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展覧会#1 【キュビスム展 美の革命】に見るスペインの画家 パブロ・ピカソ

国立西洋美術館(東京・上野)で開催中
パリ ポンピドゥセンター 
キュビスム展ー美の革命
ピカソ、ブラックからドローネ、シャガールへ
2023年10月3日〜2024年1月28日


展覧会の内容に関しては、多くの方々が詳しく書かれているので、視点を変えて、キュビスムを代表するスペインの画家で、今年没後50年となるパブロ・ピカソについて書いていきます。

キュビスム展の詳細はこちら
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キュビスムって何?

20世紀初頭、パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックにより生み出されました。
それまでの西洋絵画の伝統的な『遠近法』や『陰影法』から脱却し、幾何学的に平面化された形を用いる構成は、実に画期的で、パリの若い画家たちに衝撃を与え、以後の近代・現代絵画、芸術の多様な展開に多くの影響を及ぼしました。

パブロ・ピカソ《女性の胸像》


パブロ・ピカソ(1881年〜1973年)

スペインの南アンダルシア地方マラガ生まれ。
父親は、バスク地方出身の画家で絵の教師、母親はマラガの由緒ある家に生まれ教養の高い女性でした。

10歳の頃、北西部ガリシア地方のラ・コルーニャに移り、父親の手伝いを務めるようになり才能を見出しました。

14歳の時にバルセロナに移り、父親が勤める美術学校に入学。
カタロニア地方の中心で、パリの世紀末芸術の影響を強く受けた街の雰囲気と仲間達との交友が、後のピカソに大きな影響を与えたと言われています。

バルセロナ グエル公園

1900年に初めてパリへ旅行し、その後度々バルセロナとパリを行き来するようになり、1904年にはパリを拠点とするようになります。

ピカソの作風は、時代背景や心情で目まぐるしく変化していったので、その変遷を時代ごとに書いていきたいと思います。


・主な時代ごとの特徴


1.青の時代(1901年〜1904年)

鋭敏な感受性で、親友の自殺未遂、貧しい人々や老人、娼婦、乞食、身障者など、社会の裏側に住む人々を、陰鬱な抒情的筆遣いで描きました。
正確な表現技術を完璧に駆使して、実に美しい絵画を数多く残しています。

2.薔薇色の時代(1904年〜1906年)

恋人を描いたり、モンマルトルの画家たちの心を捉えたサーカスの芸人などを描かれます。
柔らかい色彩で、まさに薔薇色。

3.アフリカ彫刻の時代(1906年〜1908年)

アフリカ彫刻や、古代イベリア彫刻の影響を強く受けました。
今回のキュビスム展には来ていませんが、バルセロナの娼婦たちを描いた《アヴィニョンの娘たち》はキュビスムの端緒となり、複雑な多面体のように5人の女性たちが描かれています。
右の2人の女性の顔は、まるでアフリカのお面のようで、左端の女性は浅黒い顔がアフリカの先住民をイメージされています。
真ん中の2人は、はっきりした目鼻立ちのスペインの女性の顔ですね。

《アヴィニョンの娘たち》

4.キュビスムの時代(1907年〜1921年)

・初期(1907年〜1908年)
キュビスムを創ったピカソとブラックは、ポール・セザンヌの『遠近感をなくす、多視点・幾何学的にとらえる』という考え方に影響を大きく受けました。

・分析的(1908年〜1912年)
対象の解体とその再構成。
ピカソは「破壊すること」によって創り上げる芸術家である。
と言われいるように、ピカソ自身も認めています。

・総合的(1912年〜1921年)
印刷物などの紙や新聞紙をキャンバスに貼り付ける『コラージュ』が取り入れられました。

キュビスムの美学が完成し、多くの画家が追随しました。
しかし第一次世界大戦で、キュビスムの革命を一緒に起こしたジョルジュ・ブラックが戦争に徴収された事を機に、ピカソはキュビスムをあっさり去ってしまいました。

5.新古典主義の時代(1917年〜1925年)

詩人ジャン・コクトーとイタリアに旅行し、古代以来の多くの芸術作品に触れ、強い感銘を受けました。

6.シュルレアリスムの時代(1925年〜1936年)

再び、幻想性豊かな想像力を遺憾なく発揮します。
同時代のスペインの詩人、ガルシア・ロルカについても、またの機会に書いていきたいと思います。

7.戦争とゲルニカ(1937年)

ナチス空軍による無差別爆撃を受けたゲルニカの街の悲劇を描いた《ゲルニカ》
1937年パリ万国博覧会に出品されました。

《ゲルニカ》 スペイン マドリード ソファ王妃美術館所蔵

実寸大のレプリカは、東京丸の内にある『丸の内オアゾ 1階の広場』で見ることができます。

8.晩年(〜1973年)

エル・グレコ、ドラクロワ、マネ、ベラスケスなど、巨匠たちの作品をモチーフにした多くの作品を手がけました。
とは言ってもそこはピカソ、原作とはちょっと似ていたり、似ても似つかぬ表現になっていたり、大変興味深いです。

ベラスケス 《ラス・メニーナス》
ピカソ ベラスケスの《ラス・メニーナス》の模写

ピカソは、女性関係もですが、人間の存在に強い関心を示しながら、その造形的表現の可能性を探っていました。
それは一貫してピカソの創作活動を支えてきたと言えるでしょう。
そして、それ故に目まぐるしく作風も変化していきました。

実に人間臭い、魅力的な人物ですよね。

また他のアーティストについても、深掘りして書いていきたいと思います。

長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました。




(参考資料:高階秀爾著 近代絵画史(下) )

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