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私がなぜAUDREYに拘るのか⁉️。。🥺💘

それは永遠の美の追求からだろう。 

女性というものは幾つになっても女である限り、常に美しくありたいと願うもの。 

美を追求する者や、はたまた知性を広げようと探求する者や、それぞれの価値観はある。 

私はといえば、前者の美を追求したい方かもしれない。 

だから、60を回っても中々舞台を降りられずに悪態をついてる…。(苦笑)

AUDREYの美しさは歳を重ねても色褪せることなく、重ねる度に人としての深みを増し、そのシワさえも彼女の魅力となり、更に知性が加わり輝きが増す。 

AUDREYは全女性の憧れ的存在。 

若い時の彼女は知性に溢れ、キュートで小悪魔的な茶目っ気たっぷりの女性。 

男性たちは無論、むしろ女性たちを虜にしたと思う。 

彼女の代表作は皆さんもよくご存じのものばかり。

『ローマの休日』(1953年)
『麗しのサブリナ』(1954年)
『パリの恋人』(1957年)
『昼下りの情事』(1957年)
『ティファニーで朝食を』(1961年)
『シャレード』(1963年)
『マイ・フェア・レディ』(1964年)
『おしゃれ泥棒』(1966年)
『いつも2人で』(1967年)
『暗くなるまで待って』(1967年) 

彼女はハリウッド映画の黄金時代に貢献・活躍した女性でAFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)のもっとも偉大な女優50選で堂々の3位を獲得している。 

因みに、1位はキャサリン・ヘップバーン。2位はベティ・ディヴィス。4位にはイングリッド・バーグマン。 

文字通り、ハリウッド映画界の黄金時代を支えた女優の1人でもある。 

AUDREYの作品はどの作品も何度みても飽きない不変のものばかりで、その作品の中で彼女が纏う衣装はその当時のファッション界を代表するものばかり。そのスタイルは未だに色褪せることもない。 

彼女は映画界だけではなく、ファッション界においてもインターナショナル・ベスト・ドレッサーにも殿堂入りする程のアイコン的存在だった。 

特に1950~60年代のファッションは20世紀の女性の美しさを最大限に引き出したものであり、当時のドレスのシルエットは女性のラインを最も美しく見せるものだったように私は思う。 

AUDREYはスレンダーで長身。おまけに胸ペチャだけど、洋服には大きな胸は合わない。 

ここまで言及すると大きい胸の女性は反論するだろうけど、基本的に胸が大きくない方が着映えはするし、小さかったら大きく見せればいいだけ。「⬅️極論🙇🙏」 

私の友人の話だが、彼女が毎回口にするのが『胸が大きくて良いことなんて何一つないわ』と…。 

下着も既成の物は合わないので別注か今流行りのUNIQLOブラ付きキャミなど到底着られないし第一胸が窮屈で無理だと…。 

更に彼女の談。既成の着たいシルエットの服が着れないだけじゃなく、歳を重ねた時に胸が大きいだけで更けてみられると嘆いていた。そして、削れるものなら削りたいと…。 

叶姉妹のように作り物の巨乳は女性の私たちの目からしたら、異様で美しいものとは思えない。(男性陣には魅力的でも🤭) 

あの胸は彼女らの特権だから、外野がとやかく言う話ではないが、あれは女性の目からしたら、もはや化け物。何を入れているのが分からないが触ると固いらしい。 

あれで殿方を喜ばすのだろうか⁉️ 

その話題はこの辺で🤐 

そう、要は大きい人はそれなりに。小さい人は人でそれなりに悩みは尽きないものということです。 

さて、話が脱線したので戻しますが、 

AUDREYは皆さんもご存じのように映画界において数々の賞🎖️を受賞。 

ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞、舞台ではトニー賞。そして彼女の死後にはグラミー賞とエミー賞も受賞。 

彼女は70年代以降は女優業をセーブし、残りの人生をユニセフに捧げ、ユニセフ親善大使としても恵まれない人々のために貢献した。 

人生終盤でその活動がアメリカでも認められて文民が頂く最高の賞🎖️である大統領自由勲章をもらった。 

そして、63歳の若さでスイスの自宅で虫垂ガンで亡くなった。 

人生80年としたら、63歳というのはある意味早い死ではあるが、彼女はその60年余りの人生で人が経験し得ない様々な経験をし、突風のように駆け抜けていったように思う。 

世界中で彼女の名を知らぬ者はなく、永遠の美の象徴、ミューズとして長きに渡り君臨し駆け抜けて逝ってしまった素晴らしい女性。 

それがAUDREY。 

私は彼女が生きた年齢を越えてしまったが、比べられる人生ではないが、人にはそれぞれに与えられた人生があり、脚光を浴びる人もそうでない凡人も自分の人生を全うするしかない。 

それは生き方を計る物差しはなく、人それぞれに咲かす花がある筈。今は生かされていることに感謝して私も残りの人生を全うしたいと願っている。 

最後に若い時は自分が老いるなんて想像も付かなかったが、失って初めて、その若さの尊さに気付く。 

AUDREYは自分の人生というものをどのように考えていたのだろうか⁉️ 

晩年の彼女は家族には恵まれず孤独だったと伝え聞く。 

その為に残りの人生をユニセフの活動に捧げたのだろうか⁉️ 

様々なAUDREYに対する疑問は過るが、今はその答えはわからない。 

ただ1つ分かるのは彼女は彼女らしく生きたのだろうと思う。 

♦️1960's style from My Instagram

美とは確かに外見の美しさもあるが内面の美しさと重なってこそ真の美。 

その両方を彼女は兼ね備えていたのだろう。(才色兼備) 

そして美を得るには努力も怠ってはいけない。 

美しくあるためにはまた健康でなければならない。 

♦️1960's style from My Instagram

その健康を維持するには運動は欠かせない。 

何事も努力なくして得るものはない。。 

美は努力。そして美とは様々なものを内包する愛の結晶そのものではと思う。 

♦️1960's style from My Instagram

勝手持論でした。最後まで読んでくださりありがとうございますm(_ _)m😊。。。🥺💘

#コラム #ブログ#essay#オードリー ヘップバーン#独り語り#独り言#美について#美とは?

追記。今回わたくしのInstagramの画像をAUDREYに紛れ込ませて紹介させて頂きました。

着用のドレス👗はわたくしが60年代を意識してデザインしオーダーしたものです。

どれも飽きのこないお気に入りのドレスを一部紹介いたしました🙇💕

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