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摩訶不思議、摩訶不思議、本当にいらっしゃるんだ天照大神様が😱。。。

今から18年程前のことですが、ある男性の方を友人に紹介され、一度その方のお誘いで神戸のとあるレストランに招待されたその日から私の周りで不思議なことが起こり始めたのです。 

その晩、帰宅して部屋に入ると部屋の隅、コーナーに目を開けても目を瞑っても見たことのない方がいらして、その方の出で立ちはまるで古事記や神話に出てくる神様のお姿。白い衣裳に髪型も弥生時代のような髪型で首には勾玉の首飾りをつけてらしたのです。 

私はこれは夢。それともお酒の飲み過ぎたせいかしら?と。何度も何度も目を擦り、我が目を疑いましたが確かにいらっしゃる。 

別に怖いともなんともなく、その日は無事就寝しました。 

以来不思議の連続で人の思いやその人の波動や心根が分かったり、普通目には見えないものが見えはじめのです。でもなぜか不思議と怖いとは思いませんでした。 

普通の一般の霊とかではなくどちらかというと神霊。神様に見守られているような感覚でした。 

それまで心が未熟だった私は自分自身の中に眠る自身の神の部分と守護霊や神霊に見守られ、様々なことに気づかされ成長させられたのです。 

別に信じてくれなくていいですが、、。 

要は何が言いたいかというと、この世は見える世界だけではなく目に見えない世界の裏付けがあって成り立っているということ。 

物事には必ず表と裏があるように全てこの次元の世界も陰と陽でできあがっているということ。 

そして正しいとか正しくない間違っているとかの価値観ではなく、それは両方あっていいという中庸のこと。
正しいという価値観はその時代のイディオロギーで変化する。 


本来変わらないものは真理だけ。これはどんなに時代が変わっても不変のもの。愛もそうです。 

戦争は人は合法的に人を殺めますが、人が人を殺すのはどんな事情があってもあってはならないこと。 

でも戦争というのは殺さなければ殺される。自分を守るためには殺めなければならない。 

それは神や宇宙の真理に反すること。わたくしが言っているのは宗教ではなく人の道、そのものの話です。 

またまた話が脱線しましたが、私が最終的に申し上げたいのはこの世に摩訶不思議や奇跡ということばがあるということはそれは空想の世界でもなんでもなく本当にあるからこそ、ある出来事だからその言葉が存在するのです。 

そう考えると言葉を読み解いていくとあたらしい発見と自身の発見に辿り着けるかもしれませんね。 

そういう意味では私の旅も終わりなき旅。始まりも終わりもない旅の途中であると改めて気づかされました。 

ここまで読んで下さって心から御礼申し上げます🙇🙏🍀🌿

追記。ちょっと前までは神がかっていましたが今は至って普通です😁💕

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