見出し画像

初夏になると思い出す~昆虫採集は大変~

数多くある記事の中で、私の記事にたどり着いていただきありがとうございます。
いつもは母親との関係性とそこから専門的な分析について書いてきました。
今日はこれまでほとんど出てこなかった「父親」との関係性について書いてみようと思います。

noteに綴り始めて、これまでを振り返ったときに、母親といると何か精神的に追い詰められて危機を感じることが多かったなと振り返っています。
それに対して、父親は普段はどこにでもいる「お父さん」
しかし、休みの日などに父親といると、身の危険を感じることが多かったし、実際に危険な目にあうこと多数でした。
今日のエピソードは、私の記憶にある中で一番古い「身の危険があった」話です。
その事件は小学校1年生の初夏に起きました。

私の近所は自然がたくさん

私の家は、山に近いところにあります。
四季の移り変わりは、山の風景の変化で感じることができます。
どれくらい山かというと、今でもたまに道を歩いているとイノシシやタヌキに遭遇するというレベルです。
ただ、山奥にポツンと一軒家というわけじゃなく、むかしむかし山を一部切り開いてできた土地に住宅が建ち並ぶというところです。

名称未設定のデザイン (4)

そんな山に近いところに家があるので、夏になると夜、たまに、網戸が「ドン!」と何かがぶつかってきた音がします。
そう!男の子が大好きな「カブトムシ」が光をめがけて飛んでくるんです。
今でも数年に1回遭遇しますし、早朝歩いているとカブトムシやクワガタが道端にいることもあります。

私が子どものころ、今から40年近く前は、カブトムシやクワガタのほかにもカナブン、蝶なども多く、夏休みの自由研究に「昆虫採集の標本」を選ぶ子が多かったと思います。
今はほとんど見かけないらしく、息子が小学校1年生の時は、カブトムシのメス2匹、2年生の時はクワガタ数匹とカミキリムシ数匹を並べただけの簡単な標本で賞をもらってます。
私の頃は、とにかく多くの種類をきれいに標本にしないと賞なんてもらえなくて…
ちなみに私も2回、昆虫採集の標本で賞をもらってます(これも書いたらnote1つできるエピソードがあるんです)。

そのような時代でしたから、昆虫も多かったですが、採集する人も多くて、昼間に雑木林に行ってもなかなか採れませんでしたし、だいたい先に人がいて争奪戦のような感じにもなっていました。
学校の帰り道に何本もクヌギやナラなど、いわゆる「どんぐり」がなる樹があって、下校途中によく採っては喜び、それを見た上級生が「よこせ」と言って横取りしたりということが繰り広げられていました。

画像4

そんなある日、父親が突然「カブトムシ採りに行くぞ!」と言い出したのです。今思い返すと、小学校1年生の時だけ、親戚のお兄ちゃんたちと一緒に行ったので、たぶん親戚から「夏休みの自由研究用に昆虫採集に連れて行ってくれないか」と頼まれたのでしょう。
父親は私が子どもの頃よりさらに20年前に野山を駆け回っていた人ですから、昆虫採集なんて朝飯前です。
だから、その後数年間は毎年のように連れて行ってもらいましたし、そのたびに昔の自慢話を繰り返し聞かせるという人。

私は親戚のお兄ちゃんが好きでしたし、憧れ、尊敬みたいなのがあったと思います。妹2人なのでお兄ちゃんが欲しかったというのもあると思います。
ちなみにお兄ちゃんは、私が小学校1年生の時に小学校6年生のお兄ちゃんが1人、小学校4年生のお兄ちゃんが2人(別々の親戚)という構成です。
図鑑とか今もある漫画で勉強できるみたいな本をもらって、それがきっかけで本好きになりましたし、高校はお兄ちゃんたちと一緒の高校を選びましたし。
そんなお兄ちゃんたちと一緒にカブトムシを採りに行くということで嬉しかった記憶があります。

いざカブトムシを採りに行くと…

名称未設定のデザイン (2)

当日は朝早く、5時前後には山にいたと思います。
いくつか採るポイントがあるんですが、たぶんその日は先客が入っていて採れなかったのでしょう。
そんな時に父親が取った行動とは!?
「せっかく来たんだから採るまで帰らない」でした。

お兄ちゃんたちは夏休みの宿題がかかっているのと、父親と同様「せっかく来たんだからカブトムシを採りたい」の気持ち。
でも、私は朝も早かったのもあり、その前にもあちこち歩かされているのできつかったのもあり、「帰りたい」の気持ち。
車で移動してきた先にはそれまで以上に「山」「森林」というところ。

「ここから歩いて入った先に秘密のポイントがあるんだ」
そう言ったかどうかはさすがに覚えていませんが、そんな秘密のポイントまではけもの道を歩いていかなければならないような森林に入っていった記憶はあります。

こんな時の父親は、もう自分勝手。というか子どもの頃に気持ちが戻っているんでしょう。子どもたちそっちのけで先頭を振り返ることもなく突き進んでいきます。
お兄ちゃんたちもたぶん興奮状態だったのでしょう。どんどん進んでいきます。
父親やお兄ちゃんたちにとっては気をつけながら速足程度だったと思いますが、私はその時小学校1年生。とにかく一生懸命ついていくのがやっと。
そんな時にいよいよ事件が起きました!

事件は突然に…

それは、ちょっとした沢のところ。丸太を数本組んで作った橋がありました。森林の中にある木の橋。たぶん湿っていたり、苔が生えていたでしょう。
少し先を進んでいたお兄ちゃんが「まだお、滑るから気をつけろよ」と言ったと思います。その瞬間、私の視界には木々とそこから見える明るんできた夜明けの空。
そう!私は見事に沢に落ちちゃったのです。

画像1

ただ、沢と言ってもたぶん高さは1メートルもなかったと思いますし、草が生い茂っていたのはかすかに記憶がありますので、落ちても大丈夫だったと思います。たぶんかすり傷程度の怪我はしたと思いますが病院にかかるほどの大きな怪我ではなかったと思います。

「おじちゃーん、まだおが落ちたー」
そんなことをお兄ちゃんが言ったか言わなかったかまでは覚えていません。
しかし、鮮明に覚えているのは、すぐに助けてもらえずに、数分後に助けてもらったこと。
なぜなら、その時父親はとっくに「秘密のポイント」についていて、夢中でカブトムシやクワガタを採っていたのです。
そう!子どもを心配するよりも、カブトムシやクワガタが逃げないかの方を優先したのです!

そして、一通り見える虫たちを採り終わったのでしょう。父親が来て助ける前に言った一言は覚えています。
「なんしよん?どんくさいな」
大丈夫かどうかはその前にお兄ちゃんが確認して伝えていたのでしょう。
でも、でもですよ!普通の親ならまず心配すると思うんですよね。
それが無くて「どんくさい」の一言。そして、父親は怒るというよりけなす人なので、それを笑いながら何度も言うんです。私に向けて、お兄ちゃんたちに向けて。
そして、家について、家族や親戚のおじちゃんたちにも何度も言ってたのもかすかな記憶として残っています。

私と父親のエピソードはだいたいこんな展開になります。
子どもの頃の父親への印象は「怒らないし優しい」でも「馬鹿にしてくる」
よくしゃべる人でしたが、それは話し相手が私しかいなかったからなんじゃないかなと今になって思っています。
そして、自分優先の人なので、自分が行きたいところには連れ回すけど、子どもが行きたいところは却下という人。
なので、結構危険な目にあってきています。

今回のエピソードは、そんな危険な目に合わせられた記憶にあるもっとも古いもの。この後も何度も危険な目に合っています。それはまたの機会に。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?