うん、大好きだよ~」
 と条件反射で答えたあと、陽菜ちゃんのうれしそうな顔を見て、閃いた。
 今まではまつりが近すぎたのかもしれない。まつりがいつも、いつでも好き好きって言うから、陽菜ちゃんは感覚が麻痺しちゃったんだ。今もまつりと陽菜ちゃんは相思相愛だけど、相思相愛だからこそ進展しないんだ!
 陽菜ちゃんがまつりを名前で呼んでくれないのは、その必要がないから。つまり、陽菜ちゃんはまつりが側から離れないと思っているんだ。だから、いつまでも距離が縮まらない。このままでいいの? ううん、このままじゃダメだ!
 押してダメなら、引いてみろ!
「ごめん、陽菜ちゃん。まつり、用があるの忘れてた。先に行くね!」
 びしっと手を上げ、陽菜ちゃんに別れを告げて、通学路をひた走る。こうすれば、陽菜ちゃんはまつりに泣きついてくれるはず!
 そうしたら、まつりはこう言うんだ。
「陽菜ちゃん、まつりって呼んで?」
 って。

 木下さんに、いたずらを手伝ってほしいと言われた時は少し驚いた。その時、いつも物静かでおとなしい木下さんが悪い顔をしているのを、初めて見た。姫野さんにいたずらしたいんだ、と言う口振りは、完全に悪役だったのだ。
 ぼくはただ、木下さんの横にいれば良いらしい。ぼくたちが付き合っているという噂を流して、あとは姫野さんが食いついてくるのを待つだけ。
 正直、役得だなって思った。あの木下さんと放課後、デートできたっていうそれだけでも、いたずらに協力する甲斐があった。
 そして、木下さんが言っていた通り、ぼくに姫野さんが話しかけてきた時、悪いことしたなと思いつつ、心の中ではいたずらを楽しんでいた。

 姫野まつりちゃん。私の小学校に上がる前からの友だち。嘘か本当か分からないけど、私のこと大好きって言ってくれて、いつも側にいてくれる大切な人。私のこといつも見ていてくれて、辛いときや苦しいときは守ってくれた。
 きっと、家族よりも一緒にいた。まつりちゃんとは何でも話したし、悪いこともした。小学生の頃、家出した時もまつりちゃんと一緒で、夜の街を歩くのだって、二人なら怖くなかった。
 だけど、いつからか、私はまつりちゃんをそういう意味で好きになってしまった。まつりちゃんは私に抱き付いてきたり、大好きって言ってくれて、段々と私はそれを意識するようになってしまった。きっと特別な意味なんてないのに、まつりちゃんがそういう態度を取る度に、顔が赤くなってないかなって気にして、そんな自分が嫌だった。
 まつりちゃんには知られちゃダメなの。こんな気持ち伝えたら、きっとまつりちゃんに嫌われる。そう思って、初めて会った時と同じ呼び方で、それ以上近付かないようにした。
 高校生になってから、一度だけ男の子に告白された。そういう役目はいつもまつりちゃんだったから、すぐには返事できなくて、少し待ってもらうことにした。いつも通り、茉莉ちゃんに相談しようとして、やめた。
 もしかして、男の子と付き合ったら、まつりちゃんのことを忘れられるかなって。まつりちゃんには何も言わず、告白にOKと返事をした。
 けど、まつりちゃんと離れているとつまらなかった。その男の子も一生懸命に私を楽しませようとしてくれたのに、私は心の中ではまつりちゃんのことばかり考えた。手を繋いでも、この手がまつりちゃんだったらと思ったし、キスした時も、まつりちゃんの薄い唇を思い浮かべた。
 彼には一つだけまつりちゃんにはないものがあって、それだけが私の最後の希望だった。けど、痛いばっかりでダメだった。やっぱり、私にはまつりちゃんしかいないんだって。
 私は彼に別れを告げて、まつりちゃんに向き合おうって思った。男の子と付き合ったこと、でも本当はまつりちゃんが好きなこと、全て話そう。そう思って、まつりちゃんを呼び出したのに……。
 まつりちゃんは、私が男の子と付き合っていたという話を聞いて、顔色を変えた。その時、私には分かってしまった。
 まつりちゃんも私が好きだってこと。私の交際を知って、ショックを受けていること。私が初めてさえ失ってしまったこと。
 私がまつりちゃんの気持ちを悟ったのと同じように、まつりちゃんも私の秘密に気付いてしまった。
 手遅れだった。私はもう、まつりちゃんの側にはいられない。私は間違えてしまったから。汚れてしまったから。
 彼が行方不明になったと聞いた時、なぜかは分からないけれど、まつりちゃんだと思った。私の過ちについての、まつりちゃんなりの復讐なんだって。
 そう気付いた時、私の中で何かが蠢いた。それは、まつりちゃんを前よりも大切に思う気持ちであったし、その大切なものを傷付けたいと思う欲望でもあった。
 それは、ゆっくりと頭をもたげる。私の心の、一番暗い場所から這い出てきて、赤い舌をちろりと出した。その黒い瞳は、まつりちゃんの方をじっと見つめる。
 私はまた同じようなことをした。男の子と付き合って、それをまつりちゃんに教える。まるで、とびきり仲がいいみたいに。
 その男の子とは手を繋いだだけ。でも、罪悪感はすごかった。気絶しそうなくらい気持ち良かった。たっぷり後ろ暗い感傷を味わって、まつりちゃんの表情を噛みしめた。本当に辛そうなまつりちゃんの顔。まるで世界の終わりを見たような、信じていたもの全てから裏切られたような、そんな絶望と、私に見せる精いっぱいの笑顔。まつりちゃんの私への失望と愛情と同じように、私も裏切りと快楽の、引き裂かれた二つをたっぷり楽しんだ。
 けれど、まだ足りない。
 私はまつりちゃんに叱ってほしい。ののしってほしい。
「変態」
 って、けなしてほしい。
 私を見捨ててよ。そうしたら私、とっても幸せになれるから。
 だから、呼んでほしいの。私の名前。

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