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好きなこと×褒める=能力開花!(しかし褒め方は大切)

今日も数多くある記事の中、私の記事にたどり着いていただきありがとうございます。今日は私の幼少期の祖父との思い出から、少しだけ子育て論に触れようと思います。

私のおじいちゃん

私はいわゆる「おじいちゃん子」です。
このおじいちゃんは母方の祖父。母は4人姉妹でしたから、おじいちゃんからしたら私は初めての「男の子」。物心ついたころから一緒に住んでいましたから、それはそれは可愛がられていました(自分で言うのもなんですが・・・)

私の地元は工業で栄えた街。私が子どもの頃の教科書には「日本の4大工業地帯」と言われた地域の1つで、その中心の産業である「鉄鋼」のそのまたさらに中心の企業に勤めていたのがおじいちゃんでした。
そんなおじいちゃんは、私を連れてよく出かけていました。
と言っても、子どもが楽しい場所に連れて行ってくれるというわけでもなく、おじいちゃんが知り合いのところに行く時、田舎に帰る時、遠い遠い記憶だとパチンコ屋さんだったり(笑)
今考えると、初孫でさらに男の子だから、知り合いに見せたかった、自慢したかったのでしょう。

ただ、おじいちゃんは気難しい人だったと思います。母にはいつも厳しく何かを言っていたし、外ではすごく頼られたり、またそれに応える「良い人」でしたが、家ではとにかく自分が思った通りにやる!という人でした。
さらにお酒を飲むとそれが加速し、思い通りにならないとかんしゃくを起して母に当たる、物に当たるという人でした。
母はおじいちゃんから何かを言われたらすぐ不機嫌になり、その矛先を私に向けてきました。八つ当たりもいいところの理不尽な叱られ方はよくあったなぁ~
でも私にはおじいちゃんという「安全基地」があるのでそんな時はおじいちゃんのそばに言ってました。

そんなおじいちゃんですが、私に対してだけはいつも優しく、そして「褒め上手」でした。遠い記憶なのですが、鮮明に覚えているエピソードが2つあります。

トミカトミカプラレール

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私はとにかく車が好きでした。多くの男の子が通るであろうトミカにもちろんはまりました。しかし、そんなに多く買ってもらえるというわけではありませんでした。2,3台のトミカでいつも遊んでいた記憶がかすかにあるだけです。
それよりも鮮明に覚えている記憶。

1つは、トミカやプラレールなどのおもちゃは必ず「カタログ」みたいなのがあるんですよね。昔なので冊子のようなしっかりしたものではなく、ほんと小さな紙切れに販売されているトミカが書かれている物を暇さえあれば眺めて、車種を口に出していました。

もう1つは、お店に行ったらその実物がショーケースに並んでいるわけです。箱にはやはり車種が書いてあり、さらに番号が振られているわけです。
それをひとりで「1番日産スカイライン」「2番いすゞ自動車ダンプカー」「3番ロードローラー」・・・のように順番にやはり口に出していたのです。お店の前で(笑)
だから私は迷子になった記憶がないんです。なぜならいなくなったと思ったら必ずおもちゃが売っているトミカのところにいたから(笑)

そんなことをたぶんおじいちゃんは知っていたのでしょう。
普段家にいる時にカタログを眺めている時には、カタログの写真を指差して「これは何?」と聞いてきました。
また、出かけた時は通っている車をみて「あの車は何?」と質問してくるわけです。
私は得意げに「3番ロードローラー」「8番タンクローリー」と答えるわけです。そうするとおじいちゃんはすごく嬉しそうな顔で「まだおはすごいね!良く知っているね!」と褒めてくれるわけです。
うちの親たちも同じように質問していた記憶はあるのですが、「褒められた」という記憶は薄い。先日甥っ子に同じように聞いていたのを見ていましたが、結局親たちは自分以外にあまり興味がない人たちなので、褒めていても表面的なのです。

それに対しておじいちゃんは、私という孫の成長に興味があり、またトミカというより工業に関わってきたということで車や機械に興味があったからこそ、心の底から「褒めて」くれていたように思います。

今これを書いていて思い出したのが、小学校の頃、私は戦艦、空母などにハマっていたことがありました。その時も学校の図書室から借りてきた本を眺めながら「大和」「武蔵」「陸奥」・・・などと言っていたと思います。
それを見ておじいちゃんはやっぱり褒めてくれ、さらに解説までしてくれました。おじいちゃんが戦争について語ってくれたことはないのですが、戦艦や空母、戦闘機などのことはよく話してくれたので、やっぱりおじいちゃんも戦争に行って辛い思いもして無事戻ってきた人なんだと子どもながらに思った記憶はあります。

そういえばプラレールにはハマっていないな(笑)

パチンコ屋で大当たり

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もう1つはおじいちゃんがたまに連れていっていたパチンコ屋さんでのこと。おじいちゃんは膝に乗っけて打っていました。
私はパチンコは全くしないのですが、昔は手動で弾くタイプ、今はハンドル?を回したら玉が出ていくタイプぐらいはわかります。

おじいちゃんの時代だからもちろん弾くタイプ。これはたぶん加減が難しいのだと思います。
おじいちゃんは、強引なところもある人だったのでたぶんうまくなかったと思います(笑)
私の前ではあまり言わないけど、母親とかにはよく言っていた口癖「えーぃくそー」をパチンコの時には連発していました。

ある時、「まだおもちょっとやってみるか?」と言い出して、教えてもらってやりました。そうするとすぐに大当たりして!
その時ももちろんおじいちゃんはすごく嬉しそうな顔をして褒めてくれるわけです(たぶんその時は大当たりした嬉しさが先に出ていたと思いますが)。
「まだおはすごいな!なんでもすぐ覚えて!」
「初めてで大当たり出すなんて運がいい!」

褒めることが大切とは言うものの・・・

おじいちゃんから褒められた記憶はあるのに、不思議と親たちから褒められた記憶があまりありません。
もちろん褒めてないわけじゃないと思います。ただ、その「褒め方」なんだと思います。

おじいちゃんは無条件に褒めてくれたし本当に嬉しそうに褒めてくれた。
そしてそれは私が好きな物、興味がある物だったのでたぶん「認められた」という気持ちもあったのでしょう。だから覚えている。
覚えているだけでなく、この歳になっても好きな物、興味がある物はしっかり覚えられる(時間がかかるようにはなってますが・・・汗)。
また、「自分は運がいい!」と思うようになっているのも最初はこのおじいちゃんとの記憶から来ているのかもしれません。

それに対して親たちは・・・

この続きはいつものように少し分析を交えて明日書きたいと思います。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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