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嫌味満載。閲覧注意。無駄な人生なんてありゃしない😱💦人生振り返りの軌跡。。。🥺💘


60を回って振り返るとありとあらゆる贅沢をしてきたと思う。

だいたい気に入ると靴でもバッグでも洋服でも色ちがいで買う癖があった!

結局色違いろちで買っても、たいてい1つの色しか使わず、袖も足も通さず20年以上も新品のままのものまである。

今考えるとなんて無駄をしてきたものだとつくづく思う。気付けば今や家の中は無用の長物で溢れかえっている。今になって反省しきりである。

もしあの時、なにかに投資でもしていたら今や一財産築いていたかもしれない。んな、わけないかぁ❗

私は東京の短大を卒業後、当時代々木にあったスチュワーデス養成予備校に通ってスッチーを目指していた。

当時はオイルショックなるものがあり、100人募集に対して1万人の応募。2次まではなんとかいったものの結局落ちた。それからは即断念してお見合い結婚して今に至っている。

後で振り返るとすぐ諦めて結婚したのは大正解だったと思う。なぜなら、私の人生で夫との結婚は大当たりくじ🎯だったからである。

昔でいう3高ならぬ2高だったけど高収入。高学歴。当時にしてはW大の大学院を卒業し、本人曰く、本当は大学の先生になりたかったらしい。なっていたら、私は大学の教授婦人?それも悪くなかったかも🤔🙄

院の夫の友人の何人かは某有名大学の教授になったが既に年齢的に退官し名誉教授になっているとのこと。

それより夫は相当の浮気者で彼には相当泣かされたが仕返しに私は思いっきり買い物をし贅沢はさせて貰った!

月の小遣いは大会社の部長までとは行かなくてもかなりあった。ところで大会社の部長の月給っていくら?

今の時代なら年俸制かしら?🤷‍♀️

アホな私は文字通り湯水のようにお金を使い果たしたバカ嫁だった!

当時の私はこの服にはこの靴、このバッグとしか持たなかったので靴もバッグもほとんど痛むことはなかった。

一時バッグはあらゆるブランドバック👜を60個以上持ち靴は100足を下らなかった。

当時の副産物は未だに靴箱の中でひしめき合っている。

HERMESの靴は流石である。今は分からないが当時は全てがJOHN LOBBというブランド。

これは本店ではなくParisにあるJOHN LOBBのお店

JOHN LOBBを知らない方のために簡単な説明すると⬇️

JOHN LOBBについて

150年以上の歴史を誇る元は英国の紳士靴ブランドで英国王室御用達の称号を獲得し、1866年にはロンドンのリージェントストリートに1号店をオープン。世界中のVIPたちのオーダー靴を手がけた。全て個人の木型から靴を一から作る完全オーダーメイド。既製靴を取り扱うようになったのは、エルメスグループの傘下に入った6年後の1982年からという。他の既製靴ブランドにはない美しいシルエットを生み出すラストと最高品質の皮革を武器に、その地位を揺るぎないものにしたのです。(Internet参照)

私のHERMESの靴は全てがJOHN LOBB。昔はバカみたいにHERMESオタクで様々な靴もバッグも服も買い揃えた。

今でも当時の靴は10足くらいはあるだろうか⁉️

驚くのは20年以上も放置し、決して履くことのなかった靴たちを暫くぶりにお箱から出すと全く当時のままでなんの遜色もないことに驚かされる。

長い間履かなかった為に少々革は固くなったものの、改めて靴やさんにみて貰い全て磨き直して貰うとまるで買った当時のように息吹を吹き返えしたのである。

たかがHERMES。されどHERMES。納得である!

当時も一足10万円は下らなかったが今は1.7~8倍するらしい。とてもじゃないけど、今の私には手が届かない。

HERMESに始まり、GUCCI、PRADA、CELINE、CHANELと…

そうそう、もう1つの贅沢は車。
私の専用車ではなかったけど愛車はJAGUARだった!
加速がよくて高速を走る🚙💨となぜか皆がどいてくれた😱💦

あれはほんにいい車だった!

それから面白い話があって、当時まだ娘が小学1年生頃だろうか⁉️
娘がある時わたしの手をキュキュッと引っ張り『ママ、どうしてそんなに鞄👜がほしいの?お手々は2本しかないよ』と…。

当時の私にはその言葉が全く耳には届かず、私はそれから20年近く物を買い続けた。

クローゼットもパンパンで入りきらない。靴箱も別につくって貰った。

それが私の誰にも語れない人生の汚点。

今では誰でもがHERMESを持ち、誰でもそのバッグ👜をみたら一目でHERMESだと分かる時代。私の時代は限られた者が持っていた。

HERMESの他のデザインのバッグを持っていても誰もそれがHERMESだとは分からなかった。

そこに優越感と自分なりのステータスがあった。そして私は当時まだHERMESのサイトがなかった時代に自身でHERMESサイトを立ち上げ、そのサイトは雑誌でも紹介される程賑わった。

もうそれは過去の栄光!

そして私はある一時期、友人にHERMES博士と言われた。誰よりもHERMESに詳しく様々な情報が私の元に寄せられた。

それがある日、プツッっと嫌になってサイトを閉じてしまった。それはもうやり尽くしたからかもしれない。

というよりその同時期に実母の死がひとつの契機になり、今まで価値があると思っていたものが突然興味を失ったのである。

ただそれだけであった。それも今では遠い昔の記憶である!

今や当時50万前後だったケリーバッグがなんと3倍以上の200万前後。あり得ない話である。ブランド品はどこもユーロ高の値上げラッシュ!

今やそんなものに価値を見出ださなくなった私。今思うと当時なぜにあんなにもモノが欲しかったのだろう⁉️
主人への腹いせ?それとも買い物依存?

今となってはすべては想い出という記憶の中の産物。

夫も大人しくなり、普通の可愛い愛くるしいオッサンに。色々ありすぎる人生だったけど、結婚生活43年。

振り返れば、こんな人生ありかなぁって。もう一つおまけを言ったらなんだかんだあったけど、結局今でもあんな夫を好きだと思えて愛せるのは幸せな証拠かなぁ?🙄って。。

裏切られてもそしられても憎みきれずあの人が今も好きだと思える自分が不思議だ!

人生も終盤になって、私は夫より1日早く死にたいと思っている。あの人を見送ってからなんて絶対嫌だ!

あの人より先死んだら、そのあとの生活を心配しなければならないし、第一独りなんて寂しいもん。
ちょっと先にあの世で待ってる方が楽チンだしね❗
そして最後の床での台詞も用意してあるの。

『こんな私でごめんなさい。今までありがとう』と言って目から涙💧を一粒出して死ぬの。
で、私の人生ドラマはそこでThe end。。。。🥺💘

追記。
今はただのその辺にいるオバチャンです。最後まで読んでくださってありがとう🙇💐💕

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